純白紗智の幽霊

眠ると悪夢を見る。そうして起きて、うつらうつらと睡魔に沈む。そんなことを繰り返して夜が明けた。

「お嬢様。今日は、お休みになっては?」

朝、部屋に入ってきた茜は開口一番にそう言った。

「いえ、学校には行きます」

「しかし……」

「準備を、手伝って……」

「……わかりました」

私は服を着替え、髪を梳かし、茜に化粧を頼んだ。茜は薄く化粧をする一方で、目元には重点的にファンデーションを塗り込んだ。

黒薔薇館を出る時、陽の光を浴びたかったが、あいにく今日は曇りらしい。

「何かあったら、お呼びください。今日は必ず出られるようにしておきます」

特別教室まで案内をしてくれた後、茜は別れ際に言った。茜はいつも私を気遣ってくれる。

「茜」黒薔薇館へ戻ろうとする彼女を呼び止めた。「いつもありがとう」

「いえ、私は務めを果たしているだけですので」

茜は恐縮する。

茜が去っていく音を聞きながら、彼女に対する罪悪感が沸き起こった。茜は本当によく尽くしてくれる。よく気づき、手際がよい。そんな彼女の時間をすべて私の世話に消費している。茜ほどの器量があれば、なんだってできるように思えた。少なくとも目の見えない私より、もっと多くのことができるだろう。私がいることで、彼女の人生を台無しにしているのではないか、そう思えてならない。私が彼女の世話にならなければ彼女はどんな人生をおくれただろう。

疲れているとネガティブなことばかり考える。

マジェンタのこと。昨日の侵入者のこと。

マジェンタが私を嫌っていると決まったわけではない。侵入者は私に害意があったとは限らない。

とはいえ、考えずにはいられなかった。

始業のチャイムに遅れて、ぱたぱたとスリッパが立てる音が聞こえてくる。灰谷先生だ。灰谷先生にも騙されたかもしれないことを思い出した。私はいつもどおり笑えるだろうか。

「ごめんねえ。いつも遅れちゃって」

「いえ。本日もよろしくお願いします」

灰谷先生には、昨日のマジェンタの話をした。授業については特に報告することもなかった。

彼女が酷く傷付いていて、それを耐えるよう赤星先生が叱咤した。

「そう。赤星くんはそんなことを……」

「私にも、人の悪意に慣れろと、そうおっしゃいました。慣れているつもり……でしたが、ただ気づいていなかっただけだったのかもしれません」

正確にはそれも間違いないだろう。私は自ら目を閉じ、人の悪意を無視してきたのだ。

目を閉じること。微笑を顔にはりつけること。ものを落とさないこと。音を立てないこと。動きを止めないこと。誰にも助けを求めないこと。それらはすべて私が着込んだ鎧だった。悪意を向けられる弱点はすべて覆い隠そうと躍起になっていた。そんなことはできるはずもないのに。私はちっとも悪意に慣れてなんていなかった。

今もなお、灰谷先生の言葉が気になる。昨日、私に嘘をついたかもしれない人の言葉をもう一度信じきることができない。

「マジェンタのことも紅緒のことも、赤星先生は心配なのね。学院は彼のことを貴女たち二人の保護者のように見てるわ」

「マジェンタもですか?」

「ええ、彼女も境遇は貴女と似たようなものよ。彼女の場合は、外国の血が嫌われたのでしょうね」

私のことを「ずるい」と連呼していた、よるという少女のことを思い出す。彼女がマジェンタだったとしたら……。似た境遇でありながら、黒薔薇館を与えられ、茜の帯同を許された私はどのように見えるだろう。純白先輩のこともある。

マジェンタが私を嫌うのは道理のように思えた。私はマジェンタに嫌われても仕方がないのかもしれない。

「何か、学院で起こったことを教えてください。何か変わったことがありませんでしたか?」

不安や心配事を忘れたくて、話題を変えたかった。

灰谷先生は何も聞かず「そうねえ」と話題を探してくれる。

「うーん。あんまり、おもしろいことでもないんだけど」

「なんですか?」

「けど、どうかしらねえ。紅緒にとっては不快かもしれないけれど……」

「そうなんですね。……だったとしても聞きたいです」

嫌な話から逃げ回るのはやめたい。そう決心した。

聞く前から本当に私にとって不快だと決めつけるのもよくない。

「そう。貴女がそういうなら……いいかしらね。本当におかしな話よ。聞きたくなかったら、すぐに止めてちょうだいね」

「ええ」

「純白さんをね。見たという生徒が何人かいるのよ。亡くなってから。たぶん記憶違いか何かだと思うんだけど」

「純白先輩を?」

「ええ」

「何処でですか?」

「寮と学校でもいるわ。一人の生徒がそう言ってるだけなら、見間違いか、その子が参ってるだけだとも思うんだけど。何人かいるのよ。それにみんな見た場所はバラバラ」

確かに、愉快な話ではなかった。

私はあまりオカルトを信じてはいない。否定をするわけでもないけれど。それよりも純白先輩が死後迷っているという考えが愉快ではない。

「具体的には?」

「寮の部屋に戻っていく姿を見たって子がいるわ。この子は告別式の日に、すれ違って挨拶も交わしたって、後から気づいて怖くなったみたい。似たように学校で文芸部の部室に入っていくのを見たって言う子もいるのよ」

「他には?」

「後は文芸部の部室かしら。これは昨日ね」

純白先輩に関係しそうなところなら全部という具合なのだろうか。そのちぐはぐさが根も葉もない噂という気にさせる。

「文芸部の窓からいつもみたいに校庭を眺めてた、というのは何人か同じことを言ってるのよ。それも普段あまり関係のない子たちがばらばらに言ってるから」

「文芸部の窓? それは昨日の話ですか?」

「ええ」

私はそこでとある事実に気付き、自分でも困惑した。

私は純白先輩の外見を全く知らない。そして、自分自身の外見でさえこの数年のものを知らない。私が自分の姿を見たのは小学生の頃が最後だ。だから、そんな可能性をこれまで思い浮かべもしなかった。

「先生。私の外見は純白先輩に似てますか?」

「え、いや。そんなことはないと思うけど」

「そうなのですね。けれど背格好や髪型はどうでしょう。私も純白先輩も校則を破るタイプではないですし、同じではなくとも似通ってはいませんか?」

「髪型はそうね。二人とも肩にかかるぐらいだし近いと思うわ。けれどそういう子はこの学院には多いから……あ、そういうこと」

「はい、その噂は単なる見間違いだと思います。少なくとも昨日の文芸部の窓際にいたのは私ですから」

「……そっか。そうよね。昨日部室で会ってるんだから気づけばよかった」

「きっとみんな遠くから見たんでしょうね。文芸部の窓際には純白先輩が座っていると思い込んでいたのではないでしょうか?」

「そうね。そうかもね。ごめんなさいね。こんなくだらない話をしちゃって」

「いえ、私のほうこそ紛らわしいことをしてしまいました」

生徒はみんな敏感になっている。純白先輩がいなくなったというショックが様々な形で生徒たちに現れているのかもしれない。

幽霊というのはしかしロマンチックな考え方だ。最近は夜にしか現れてくれない彼も幽霊に近いかもしれないと思う。

私は自分でも驚くほど普通に灰谷先生と話せていた。彼女が私に嘘をついたかもしれないということを自然に受け止められている。自分はもっとナイーブで、灰谷先生とどんなふうに話せば良いかわからなくなってしまうものだと思っていた。

けれどやっぱり今日はマジェンタには会いたくなかった。今、彼女にどんな顔をすればよいのかわからない。午前中の授業が終わると、昼休みの内に文芸部の部室へ移動しようと廊下へ出た。

昼休みは昨日よりも生徒たちの声が聞こえた。職員室の方向からする声も昨日より多い。放課後よりずっと多くの職員が職員室に残っており、生徒も訪ねることが多いのかもしれない。

私は外に出たものの前方の気配に尻込みして、長い廊下を中々歩き出せないでいた。誰が私を見ているかわからない。公衆の面前でたじろいでばかりいるわけには……。

「紅緒?」

と前方のやや高いところから声がかかった。そうか。階段のうえか。

「はい、なんでしょうか?」

咄嗟に佇まいを正し、問い返す。急に話しかけられたので、相手が誰か正確にわからなかった。

「どこか行くの?」

声は階段を降り、私に近づいてきた。声と足音のあまりしない軽い歩き方。志安しあんさんだとわかった。

「部室に行こうかと」

「ふぅん。連れて行く?」

「いいのですか?」

「いいよ」

志安は即答する。けれど私は少し迷った。

「もしお時間が許すなら、私が歩く練習をするのを手伝っていただけませんか?」

昨日はできた。凄く苦労したけれど。なら、今日もまたできるはず。昨日よりもきっと簡単に。

また時間を置いたら昨日のように、この簡単な道を進むだけで全身全霊ということになる予感がする。今日もう一度チャレンジして、外を歩くことに慣れたい。

「? それはどういうこと? 連れて行くのとは違うの?」

「ええ、私のそばにはいてほしいのですが、私が杖を使って歩くのを近くで見ていてほしいのです。私が間違った方向にいこうとしたり、人や物にぶつかりそうになったときに声をかけたり、腕を掴んだりして止めてほしいのです」

「ふーん。わかった。危なそうだったら止めればいいってことね」

「はい。端的に言うとそうですね」

「いいよ。とりあえず見てればいいのね」

「ありがとうございます」

志安さんに見栄を張った以上、もう歩くしかない。私は一つ深呼吸をして、昨日と同じように、杖で前方を探りながら歩き始めた。

廊下には昨日よりもずっとざわめきがあった。時間の違いでこんなにも人が増えるのか。ざわめきは私が先に進むと静かになり、私が離れていくと、また後方で始まった。

人に見られている。肌がちくちくする。意識して胸を張る。昨日のように怯えながら歩く姿を人に見せ、噂になんてされたくなかった。

近くに志安がいると思うことで多少勇気づけられたのか、昨日と比べれば、ずっと少ない歩数で教室棟を横断できた。教室棟を渡り切るために覚えていた歩数とほぼ同じだった。

無事に教室棟の端にたどり着いて油断した。文化棟と教室棟を繋ぐコンクリートの土間敷に降りる段差の一つを踏み損ね、体が大きく揺れる。すぐにがしっと肘を捕まれ、志安さんが私を支えてくれた。

志安さんはここまで一言も喋らなかったが、本当についてきてくれている。この学院には優しい人が多い。その人たちに私は助けられるばかりだ。

「ありがとうございます」

「大丈夫?」

「はい。おかげさまで」

「そう」

志安さんの助けもあって、私は無事に文芸部の部室までたどり着けた。志安さんにお礼を言うと、

「これからお昼?」

「ええ、部室で食べようかと」

「よかったら一緒に食べない?」

「え。……いいのですか?」

「紅緒さえ良ければ、黄路おうじも一瞬だけど」

「でも学食だと、私はお邪魔になるかと思います」

そんな誘いを受けるのは初めてだった。私は毎日、特別教室で独り茜の準備してくれた昼食を取っていた。学食には行ったこともない。人混みで立ち往生して、周りの迷惑になることが明白だから。

「学食じゃないよ、お弁当を持ち寄りで生徒会室で食べるの。別に嫌なら無理強いはしないけど」

「いえ、嫌なわけではないのです」

志安さんや黄路さんと昼食を取るのが嫌なわけではない。ただ……。

「本当に、お邪魔じゃないというなら」

「よし。じゃあ行こう」

志安さんは私の手を取った。

「掴んでてね」

そう言って肘に私の手を導いてくれる。私は彼女に言われるまま肘を掴んで志安さんのあとに続いた。

少し進むと志安さんが、

「階段がある」

「はい。ありがとうございます」

「歩く早さは大丈夫? 早くない?」

「ええ、大丈夫です」

「そう」

それから黙々と二階分の階段を登った。階段を登り終え、廊下を右手に進んでいると志安さんがまたぽつりと言った。

「やってみたかったの、こうして手を引くの」

「そうなんですね。ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらのほう。おかげでいろいろわかった」

わかった? 

志安さんは何をわかったと言いたいのだろう。私は彼女の意図を掴めないまま、曖昧な笑みを浮かべ廊下を奥まで進んだ。

志安さんは中に声をかけることもなく扉を開けた。

「あの、ここは?」

彼女の肘を離すことも今更できなくて、私は志安さんに続いて部屋の中に入った。

「生徒会室だよ。どうぞ、座って。黄路はまだみたいだから」

志安さんが引き出した椅子を手で確かめて腰を下ろした。

「そうすると、先輩はこの部屋で亡くなっていたんですね」

「うん。そうだよ」

と志安は肯定した。背筋が寒くなる。

「朝、その窓際の席で、椅子に座って机に突っ伏しているのが見つかった。生徒会室には鍵がかかっていた。どうやら夜中の内に毒を飲んだみたい。遺体は朝早く来た生徒会長が見つけた」

「どうして、自殺なんて」

「どうしてだろうね。私も考えてるけど、純白さんが自殺する理由なんて思いつかない」

そもそもなぜ生徒会室で死んだのか。純白先輩にとって思い入れのある場所ではないはず。自殺ならば死に場所は自分で選んだことになるが、その理由はわからない。中等部の頃に生徒会長をしていた経歴に何か意味があるのだろうか。

さらに朝早く登校してきた生徒会長の小金さんが発見したということも不可解だ。純白先輩は小金さんよりも早く学校に来ていたことになる。寮では発見した日の朝、先輩を見ていた人はいないという。

警察の発表では、純白先輩は夜の内に寮を抜け出し、生徒会室まで来て部屋内で服毒死したらしい。毒は純白先輩自身が持ち込んでおり、純白先輩の部屋から同様の毒物と遺書が見つかったことが決定打となり自殺と断定された。

なぜ生徒会室なのか。なぜ夜の内に寮を出ているのか。生徒会室のある文化棟。生徒会室。寮。これらの戸締まりをどのように突破したのかは説明がない。そのすべてが完璧な密室というわけでもないから、おそらく問題視されなかったのかもしれない。どれも不注意などの理由で説明自体はできてしまう。

「純白さんが死ぬ理由なんてやっぱり思いつかない」

ぽつりと志安さんが繰り返した。

ガラリと音を立てた、生徒会室の戸が開いた。

「あら。紅緒さん? どうしたの?」

入ってきたのは黄路おうじさんだった。

「私が連れてきたの。お昼まだだったみたいだから」

「そうなの? いつの間にか仲良くなったのね」

黄路さんは近くまで寄ってきて、柔らかい声で言った。

「紅緒さん。ごめんなさいね。私もお邪魔させてください」

「いえ、そんな。私のほうこそお邪魔してしまって」

「いいえ、こんなところで良ければゆっくりなさって」

「ありがとうございます」

それから私たちは一緒に昼食を頂いた。純白先輩を通じてお二人とは面識があったが、一緒に食事を取るのはこれが初めてだった。

他愛もない寮でのお話は私には新鮮で楽しかった。灰谷先生が話してくれることもあるが、同学年の級友たちとお喋りできることはやはり特別だ。

「そういえば、また見た人がいるみたいだね。純白さんの幽霊」

純白先輩の名前が出て、私は志安さんのほうへ顔を向けた。

「どうせ見間違いでしょ。みんな本当に好きよね」

「でも数が多すぎるよ」

「あのね。噂好きの女の子なんてね。他の子が『見た』っていえば、脊髄反射で『私も見たかも』って言っちゃうのよ。取り合ったって仕方ないわ」

「言わんとすることはわかる。けど……」

「私もいくつか噂は聞きました。寮や学校の廊下ですれ違ったとか。文芸部の窓際に座っていたとか。他にもあるんですか?」

「あるよ」

「聞くと呆れちゃうと思いますよ。寮や学校はもちろん、ダンスホール、庭園、森。運動部の部室があれば中等部の校舎でなんて話もあるわ。本当なら純白さんの幽霊は学院の敷地を巡回してるのね」

「それは、多いですね」

「みんな純白先輩のことが好きだったんでしょうけど」

「本当に全部見間違いなのかな。いくらなんでも数が多い」

「じゃなきゃ何だっていうの?」

「わからないけど」

「本当に見たって思ってる子も中にはいるんでしょう。けれどほとんどは噂に自分も混ざりたいから言ってるだけか、誇張して話してるたけよ。純白さんの幽霊を見たっていうことのハードルが低いのよ。今の雰囲気はね」

忸怩たる物があるのか。黄路の声はどこか悔しそうだった。

「死んでも学院の話題の中心にいるっていうのは凄いね。あの人らしいというか」

「まったくね」

とはいえ、二人の態度はややドライだ。しかし、突き放しているのとも違う。他の生徒たちと違って神格化をあまりしていないという感じだ。

「お二人と純白先輩はどういう仲だったのですか?」

「中等部の頃、同じ生徒会だった」

「純白先輩が会長で私が副会長。志安が書記で、マジェンタは雑用ね」

「雑用……」

「だってあの子に細かい仕事とか無理だもん」

「一応名前はついてたよ。庶務係。困ってる人を助けたり、誰の仕事にもならないようなことをこなしてた。備品の管理とか、部屋の鍵の管理とか、戸締まりとか」

「備品管理と聞くと、細かそうな仕事ですけど」

「実際はザルな仕事。生徒会の備品なんて、失くなってたとしても誰も気にしない」

有名無実の係だったということだろうか。

「他にも何人かいたけど、紅緒さんの知り合いではそんなところかしら。支持率だけは最高の生徒会だったのよ」

「だけ……?」

「いえ」と言って黄路は薄く笑った。「他に目立ったところがないって話よ。生徒会なんて、結局、生徒が自主的に決めれることなんてほとんどないもの。生徒会が決めたと生徒への説明に使われるだけ。生徒からの支持率は高かったから教師会からは扱いやすかったんじゃないかしら?」

「かもね」

「中等部の選挙がすごいことになったって聞いたことがあります」

「ええ。純白先輩の伝説の一つね」

おかしそうに言うが、黄路さんもその選挙で破れているはずだった。そのことに踏み込んでもいいか、判断がつかない。

「純白先輩の人気って、いつからなんですか?」

言うと、黄路が「うーん」と考える声を出した。

「いつからだろう。気づいたら有名人だったとは思うけど。志安覚えてる?」

「私も知ったときには、有名人だったと思う。目立つ人だし」

「そうよね」

「でも、知ってるだけから、みんなの見る目が変わったのは、月虹げっこう祭だと思うよ」

聞き慣れない名前に私が首を傾げると、

「ええと。月虹祭というのはね、彩華祭と比べるとおままごとみたいなものなんだけど、中等部主催のお祭りがあるのよ」

「そう」志安さんが相槌を返す。

「生徒が順番に演し物をして、基本的に他の生徒はそれを見るだけ。なんていうの。お遊戯会みたいな。他の学校でもあるのかしら?」

「私が通っていた中学でも似たようなものはありました」

「そうなのね」

「その演し物で純白さんが主役で劇をやったんだ。私たちはまだ初等部だったけど見に行った。もうマジェンタはいたよね?」

「いたと思うわ。きっとその時のビデオ残ってるわよ。ヤマブキに撮らせたもの。紅緒さんも今度一緒に見ましょうよ」

言葉に困っていると、

「黄路。紅緒は見れないよ」

「あ……。ごめんなさい。私ったら不注意で」

「いえ。お誘い頂いて嬉しいです。純白先輩が演じているなら、声だけでも聞いてみたいです」

「声もちゃんと撮れてるかしら。今度確認しておくわね」

「ありがとうございます」

黄路さんも志安さんも本当に良い人たちだった。普通に接してくれるということが、私にはとても嬉しい。

「でも生徒会は本当に楽しかった」

「なら、志安も入りなさいよ。あなたなら歓迎だわ」

「私は私で忙しいんだよ」

「帰宅部のあなたが私より忙しいって?」

志安さんが笑う。

「でも黄路は生徒会の仕事をしながら劇の台本を読んだり、お茶を入れながら筝の譜面を読むでしょ。私はそんな器用なことできないから」

「そんなはしたないことしません!」

二人が交換する冗談に思わず笑みがこぼれる。

「でも黄路はすごいよ。昨日も寮に戻ってきたのは遅かったよね」

「昨日は事務が立て込んでて、会長が逃げ回ってためてた事務をみんなできっちりしあげたのよ。その椅子に会長も縛り上げて、最後まで付き合ってもらったわ」

「まあ、純白さんじゃない人とやる気はないかな」

「そう? 小金こがねさんもいい人よ?」

「それは知ってるけど」

「でも中等部が楽しかったのは、たしかにあの人と一緒だったからよね」

場の空気が少ししんみりとする。マジェンタと違って二人が泣き出すことはなかったけれど、二人とも悲しみを抱えていることが明らかだった。

「中等部の生徒会は本当に楽しそうですね。どんなことがあったんですか?」

私が聞くと、黄路さんは明るい声を出した。

「いろいろよ。いろんなことがあったの」

「生徒への説明に役立つから、教師たちも目を瞑ってくれたりしたんだ。私たちはけっこう不良生徒会だったと思うよ」

黄路が楽しそうな笑い声をあげた。私に説明をしてくれる。

「内輪のパーティで迎賓館を使わせてくれたりしたの。黒薔薇館の話よ。鍵を貸してもらってね」

「へえ、そうなんですか」

なるほど。それが黒薔薇の会の会場へと繋がっていくのだろうか。

「黒薔薇館って名前、知ってるんだね」

「え、ええ」

「不思議ね。私たちがつけた名前なのに。何処で聞いたの?」

場の空気がいつの間にか冷えていた。

志安さんと黄路さんから視線が突き刺さっているのがわかる。二人は瞬きもせず私を直視している気がした。背中を冷や汗が伝う。

私が既に黒薔薇の会のことを知っていることを二人に打ち明けようかと迷った。しかし、それは彼に迷惑がかかるに違いない。それに私自身も、誰から聞いたのかということを明確に答えられない。彼の名前は知らないからだ。

「そうなのですか? 灰谷先生がそう呼んでた気がするんですけど」

咄嗟に嘘をついた。灰谷先生を出汁に使ってしまったが、昨日、嘘をつかれたからこれでおあいこだろう。

「ああ、灰谷先生が……」

黄路さんがそう納得した声を出した。志安さんは何も言わない。無言が続くとずっと見張られているのではないかと思い、気を抜くことができなかった。

「文芸部で、紅緒はどんな本を読むの?」

「実はあまり多くは読んでないんです。墨字の本は読めませんから、点訳されている本を少しだけです」

「文芸部にいらっしゃるのに、あまり読まないのね。もったいないわ」

「純白さんはかなり読んでたと思うけど、おすすめとかされたことはあるんじゃない?」

「ええ、たびたび。点訳されているかがネックだったのですが」

この段に至って私はようやく察した。

志安さんは用もなく私を呼んだのではない。親交を深めようという意図でもない。

私は今、聴取をされているのだ。何を何処まで知っているのか。彼女たちにとって純白先輩のそばに置かれていた私は、そうしなければならない相手だった。この接触が好意的なものなのか、そうでないのかは不透明だが。

そうして、この状況から新たにわかったこともある。二人が黒薔薇の会のメンバーであることは確実だろう。

黒薔薇の会で名前が上がっていたのは、よるすみ黒曜石こくようせきうるし猩々しょうじょう、そしてからす。私が聞かせてもらった会に欠席者がいた可能性はある。とはいえ、私が知ってるメンバーはその六人だ。

そして、メンバーと思しき人たちは、純白先輩、灰谷先生、マジェンタ、黄路さん、志安さん。それに彼がいる。ちょうど数は合う。

烏と漆はわかっている。純白先輩と灰谷先生だ。

私は残りのメンバーから黒曜石と墨にあたりをつけた。これは彼の警告から夜がマジェンタであるという仮定したうえで考えた結果だ。

立ち振る舞いだけをみれば、墨が志安さんである可能性は高いように思える。

黄路さんについては、残る候補が猩々と黒曜石だけになる。やはり立ち振る舞いからの推測にしかならないが、猩々が黄路さんというのはイメージから乖離がある。黄路さんが黒曜石で、残る彼が猩々。これが今の私の推測だった。

「純白さんがおすすめする本なんて気になるな。具体的にどんな本を勧められたの?」

「ルイス・キャロルとか、C・S・ルイスとか」

「あはは、それは嘘ね。純白さんはアリスなんて読まないわ」

黄路さんが笑った。

「そんなことありません。ルイス・キャロルは本当に先輩から勧められて」

「私は純白さんがキャロルを読んでないとまでは思わないけど、英国文学なら勧めるのはクリスティとかチェスタドンだと思うね」

「ええ、あの人は猟銃を抱えて結婚式に行くような人が好きよね。ねえ、紅緒さん。貴女。純白先輩と何の話していたの?」

私と純白先輩の関係を馬鹿にされている。かっと頭に血がのぼるのを感じた。怒りで声が震えそうになる。

誰の話をしているの。そう思った。彼女たちのほうこそ純白先輩をわかっていない。

私が反論しようとしたとき、大きな音を開けて生徒会室の戸が開いた。

生徒会室がその音を契機に静まり返る。

何が起こったのか、わからない。私だけでなく黄路さんも志安さんもかたまっている。

「……急にどうしたのよ? ……マジェンタ」

黄路さんが微かに震える声で言った。

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