第3話「【ストレージ】」

 目の前に半透明の、まさにゲームのステータス画面のようなものが現れた。木々の隙間から降り注ぐ月明かり以外には全く光源がない暗がりの中で、光っているわけでもないのに不思議とはっきりと視認できる。


「マジでなんか出た……。やっぱ、こりゃゲームの──チッ、名前の表記は『名』『姓』の順かよ」


 幼い頃、黒狼は黒狼という自身の名前を気に入っていた。黒い狼という、常識的に考えて我が子に付けるとは思えないチョイスの言葉だが、格好いいことは間違いないからだ。そう考え、名乗るたびにどこか誇らしげな気持ちになっていた。

 しかしそれも、小学校に上がって英語の授業が始まるまでのことだった。

 黒狼の通っていた小学校の英語の授業では、授業中は例外なく欧米のような「名前」「名字」の順で、しかも毎回フルネームを使うことが義務付けられていたからだ。

 それでも最初のころは良かった。良くなくなったのは、授業でとある単語を習ったときだ。

 コックローチ。

 いわゆるゴキブリである。

 コクロー・オチという名前とこのゴキブリの英名の類似性が、この後の黒狼の人生を決めた。


「嫌なこと思い出させやがるぜ……。まあいいか。名乗るときに『オチ』って言わなきゃわかんねーだろ。それより、問題はこのステータスだな。なんなんだこの歪は数字は……」


 生命力1000はいい。最大値と最小値が表示されているということは、状況によって増減する数値ということだろう。ライフポイントとかヒットポイントとかそういうものを意味していると思われる。

 これが多いのか少ないのかは比較対象がないためわからない。

 参考になりそうな別の数値、筋力やら体力やらは1しかない。魔力にいたっては0だ。しかし変動する数値と何かの行動の基準値になるであろう固定のパラメータとを比べていいものなのかどうか。仮に比べたとしても、1と1000では差がありすぎる。


「俺の生命力が高すぎんのか、それとも他のパラメータが低すぎんのか……。両方低すぎるって可能性もあるか。両方高すぎるって可能性は……さすがにねーだろうけど」


 見た限りでは小数点以下は表示されていない。となると、最低単位は1である。それが高すぎる数値ということはあるまい。


「まあ、考えてもしょうがねえ。次はスキルってやつの方だな。【ストレージ】っていうと、倉庫とかそういう意味だっけか」


 となるとこれはおそらくアイテムボックス的なスキルだろう。

 最近のゲームの傾向からすると、容量は千差万別ながらもアイテムボックス自体はどのゲームでもだいたい初めから標準装備されているので、実質スキル無しと言っていいのかもしれない。


「ここがどんなゲームの世界なのかわかんねえけど……。実質スキル無しはバグだろ……」


 黒狼が知っているものかそうでないかは別として、ゲームに関する世界なのはおそらく間違いない。クラスの項目にある「プレイヤー」という文字がそれを証明している。

 しかしそれだけではどんなゲームなのかはわからない。どんなゲームであったとしても、プレイヤーはプレイヤーだろうからだ。


 もし仮に戦闘メインのゲームではなかったとして、だからなんだというのか。

 どんな野生動物がいるかもわからない謎の森に、コンビニビニール袋だけを持って一人きりで佇んでいる事実は変わらない。仮にゲーム世界が現実になっているのだとしても、そうでなくても、現実同様危険な野生動物がいきなり出てきてもおかしくない。

 しかも今は夜だ。大抵の野生動物は夜になると活動を活発化させるものである。


「マジでやべえかもな……。とりあえず、手を空けとくためにビニール袋はストレージに入れとくか。えっと、【ストレージ】」


 先程から「ストレージ」とただ口にするだけでは何も起きていないのはわかっていた。なので、発動するぞという強い思いを意識しながらつぶやいてみた。

 すると目の前に、ちょうど片手を突っ込めそうな大きさの、次元の歪みのような穴が現れた。


「おおー! ステータス出したときより実感湧くな! よしよし、この穴に──あれ?」


 ビニール袋を穴に押し付けてみるが、スカッとすり抜けてしまう。何度か繰り返してみるが、全く何かを入れられる感じがしない。

 ステータス画面同様、ただそこに見えるだけだ。ビニール袋を穴に触れさせることさえできなかった。


「って、これ……唯一のスキルもバグってんじゃねえか!」


 黒狼は悪態をつき、足元の土を蹴り飛ばした。


「こんな森の中で丸腰で何のスキルもなしで一体どうしろっていう──がっ!?」


 そして後頭部に衝撃を受け、意識を失った。



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