Q10: 「そして僕らは殺意を抱く」について

Q10

 次に、現代小説の「そして僕らは殺意を抱く」についてお聞きします。

 これは、社会に受け入れられない二人の主人公の感情がすごくリアルに迫ってきて、自分をばかにする人を殺してやりたいと思う気持ち、それを実行に移そうとする勢いがとても自然に理解できる。いつしかその殺意が互いに向いて殺し合いになるけれど、その剥き出しの感情のぶつかり合いが深い理解に繋がっていく。名作だな、と思ってるんですよ。

 このお話も書くに至った経緯、この作品で意図したことなどあれば教えて下さい。



A10

 この話を書いたのはだいぶ前なのですが。その前に剣戟要素の強い『斬聖リバーロ』を書いていたので、次は文学やるぞ! ということで企画しました。


 これを書いたときの意図とか気持ちはもうはっきり覚えてないのですが(おい)、殺人者の気持ち、少年の日特有の危うさ……そういったものを再現してみたかったのだと思います。


 そして、何より重要なのが『二人いる』ということ。

 主人公が二人いて、それぞれの視点がほぼ交互に語られる構成。タイトルも『僕らは』とある――原案のタイトルは『人斬り人殺し』という身もふたもないものでしたが、それも人斬りと人殺しと、二人いる――。


 『人間は決して分かり合えない』というのが私個人の信条であって、この話の主人公二人も、同質な存在でありながら分かり合えてない、というのが描かれていくのですが。

 最後、その二人が解り合うシーン。これが書きたかったのだなぁ……と思います。


 主人公をそれぞれ取り巻く問題は、実はほとんど解決していないのですが。それでもこの二人ならもう大丈夫だ、そんな確信があるエンディングをかけたと思います。



(イ)

 「人間は決して分かり合えない」という考えに強く共感します。

 ただ、その前提に立った場合でも、本気で相手にぶつかっていった場合にはその真剣度が伝わるのではないかと感じます。このお話の中ではそのぶつかり合いは命を懸けた殺し合いであり、その中で主人公が「こいつにだったら殺されてもいいか」と思う。それは、「人を殺す」という他人には決して言えない秘密を分かち合ってきた相手に対する全幅の信頼であり、誰も信じることができなかった日々で初めて見つけた救済でもある。

 「この二人なら大丈夫」と思えるのは、分かり合えない中でも、命を預けてもいいと思える相手を見つけたからですよね。



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