第10話「ストレージってお前、お前!」

 黒狼はひとり牢の中、裸で暴れ回った。

 地団駄を踏んで床石を破壊しようとしてみたり、鉄格子を曲げようとしてみたり。

 あるいは「魔力ゼロだが実際には小数点以下の魔力は持っているはずだ」という願望の元、思いつく限りの魔法っぽいワードを叫んで気合を入れてみたり。


 しかし、そのいずれも何の効果ももたらさなかった。

 いや正確に言えば、床石を素手で殴りつけたときには意外な事実が明らかになった。

 石の硬さに負け裂けて血だらけになってしまった拳が、みるみるうちに再生したのだ。慌ててステータスを確認してみると、生命力の数値がおよそ1秒に2ずつ回復しているようだった。いや正確に1秒に2かはわからない。ここには時計などない。1秒に1よりは少し速い気がする、というくらいだ。


「『てことは、仮に瀕死になったとしても……だいたい9分くらいありゃ全快するってことか。こいつはすげえ……やっぱ俺、人間やめちまってるみてえだな……。でもこれだけじゃあこっから抜け出したりは出来ねえし、治るっつっても痛いことには変わりねえ』」


 9分で生命力が全快になったところで、現状では大した意味はない。実験中はどうせあの老魔術師が黒狼が死なないようマメに回復魔法だかなんだかをかけ続けているのだ。

 今欲しいのは、この牢獄から抜け出せる力だ。

 あるいは、実験が始まるまでに老魔術師を殺せるだけの力。

 魔獣がいて魔法があって、あと龍とやらもいる世界ではあるが、奴隷に関しては痛みと恐怖で縛っているだけらしい。本来は主人を表す焼き印を押されるそうなのだが、老魔術師は黒狼を買い取る際にそういう手続きはしなかった。奴隷商の方も特に何も言わなかったので、いつものことだったようだ。

 老魔術師のクソ講義からすると、買った奴隷はいつも実験中に爆死しているようなので、焼き印など入れるだけ無駄だと考えているのかもしれない。

 そういう理由で、客観的に黒狼を奴隷だと証明するものはなにもない。主人である老魔術師さえ死ねばおそらく自由になれるはずだ。


 しかし、床の石ですら素手で砕くことが出来ない程度の力では、あの魔術師を殺すなど到底無理だ。彼は痛みに我を忘れ暴れる黒狼を片手で容易く石のベッドに押さえつけ、拘束してみせた。そしておぞましい実験を日が変わるまで繰り返すだけの体力もあった。

 身体強化的な魔法か何かを使っているのは間違いないが、彼がそういう手札を持っている以上、石も砕けない程度の力では到底太刀打ちできないだろう。 


「『能力値が頼りにならねえんだったら……あとはこの【ストレージ】くらいか。でもこれ、何も入れられなかったしな……。今さら何か入れたところで意味なんてねえし、入れるもんもねえし……』」


 黒狼は【ストレージ】で空間の歪みを呼び出し、絶望した表情でそれをぼうっと眺めた。


「『……あ、そうだ。入れるのは無理だったが、出すのはどうなんだ? てか何か入ってるのかこれ』」


 この歪みにコンビニビニールを押し付けたとき、すり抜けるばかりで到底中に入れられそうな感じはしなかった。

 ではその逆に、ストレージの中から物を取り出すことは出来るのだろうか。

 中に物が入っているのかどうかの検証も含め、黒狼は歪みに手を突っ込んでみることにした。

 もちろん得体のしれないところに手を突っ込むことには抵抗がある。ビニール袋が入らなかったとき、手だけを入れる選択をとらなかったのは、おそらく無意識にそれを忌避してのことだろう。

 しかしもし何かの事故が起きて、この手が歪みの向こうに失われてしまうようなことがあったとしても構わない。すでにそれ以上の酷い目に遭っているし、このままなら今日もまた遭うことになる。おぞましいことだが、片手を失ったとしてもどうせすぐに補充されることだろう。


「『おお!? 手の先が……』」


 歪みの中に手が沈んでいく。なんとも不思議な光景だが、見えないながらも手先の感覚はある。

 慌てて一度引き抜いてみるが、特に異常はなさそうだった。


「『よし、これなら……』」


 黒狼は再度手を突っ込み、中を探る。すると、手を特にまさぐったりしなくともなんとなく中の様子がわかることに気づいた。


「『ストレージの中は……なんだこれ。紙……?』」


 掴んだそれを引っ張り出す。

 黒狼の手には二枚のカードが握られていた。


「『【炎の精霊 フレイムジン】と、【火のマナ結晶】……? ってこれ──『カルタマキア』のカードじゃねーか!』」


 カルタマキアとは、世界各地で流行している、日本発祥のトレーディングカードゲームのことである。

 元はアメリカ発の別のカードゲームに似せられて作られたゲームのひとつと言われているが、度重なるエキスパンションの発売により、類似したゲームのそれぞれが強い独自性を持つに至り、今では全く別のカードゲームとして世界中で人気を博している。

 カルタマキアはその中でも本家を超える売上を記録した稀有な例だ。


【炎の精霊 フレイムジン】は、コストの割には大した性能ではないという理由であまり使われることがない『クリーチャーカード』だ。このクリーチャーを召喚するためには炎属性のマナが5マナ必要なのだが、炎属性のマナが5マナもあるなら普通は【炎の精霊 フレイムジン】ではなくもっと優秀な別のクリーチャーを召喚する。だからそもそもこのカードがデッキ──ルールに基づいて50枚に揃えたゲームプレイ用の山札──に採用されることはほとんどない。

 そして【火のマナ結晶】は、その炎属性のマナを1マナ発生させるための最も基本的な『アイテムカード』のひとつであった。


 これら『クリーチャーカード』、『アイテムカード』に、いわゆる魔法の発動を意味する『マジックカード』を加えた3種類のカードでデッキを構築し、戦うのがカルタマキアというトレーディングカードゲームである。

 人気のカードだけあって専門店も存在しており、そこでは通常のパック販売やボックス販売の他にも、高額カードがガラスケースに並んでシングル販売されていたりもする。しかし人気がなかったり生産数が多かったりするカードはそんな特別扱いはしてもらえず、まとめて裸のまま箱型のカード入れ突っ込まれて1枚10円から雑に販売されているのが一般的だった。


 このカード入れの箱のことを通称「ストレージ」と呼ぶ。沢山のカードを所持しているプレイヤーが自宅で個人用に整理するために同様のストレージボックスを購入することもある。

 そう認識した瞬間、黒狼は【ストレージ】の内容がはっきりと識別できりるようになった。カードがリスト化され、自然と脳裏に浮かぶ感じだ。


 しかし中身がわかったからと言って、それが何だと言うのか。


「『ストレージって、そのストレージかよ! なるほどな何も入れられんわけだ! 異世界でカルタマキアなんて持っててどうしろってんだクソっ!』」


 黒狼は手にした【炎の精霊 フレイムジン】と【火のマナ結晶】のカードを床に叩きつけた。正確にはメンコのように叩きつけようとしたものの空気抵抗でひらりと舞ってゆっくりと落ちただけだったが。

 今放った【炎の精霊 フレイムジン】や【火のマナ結晶】のような事あるごとに再録されているカードは、【ストレージ】の中には何十枚も入っているようだった。逆に再録されたことがない上に収録時のレアリティが高かったカードや、特殊な手段でしか入手できないいわゆるプロモーションカードなどは四枚ずつしか入っていない。このバラつきには覚えがある。まさに黒狼の自宅のストレージボックスの中身そのものだ。実家に残してきたものと今住んでいる部屋にあるものを合算したような感じだろうか。


 黒狼も、かつて名前のことで友人たちにイジられるようになる前、まだ無邪気に友達と遊んでいた頃に、もらった小遣いのほとんどを注ぎ込んでカードを集めていたものだ。またゲーム系の動画配信者となった頃、ちょうどこのカルタマキアのデジタルゲームが複数のプラットフォームでリリースされたことで、界隈のゲーム系の動画配信者たちでコラボしてカードゲーム大会のイベントを開いたりもしていた。その流れで懐かしくなって、当時とは比べ物にならない経済力を発揮して再びカードを買い集めたのだった。

 ちなみに希少なカードがなぜ四枚なのかというと、カルタマキアのルールではデッキに投入できる同じカードは四枚までだからである。


「『……まあでも、懐かしいな。いや今この状況じゃなんの意味もねえけどよ』」


「──朝っぱらから元気だの。これは今日の実験にも期待が持てるな。頼もしい限りだわい」


「ヒェッ」


「わしの知らぬ言語のようだったが……。妙に言葉が片言だと思ったら、やはり外国の奴隷だったか。顔立ちものっぺりとしとるし、耳も異常に短いしな。ああ、もしや、きみの国の人はみなきみのように魔力を持たぬのかな? だとすれば……。よし。もしきみがわしの実験に耐え抜いて晴れて正式な助手となった暁には、きみの故郷とその言語についても教えてもらうとしようか。さ、行くぞ」


 牢から出され、地獄の二日目が始まる。



 ◇



 そして主がいなくなり静まり返った石牢に、炎が爆ぜる音が小さく響いた。





 ★ ★ ★


ん? 流れ変わったな……(

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