純白紗智と王子様
「どうして、ここに
マジェンタの声ははっきりとわかるほど震えていた。今にも何かが溢れ出してしまいそうなほど繊細な声だった。
「……あなたたち、紅緒に」
「落ち着いて、マジェンタ。まずそれを置きなさい」
「マジェンタ。ナイフなんて持っていたら危ないよ。私が預かるから、渡して」
ナイフ? 聞き慣れない言葉に私は体に力が入る。
「近寄らないで!」
何かが空を切る音がした。きゃあ、と黄路さんが短い悲鳴をあげる。
「
「大丈夫。当たってない」
「近づいてきたら本当に刺すわよっ!!」
鋭い声に体が竦む。生徒会室の空気が張り詰めたものに変わっていく。
「……マジェンタ」
私に何かできるとは、思わなかった。でも気づけば彼女の名前を呼んでいた。
「紅緒……。こっちに来て!」
「行っちゃ駄目よ! 危ないわ!」
「いいから早く!」
マジェンタが私を嫌っていたとしたら。私はマジェンタの前でどれほど酷い事をしてきたのだろうか。純白先輩の手記の中で「ずるい」と
ゆっくりと手で辺りを探りながら声のほうへと近づいた。
突然腕を掴まれ、悲鳴をあげそうになる。強く掴まれた手首が痛い。マジェンタは私の腕をひっぱる。
それから私と黄路さん、志安さんの間に入るように立った。私を背中に庇うような姿勢だった。
「大丈夫? あいつらに何かされてない?」
かけられた意外な言葉に私は返事をすることができなかった。
「あんたたち紅緒に何かしてないでしょうね!?」
「何かって何よ?」
「紅緒。あいつらが出したもの食べたり、飲んだりしてないよね?」
「お弁当を一緒に食べたけど」
「なっ。大丈夫? 苦しくない?」
「いえ。そんなことはないけど。……マジェンタ、どういうこと?」
黄路さんが笑い声をあげた。
「どうせ、わたしたちが毒を盛るとでも思っているでしょ。相変わらず立派な想像力ね」
「そんなことはしてない」
「あんたたちが紅緒を邪魔だと思ってることぐらい知ってるのよ!」
「紅緒から黒薔薇館を取り戻すなら、毒なんてつかわない。紅緒を事故に巻き込むのは難しくないから」
淡々と志安さんが言う。
「……何の話をしているのですか?」
「あなたに怪我をさせるのは簡単という話。階段から紅緒が落ちるように仕向けるだけでいい。介助を申し出れば、紅緒が歩くルートも誘導できるし、彼女が足を滑らせるよう罠をしくこともできる。その場で証拠品を回収したとしても紅緒は気づかない。こんな簡単に陥れられる人はいない」
「あんたやっぱりそんなことを考えてるのね!」
「紅緒が無事に三階まで到達している時点で私はやってないし、この話をしたのは、やるつもりもないからだよ」
「無駄よ。志安。この馬鹿女にそんな理屈が理解できるわけないわ」
「マジェンタ。ナイフを置いて」
「今の話を聞いて信用なんてできるわけないじゃない! もう私の好きな人たちを誰も傷つけさせないんだから!」
身を裂くような痛みを伴う叫び。マジェンタは今この場にいる誰よりも傷付いているようだった。
廊下からざわめきが聞こえてくる。
立て続けにする叫び声に様子を見に来た生徒が集まってきている。その中から短く悲鳴が上がった。マジェンタのもつ刃物が見られたらしい。騒ぎはすぐに大きくなっていく。
廊下の生徒たちに気づいた黄路さんが「誰か先生を呼んで来なさい!」と生徒会室の中から叫んだ。
生徒会室を出たところの廊下には既に人だかりができているようだ。何人かが慌てて駆け出す音も聞こえてきた。
「ねえ。マジェンタ。落ち着いたほうがいいわ」
「大丈夫よ。私は落ち着いてるもの」
「ナイフを振り回してる人間を落ち着いてるとはいわない」志安さんが会話に割り込んでくる。「紅緒。とりあえずマジェンタから離れて。近くにいたら事故につながりかねない」
「駄目よ! こいつ何かする気だ!」
「そんなことはしない! 信じて!」
志安さんが大声で言い返す。
「マジェンタ! 今はあなたが一番危ないことに気づいて! 紅緒のことを思うならナイフを置いて!」
志安さんの叫び声にあたりは一瞬静かになった。マジェンタは返事を躊躇っている。けれど。
「……駄目よ。あなたたちなんて、誰も信用できない」
泣き崩れそうな声でぽつりと返事をした。
「……そう」と呟いた志安さんの声は隠しようのない落胆が滲んでいた。
重い沈黙が私たちの上にのしかかる。完全に膠着状態だった。
「はい。通して。通してもらうよ」
廊下から聞いたことのある声がした。直接話をしたことはない。けれど、放送や全体の集会で何度もきいたことのある声。この前、純白先輩の葬儀でも聞いた。
マジェンタが下がってきて私にぶつかった。急なことだったので、体勢を保てず、私は床に尻もちをついた。
「ごめ……。紅緒、大丈夫?」
「え、ええ」
マジェンタは廊下から現れた生徒会長である
マジェンタはすぐに廊下へ「近づかないで!」と鋭く言った。
「会長。危ないから近づいちゃ駄目です」
黄路さんも警告した。けれど足音は警告を無視して近づいてきた。マジェンタのすぐ近くで止まる。
「あんたが、
マジェンタの震える声が小金さんに向けられた。私は内心、マジェンタの言葉に驚いていた。とうしてそのように考えたのだろう。
同じ考えだったのか、黄路さんが聞く。
「……マジェンタ。あなたそれ本気で思ってるの?」
マジェンタは返事をしなかった。
「いや。違う。純白は自殺したんだ。この部屋でね」
朗々とした聴き取りやすい声だ。この人は意識してそういうふうに喋っているのだろうと思った。
「純白先輩が自殺する理由なんてない!」
マジェンタの叫びの後、少しだけ間をあけて「私はそうは思わないよ」と小金さんが言った。
「純白には純白の悩みがあった。どんなにみんなが崇めようと彼女も一人の人間だ。当然悩みもあるさ」
「そんなこと……。あんたは知っているみたいに言うのね」
「純白の遺書を読んだ。それに彼女の口から聞いたこともある。多くは知らないが」
「嘘言わないで! 純白さんがあんたなんかに話すはずない!」
「確かに。私と純白の仲がよかったとは言わない。私が純白に対して、良い感情ばかり抱いているわけでもないことも認める。だが私と彼女の間には確かに友情があったと、私は思っているよ」
「純白さんの悩みって何よ……」
「衆目のあるところで話すことじゃない」そう断りつつも一言だけ小金さんは付け足した。「ただ、君の王子様はもういないんだ」
その言葉は聞いていた全員の胸を強く打った。
遅れて、ナイフが床に落ちる音と泣き崩れるマジェンタの声がした。
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