七村紅緒と友人たち 2
黒薔薇館へ向かう途中から、何だかそわそわしてこそばゆい感覚があった。
彼以外の初めてのお客様を迎える。黄路さんが午後に特別教室を訪ねてくるまで、まるで自分が世界に独りきりになってしまったように感じていたというのに、現金なものだった。マジェンタたちと笑うとその度に、純白先輩や彼の喪失に傷付いていた自分が嘘だったかのような気がして、胸の内側に細かな傷がついた。
それでも今朝感じていた孤独に怯えて、笑い声を上げれば孤独が遠ざかるような気がして、私は無理にでも笑おうとしている。嘘っぱちの笑い声。彼女たちを歓迎したい気持ちまで偽物のような気がしてくる。今の私は嘘ばっかりだ。
この頃は雨も降らなくなってきた。梅雨が明け、夏が来ようとしている。傷付いた心を季節ごと過去に遠ざけてしまいたい。その一方でそんな軽薄なことはしたくないと雨を望んでいる自分がいる。
「どうしたの紅緒?」
掴んでいる茜の肘とは反対側からマジェンタが聞いてきた。
「いえ、なんでもないわ。まだ暑い。お日様はまだ沈んでないの?」
「うん。だいぶ空は赤くなってるけど、まだ沈んではないよ。この頃はもうちょっとしないと沈まないみたい」
「もう夏になる」
志安さんが言った。
「そうですね」
私は頷きを返すことしかできない。
黒薔薇館に着くと茜は飛び込み勇むように台所へと下がっていった。すぐに冷たいレモネードを作って持ってきてくれる。私たちがそれを居間で受け取るとまたすぐに台所へと戻っていく。
「もうすぐ夏休みだ。みんなは実家帰るの?」
「私は学院で過ごすかな」
「ええ。私も」
マジェンタの返答に私も頷く。私にも帰る実家はない。
「私は帰るわよ。そういう貴女はどうするの?」
「どうしようかな。どっちでもいいんだよね」
「親が会いたいと思っているうちは会ったほうがいいと思います」
「そう?」
「ええ、きっと」
仲が良い家庭というものがどういったものかはわからない。支配と従属以外の関係が親子にもあるらしいとは知っている。きっと志安さんはお家はそういう家庭なのだろう。家に帰ることも帰らないことも選べるのなら。
「買いあわせのものですが」と茜がクッキーを持ってきてくれる。
「茜も今年はちゃんとまとまった休みを取ってね。私のことは大丈夫だから。ご実家に是非顔を出してきて」
「しかし……」
「大丈夫だよを茜さん。紅緒のことは私が見とくから」
「マジェンタ。貴女になにができるのよ。メイドの仕事って大変なのよ。貴女に茜さんの代わりなんてできるわけないでしょ」
「ええ、そうなの?」
「いえ、私はたいしたことは何も」
「真に受けちゃだめよ。大した事ないといいながら大した事してるのよこの人たち。一日代わりを務めるってヤマブキに大見得を切っておいて、半日分の仕事も出来なかったことがあるわ。凄いんだからメイドって」
「ありますよね。いつものお礼のつもりなのに、むしろ私がやった家事もやり直しになっちゃったりして仕事を増やしてしまうんです」
「わかるわ。プロの仕事はもうプロに任せたほうがいいのよね」
「まあ、茜の家事仕事は熟練の腕ですから、同じ仕事をこなすのはなかなか難しいですし」
「そうそう。側付きのメイドは特にエリートよ」
「凄い。このお嬢様たちメイド談議してる。メイドがいるのが当たり前のお嬢様たちだよマジェンタ」
「本当だね! まったく話に入っていけないよ! 自分のことぐらい自分でやればいいのにね!」
「ぐ……」「う……」
私と黄路さんから短いうめき声。
私はレモネードを一口もらって、体勢を立て直した。
「ともかく、茜もちゃんと休みを取ること。私は大丈夫だから」
「は、はあ……」
「今の会話の何処に大丈夫要素があったかのは謎だけど」
志安さんが食い下がったきた。この人、結構しつこい! 冗談の標的にされたら、なかなか面倒なタイプの人だ。いつもは黄路さんが苦しめられているのだろう。いつかやり返してみたい。
ここに残れば、また茜を出汁にやり込められると察してくれたのか、茜はまた台所へと戻っていった。
それから話は彼の話へと流れていった。
黄路さんが言ったとおり、マジェンタも寮で志安さんから話を聞いていた。志安さんは彼という謎を相当に気に入ったらしい。
ここまで知られていれば、もはや些細な違いでしかない。私は、昨日の夜わかったことを三人に話した。
私は純白先輩の葬儀に彼と二人で行ったということ。それ以来彼は学院に戻っていないこと。その夜以降会っていたのは、友人を立て続けに失った茜だったこと。
「え」と驚きの声をあげたのは黄路さんだ「でもそれだと、黒薔薇の会の誰も彼ではなくなっちゃうじゃない」
黒薔薇の会の会員は純白先輩以外誰もいなくなってはいない。
「それどころか、純白先輩の死後、学院を去った人なんていないわよ。退学なり、休学なりすれば、生徒会にはわかるわ。教師だっていないと思う」
「届けは出ていなくて長期で欠勤が続いているだけとか」
「そのほうがわかるわよ。ともかく、純白先輩以外学院からいなくなった人なんていないの」
「そうなるとやっぱり純白先輩の一人二役説が復活しちゃうね」
「でも私は純白先輩の葬儀に彼と行ったんです。これは茜も見てます」
「ちょっと整理してみよう」と志安さんが言った。「まず彼は純白先輩ではない。これは紅緒が純白先輩の死後会ってるから確実だと考えていい。
次に彼は黒薔薇の会を知っている。そうなると黒薔薇の会の会員まで絞れる」
そこで、志安さんは台所に向かって声をかけた。
「茜さん。ちょっといい?」
すぐに茜が顔を出す。
「はい、なんでしょうか?」
「茜さんは紅緒が友人と純白先輩の葬儀へ出かけるのを見てるよね」
「はい」
「この中にその友人はいる?」
茜はその質問にやや困惑した表情を浮かべる。
「いませんが」
「ありがとう。それが聞きたかっただけなんだ」
「はあ」
そう言って茜は台所へ戻っていった。
「ということで、この三人が外れる。前に言ったとおり灰谷先生も外れる」
「じゃあ、やっぱり彼は小金さんですか? 学院を去るという嘘の手紙を残したということになりますが」
「その可能性もある。純白先輩の死により小金さん側で文芸部との関係を解消したい何かが発生したこともありえる」
「いや、小金さんも違うわ。純白先輩の葬儀へは生徒会で向かったもの。紅緒さんと二人で出かけることはできない。告別式についてから、一旦学院に戻って、また紅緒とやってこれるほどの時間、告別式を空けてはいないわ」
「そうなるとやっぱり小金さんでもない」
「え、じゃあどういうこと?」
「ありのまま理解するなら、彼は黒薔薇の会の会員ではなく、学院の関係者でもない。にも変わらず学院にたびたび出没していて、黒薔薇の会のことに詳しい」
「何それ。なんで学院の関係者じゃないのに黒薔薇の会について知ってるのよ」
「純白さんが関わっていると思うしかないね。純白さんの手引きで学院に入り込んで居た部外者。それもかなり純白さんと親しいよ。黒薔薇の会のことも話していて、彼は純白さんの自殺に責任を感じているんだから」
「そうね。純白先輩の家と何か関係があるのかも。あそこもちょっと特殊な家だし」
「みんな大変だね。普通の家に生まれてよかった」
志安さんが他人事のように言う。実際、他人事なのだろう。
「あの、純白先輩の家って、どういう」
セレモニーホールで受付をしてくれた女性を思い出す。純白先輩のお母様だと思っていたが、特におかしなところは感じなかった。娘の死をただ悲しんでいた。
「紅緒さんは、純白家と付き合いとかなかったの?」
「いえ、私は。こんな目ですから父が社交の場へとは出しませんでした」
「そう。ならわからないかもね」
「で、おかしなところって何?」
黄路さんが少し話すのを躊躇した。
「まあ、わかる人にはわかることだしね」
そう自分を納得させるように独り言を言ってから続きを話す。
「親族席に純白家の人間なんていなかったわ」
「え、でも親族からのお言葉もありましたよね」
「あれは純白先輩の元の家よ。純白先輩は養子なのよ。純白家の人間は一人も告別式にはいなかった。養子にしてたから純白の名前は出してたけど、中でお葬式してたのは、先輩の生家の黒川家よ」
「え、そんな」
「あの人がマジェンタや紅緒に優しかったのはきっと家の事情に振り回される二人に同情したんだと思う。きっと同じような立場から」
「純白さんって、養子だったのか……」
「そう。死んだら用無しってことでしょ。葬式だって自分たちでは出しもしない。純白家は女系だから、先輩が死んで、きっとまた次の養子を取るわね。もう子どもは産めないでしょうからね。あの家。案外紅緒さんとか声掛かるかもよ。家から放逐されて、それでいて気品もあるから、今の純白家からしたら掘り出し物よ。養子なんて、次の子どもさえ産めれば誰でもいいんだし」
黄路さんの言葉にぞっと背中が寒くなる。もし本当にそんな話があれば、父にとっては渡りに舟だろう。
「そんな酷いとこに紅緒を連れてっちゃ駄目だよ!」
マジェンタが言う。
「まあ、最後の言葉に根拠なんてなくて、ただの思いつきよ。心配することではないわ」
「だけどそうすると、彼の輪郭がようやく掴めてきたね」
「と言うと?」
「つまり、彼は純白家の関係者だよ。何故かはわからないけど、彼は純白先輩の手引きで生徒のふりをして学院を出入りしていた。そして、本人曰く純白先輩の死に関係していて、純白先輩の死後学院には来れなくなった。これまでで一番筋の通った説明にはなってると思う」
「彼が純白先輩を先輩呼びしていたのはどういう意味なのでしょう」
「純白さんは養子とはいえ次期当主。先輩呼びはかなり親しげだ」
「姉妹とか?」
「先輩は養子って言ったでしょ。他に子どもがいるなら先輩は養子にならないわよ」
「生家の黒川家のほうでは?」
「そこまではわからないけど」
「ただ黒川家に残した姉妹が先輩の死にどう関わってくるのかは知らないけれど」
「それを言ったら純白家の関係者だったと家庭しても、どう関わるのか想像がつかないわ」
「そう? 純白家のほうなら端的にお家騒動じゃない?」
「だから純白先輩は養子で、他に継ぐ人がいないから純白家に入ったんだってば」
「純白さんが養子に入ったのはいつ? 私の知ってる限り小学生の頃は、もう純白と名乗っていたはず。純白さんが養子に入ってから、子どもができたということはない?」
「それは、わからないけど。現純白家当主は相当な高齢よ。あんまり考えづらい気がする。男性なら若いお嫁さんをまた連れてくればいいんでしょうけど、純白家は女系。当主直系の子どもはもう諦めたから先輩が養子になってるんじゃないの?」
「ふぅむ」と志安さんは腕を組む。
「正直、これ以上のことは憶測にしかならないね。純白家のことがわからないし」
「そうですね」
「純白家の関係者が何をしていたのかは気になるけど、純白家が厄介な家だということはわかった。王子様が純白家の関係者なら、もう放っておいたほうがいいんじゃないかな。触らぬ神に祟りなし、だよ」
志安さんが言いたいことはわかる。
「純白先輩が死んだのはそいつのせいなのに?」
マジェンタが噛み付く。
「王子様のせいとは限らないじゃないか。王子様が責任を感じてるというだけ。ただ責任感の強い人間なのかもしれない。近くにいながら、次期当主の死を防げなかったと感じているだけでも、手紙のような文が出てくる人間はいるよ」
「そうね。私は純白家と付き合いがある分、余計に志安の意見に賛成。純白家は関わるとやっかいな家だし、そもそもこれは純白家の問題だわ。部外者が口を出すことではない」
「ええ、おっしゃりたいことはわかります」
「紅緒は、いいの?」
マジェンタの一言で、三人の視線が私に集まったことを、肌が敏感に察した。
「仕方ありません。私は学院にしか居場所はありません。そして、彼が学院を離れた以上は、私たちの道は別れてしまったということです」
私の言葉に場の湿度がやや上がる。暗くなりそうな雰囲気に志安さんが明るく言った。
「大丈夫。男は星の数だけいる」
「それ、使い方あってる?」
「そもそも、彼は女でしょ?」
ありがたいことに、彼が残した謎は私をこの三人と結びつけてくれた。
彼女たちが、純白先輩や彼がいなくなった痛みをわずかでも忘れさせてくれる。
私たちが笑い声を上げていると、茜が居間に入ってくる。溌剌とした表情だ。
「ご飯の準備ができました。皆さんどうぞこちらへ」
私は茜の案内で食堂へと向かった。
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