Q7  『毗沙門戦記』の文体について

Q7

『毗沙門戦記』の文体についてお伺いします。

 私はいつも正覚坊さんの文章は「流れるような」文章だなと思っています。第 101 話の『火焔、天に捧ぐ』は、毘沙門勢 vs 和洋の神様という激しい戦いを描いていて、大変迫力があります。



 赤々と睨み燃える瞳が、今に息子二神に触れんと手を伸ばしていた大天使アークエンジェルへと向けられれば、火焔が地を這い走りその喉仏を噛み切って首を落とす。

 どこそこから多くの悲鳴が上がったが、狂乱忘我きょうらんぼうがの毘沙門天の耳に決して届くことはなかった。

 むしろ火焔の威力はとどまるところを知らずして、立て続いて噴き上がった八本の火柱がますます膨張する。しまいには毘沙門天の体丸ごと包み込むと、はち切れて大爆発を引き起こし、またたくまに広大なあまを黒々と覆い尽くした。

 破裂した火中からは山のごとくに巨躯なる大鬼が姿を現し、なおも焦げ続ける脇腹よりほむらの八臂はっぴを生やす。そうして、炎を纏ってまさに火尖鎗かせんそうと化した腰の八刀はっとうつかを握り取ってゆっくりと引き抜くのであった。



 多分、一文の中での緩急の使い方が上手なんじゃないかな、と分析しています。上記の文では「彼の息子たちに手を伸ばしていた」ではなく、「息子二神に触れんと手を伸ばしていた」は、「息子二神」で獨犍どっけん哪吒なたが一緒に支え合っている様が、「触れんと」とでうごめく指先が、「手を伸ばしていた」で二人に対して伸びていく腕を容易に想像できます。そして、文の後半でも「火焔が地を這い走り」、「その喉仏を噛み切って」、「首を落とす」とやはり映像的に、しかし完結に記述されています。

 あと、もう一つの特長だと思っているのは、文語体を前半に持ってきて標準体で文を終わるところです。これが、迫力を出しつつも、硬い文章という印象を残さない秘密なのかなあ、と思っています。上記の文では「とどまるところを知らずして」→「膨張する」(「膨大」とか「増大」とかではなく「膨張」と言う語が現代的)、「山のごとくに巨躯なる大鬼が」→「生やす」(「生じる」ではない)などです。

 こういう文章のリズムや文の構成は意識して書かれていますか? それとも自然に生まれてくるものですか?


A7

 拙作の文章をこんなに解剖されますと、いやはやなんだかお恥ずかしい(^◇^;)。文章のリズムは、とても意識しています。特に理由という理由はないですが、単に「おさまりの悪い文章にはひっかかりを感じるから」というだけですね。俳句のように、綺麗に整った文章がたぶん個人的に好みなのでしょう。結果、漢文のような、詩のような文章になってしまいます。拙作は三人称ですが、三人称は三人称でも、「第三者視点」を心がけています。もちろん例外はありますが、例えば毘沙門天視点のエピソードでも、だいたいは「私(作者・読者)から見た毘沙門天」を書きます。文例を挙げると、「毘沙門天は〜と思った(「俺は思う」のようにより一人称的)」とは書かずに「〜と思う毘沙門天であった(「彼の思考」を探ったようなより三人称的)」と書く感じです。微々たる差でわかりにくくて申し訳ないですが、私としてはまったくニュアンスが違って聞こえるのです。

 そうすると、あの詩のようなリズミカルな文章が生まれるんです。あとは、「より端的に」を心がけて、説明部分や情景描写をピンポイントで表現し、一発で読者に伝わるように工夫しています(が、逆効果で伝わりにくい出来栄えになっているのが現状)。あの有名なオープニングで例えますと、「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」→(読解はさておき私なりに文を作り替えますと)「私の人生は見通し暗いもので、恥の多い生涯を送ってきました」とか(いやもう別物やねんそれは笑)。ともかく、遠回しに三文や四文でくどくど書くくらいなら、一文でビシッと決めたいタイプなんですね。となると、語彙選びにもすごく気をつかいます。上文の「見当つかない」を、私なら「不測」と書きたいです。シーンにもよりますが、形容詞的な語彙は、なるべくその意味を踏む熟語に直しています。それで、実際に読んでみて、リズムが良ければ一文の完成です。

 さきほど、文章のリズムを意識する理由に「おさまりの悪い文章にはひっかかりを感じるから」と書きましたが、そういえば私の理想の文章は「仏教経典」なんです。経典は、無駄のない漢文調で、まさにおさまりの良いリズミカルな文章なのです。それで自然と、詩のような文章を求めてしまうんだと思います。やはり、拙作で扱うキャラクターは仏さま方ですから、砕け散らかしたふにゃふにゃの文章で仏さまを描くのでは失礼になってしまうでしょう。大好きな毘沙門さまに見捨てられては悲しいので、なるべく敬意を払った選りすぐりの語彙で整った文章を書き上げたいと思う今日この頃です。それに、仏の崇高性も表現したいところです。尊いけれど、人間味ある仕草や色気があって、しかしそれらがお下品に感ぜられないような美しい経文を作りたい。なんなら、ゆくゆくは仏前に奉納して、来世は「なんちゅうモン書いとんねん」と毘沙門さまにポコスカ頭を叩かれたい(ドM)。読者の皆さまにも、誤っても御仏が「泣けば言うこと聞いてくれる都合の良いカミさま程度」のものとは伝わってほしくありませんでした。

 「かっったい文章で読みづらいんだろうなぁ」と薄々気づいてますが、これ以上緩めてしまうと、エロいガンダーラ仏好きの私の場合どうしても小学生並みのお下品に走っちゃう。そこは仏像女子のプライドで軌道修正した結果、ばちばち硬派の「流れるような文章」にたどりついたんだと思います。はて、なにがなにやら、あれこれと語ってしまいました💦


イカワ

 えー、すごい、すごい!! これだから人に聞くのは止められないのですよ! 同じ質問をしても、百人百様の答えが返ってくる。正覚坊さんのは、特に細かいこだわりがあって、だからこそあの文章になるんだなと納得します。

 伝わりにくいとか、硬いとかは絶対ないと思います! 例に挙げたように視覚的だし、緩急自在に流れるような文章という印象が強いです。

 ローマや神道の神様はかなり人間的だし、毘沙門様にしたって奥さんや子供がいるっていうのが人間的ですよね。そういった側面を捉えつつ、神様としての尊厳も表現したいというのは、物を書く上で大変難しく、かつ、崇高な志ですね! 奉納したいと言った作家さんは初めてですよ!


正覚坊さん

 わああ(*☻-☻*)!ありがとうございます! イカワさんの質問のおかげで、今一度自分の文章の在り方をじっくり見つめ直すことができました! そうですね、「仏さまに見せて恥ずかしくない文」、「仏さまにも楽しんでもらえる物語」を目指したいところです! いつか奉納します!テヘ


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