転移事故(事故転移ではない)
第2話「越智黒狼」
「──どこだよここ……」
ジャージ姿の青年──越智黒狼(おち こくろう)は、コンビニで買ったものが入ったビニール袋を手に持ったまま、夜の森の中で呆然とした。
つい今しがたまで歩いていたのは街の中だったはずだ。角を曲がったところで強烈な光に襲われたところまではしっかりと覚えている。車のヘッドライトか何かかと、とっさに瞼を閉じて目が眩むのは防げたものの、目を開けてみたら森の中だったのだ。
「車に撥ねられなかっただけ良かった……なんて訳はないよな」
どこかもわからない森の中に突然移動してしまうことと比べれば、事故に遭って病院に運ばれていたほうがまだマシだったかもしれない。病院ならば、そこがどこかはわからないとしても、少なくとも人はいる。その人に聞けば場所はわかるだろうし、帰ろうと思えば帰れるはずだ。
しかし鬱蒼とした森の中となるとそうはいかない。聞きたくても相手がいない。
「ていうかこれ、もしかしてヤバいか?」
黒狼の持ち物はコンビニで買ったマドレーヌひとつにペットボトルの炭酸水が二本、それと電子マネーのプリペイドカード一枚だけだ。そもそも黒狼が家を出た目的がそのプリペイドカードだった。新しいゲームを予約しようとしたところ、クレジットカードの使用上限に達してしまっており、支払いができなかったのである。仕方なくそのゲームのプラットフォーム専用の電子マネーで決済しようと、重い腰を上げて外出したというわけである。
外出すること自体が久しぶりだった黒狼は、外に着ていける服がジャージくらいしかなかった。もしこの状態で森の中で力尽きたりしたら、自殺志願者としていずれ発見されるかもしれない。電子マネーを買うために財布は持ってきているので身元の確認が容易なのは捜査員に優しいと言えるだろうか。もっとももし仮にここが地元の人や観光客が立ち寄る場所から大幅に外れていたりしたら、そもそも見つかることさえないかもしれないが。
そこまで考えて、黒狼は改めてゾッとした。本当に帰れないかもしれない、という恐怖を実感しはじめたからだ。
ここがどこなのかわからなければ、どうやって帰ればいいのかもわからない。そもそもここにどうやって来たのかも不明だ。
ビニール袋の中の炭酸水は冷たいままだ。となると、街を歩いていたあの瞬間からそれほど時間は経っていない。常識的に考えれば、この短時間で街から森へ移動するなどあり得ない。黒狼の知る限りでは市内にこんな森は無いはずだった。
しかしいくらあり得ないからと言って、現実としてそうなっているなら認めないわけにはいかない。
「そうはならんやろ……なっとるやろがい……ってやつか」
現実逃避気味にネットスラングをつぶやいてみるが、まったく笑えない。
「とりあえず、助かると信じて動画でも撮ってみるか……? タイトルは、そうだな……あの誰もが知るクソゲー、『人生』にて致命的なバグ発見! とかかな……」
悲観的に考えても何も解決しない。
ひとまずはいずれ助かるだろうという前提で行動するしかない。精神衛生上そのほうがいい。
黒狼の職業はいわゆる動画配信者である。ゲーム実況チャンネルというジャンルで活動している。
中でも黒狼が主に取り扱っているのは、20年以上の歴史を持つトレーディングカードゲーム『カルタマキア』のデジタルゲーム版だった。
ネットで活動する人たちの中には、ままならない人生というものに対して、ゲームに例えて「クソゲーだ」と揶揄する風潮があった。それになぞらえて、人生でバグを発見したという体で動画を撮ろうと考えたわけだ。
コンビニ帰りに道を歩いていたら突然森の中に移動していただなんて、もしこれがゲームだとしたらバグだとしか言いようがない。
普段の動画とはかなり毛色が違うが、特定のジャンル一色というのも発展性がないし、ここらで新しい方向性を開拓してみるのもいいかと考えていた。別に事務所に所属しているわけでもない、気楽なソロ配信者である。駄目だったらやめてすぐカードゲームの動画配信に戻せばいい。
そう考えて、動画撮影のためスマートフォンを取り出してみた。
しかしその画面には、電波の強度を意味する3本の柱の隣に小さく「×」と表示されていた。
「圏外かよ! おいおいマジでここどこなんだよ……! あ、待てよ……。ゲーム、ゲームね。ゲームか……」
黒狼は配信の合間の暇潰しにたまに見ているネット小説で、今の状況に似た話があったことを思い出した。主人公がある日突然ゲームの世界に転生してしまう、という内容のものだ。作品を読んでいる間は、それが荒唐無稽な現象であることは理解しつつも、そこを認めないと先を読めないのでなんとなく読み進めていた。
振り返って自分自身の現在置かれた状況を考えてみる。
コンビニ帰りに突然見知らぬ森に移動した。
なるほど荒唐無稽だ。
しかし事実で、おそらく現実だ。
であれば認めるしかない。数多のネット小説を読んだときのように。
「ええと……ス、ステータス……オープン?」
ここには黒狼以外誰もいないことはわかっている。
それでもあまりの気恥ずかしさに、あたりを見渡したあと小声でそっとつぶやいた。
ステータス、とだけつぶやいても何も起きる様子がなかったので、少し待ってから続けてオープンと言ってみた。
すると。
「うおっ!?」
◆
名前 :コクロー・オチ
種族 :人間
性別 :男
年齢 :21
クラス :プレイヤー
生命力 :1000/1000
筋力 :1
魔力 :0
体力 :1
スキル :ストレージ
◆
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