誰も居ない 後編



 考えると不安になった。

 そうしたら叔父の毎日の飲酒量が気になりだした。

 飲みすぎると体に悪い酒、それを水のように毎日大量に消費する叔父。

 気にならないわけがない。


 けれどそれだけ。

 叔父からしたら、行き成りなんだ?と、思ったことだろう。

 けど、行き成りでもなんでも、心配になったんだから仕方ない。


 叔父ときたら、酒にはある程度強いらしく、可也の量を飲む。

 一定量をオーバーすると、顔が赤くなり、ろれつが回らなくなるようで、そこまで行くまでが相当な飲酒量なのだ。

 そこまでを見ていて思う、怖いと。

 春が訪れるのが怖い。

 離れるのが怖い。

 もしも離れている間に、何かの病気にでもなったら?なんて、想像するだけでも怖い。

 12月の大怪我の記憶もまだ新しいことで――


 不安、なんだ。


「凌士さん」


「ん?」


「私が離れてる間に、………何でもないです」


「ああ?何だ、お前、言ってみろよ」


「心配、ですから………体調には気を付けて」


「おま、………馬鹿だな、ったく。言いたいのはそれじゃないんだな?」


「………………………………」


 病気、して欲しくない。


 けれども、病気になって欲しくないからだ、なんて、言ったところで貴方は笑い飛ばして聞かないだろう。

 ねぇ、不安、なんです。

 どうしたらいいか分からないほどの不安を、覆い隠すためには何をすればいいんだろう?



 *****



 だれもいない、だれもいないの。

 もうすぐハルが来ちゃう、こわい、こわいよ!




 玄関の扉をくぐり、中に入ったところで聞こえてくる小さな音に耳を澄ませた――何だ?

 室内は真っ暗で、明かり一つついていない。

 当たり前だ、もう夕方という時間をとっくの昔に過ぎてしまって、今はもう8時。

 遅くなってしまった、あれから叔父と話し込んでしまっていたから………


 春が訪れるのは、怖い、ですか?


 そんな問いかけから始まった会話。

 始めてしまったら、止まらなくなった。


 早く帰るつもり、だったのにな――



 ひっく、ひっく………おねえ、ちゃ、ん………

 おとー、さ………ん………


「七海?」


 真っ暗な室内で聞こえてくる音は七海の声だったらしい。

 明かりを灯し、声の聞こえてくる場所へと近づいていくと、七海の姿が見えた。

 居間の端で今日込んだばかりの衣類を纏い、小さく蹲って泣いている。

 その姿に思わず駆け寄り肩を掴んだ。


「どうしたの?何があったの?」

「おねえ、・・ちゃぁん!!


 わああと、此方の顔を見た途端、火のついたように泣き出した七海。

 涙を流しながら抱きついてくる、その小さな体を抱きとめると、その背を撫でた。

 あやすように、優しく撫でる。


「七海大丈夫だよ。何があったの?泣かないで、」


 ね?と語りかけようとした、その時だ。

 七海が珍しく声を荒げ、詰るように言う。


「お姉ちゃん、どこいってたの?あのおしごと?しないってやくそく、したのに!!」


「違うよ」


「じゃあ、どうしていないの?夕方なのに、なんでいなかったの?」


「買い物、いってきたんだよ。ごめんね」


「一人にしないで!七海を一人にしないで!!さみしかったよ!こ、こわかったよ!!」


 泣いていた理由、それは七海が自分の不在に恐怖したこと、らしかった。

 驚いた。

 七海が今まで、こんなことを言ったことがなかったから。

 それは背後に控えていた叔父も同じらしく、ぽつり零している。


「七海、お前、今までそんなこと、言ったこと………なかったじゃないか」


「う、………ひっく、ひっく、」


「ごめんね七海、一人にして、ごめんね」


 完全な私が失敗していた。


 ぱたん


 襖を閉めると、叔父が渋い顔をして遠くを見つめている。


「今まで、あんな事言い出したことなんてのは、なかったんだがなぁ」


「それだけショック、だったんですかね、私のバイト先でのこと」


「かもしれん」


「バイト、暫く行かれないって言って来ます」


「止めるのか?」


「暫くお休みです」


 泣きつかれて眠ってしまった七海を除いての食卓。

 それは、少し、寂しい食卓。

 あまり、全員揃っての夕食を囲めないから、尚思う、七海が居ない空白の空間が寂しいと。


 七海、もしかしたら、そう、なのか――?


 春が不安でたまらないのは、もしかしたら自分だけではないのかもしれない。

 そう考えると思う、もう少し、七海と一緒にいられる時間をとった方がいいのではないのかと。

 泣きつかれて眠ってしまった七海の口からは、しきりと聞こえてくる言葉があった。


「ハルがきちゃう――お姉、ちゃん」


 春が来ると私が帰る、それが怖いと泣く七海。

 そうだ、先ほどの七海の涙と罵声は、自分を慕う声。

 我が侭、だ。


 自分に対しての我が侭を言うのが、これで2回目。

 我が侭を言われて嬉しいと思う自分は、少しおかしいのかもしれない。

 面映いものを感じる。

 七海の小さな小さな我が侭だ、それもたった一つだけ。

 ならば、叶えてあげたいと思う。

 ぽつり、言う。


「七海にあんなに我侭言われるなんて、少し嬉しくて。叶えられる願い事だったら、全部叶えてあげたいなーって」


「七海のため、か?」


「ええ」


 にこりと笑い、言う。

 嬉しくて笑う。


 我が侭を言われて、嬉しくて。

 泣き出しそうなくらい、嬉しくて。

 ここに、居てもいいと、全身で訴えてくる七海の姿に、嬉しくて――


 愛しくて、切なくて、どうしようもなく……………大切な従姉妹だから……………


 けれど叔父は、気に入らないとばかりに顔をしかめる。


「――お前は何時でも七海のため、佐藤のため………だな?」

「………?」


 ため?


「俺のためには何か叶えてくれないのか?」

「凌士さん?」


 眼前にある顔は、何かを求めるようにただ真っ直ぐに目だけを見つめてくる。

 痛いくらいに。


「だって凌士さん、我侭なんて言わないじゃないですか」


「言ったら叶えてくれるのか?」


「ええ、そりゃあまぁ」


 何を言うのか分からない。

 何時も馬鹿みたいな我が侭しか言わないから――ほんと馬鹿っぽいのばっかりで困る――真剣な表情で見てくるのが初めてで、何を言うのかと興味が湧いた。


 そしてゆっくりと叔父は口を開いた。


「なら――このままここに居ろよ」


 きょとんとする。

 ここに居ろよとは、まさか――?と思った。

 意味はあっている?

 私の思い違いじゃない??


 だからわざとはぐらかして言ってみた。


「居るじゃないですか」


 私の答えに不満だったようで、叔父は焦れたように言葉を被せてきた。


「そうじゃない、このままここに――住めってことだ」


「それは私がどうにか出来る問題じゃ」


 嬉しいけれど、実際、叔父の口から出た台詞に、何故か困ってしまった自分。

 事実、困る。

 自分でどうにか出来る問題では無いから。

 両親がここに預けると言った。

 私のことを。

 叔父に預けると言ったから、言われたから私はここに今、居るわけで――


 だから、私が私の今後を、左右できるわけもない。

 どうにも出来ないこともある。


 それを無意識に自覚していたからなのか、今まで感じていた不安は。

 だから、急に怖くなったんだ、離れることに。

 離別することに。


 このまま、年単位で会うことが適わなくなるだろうと言う、不確かで、未確定な未来に――私は恐怖を感じていたんだ。


 叔父は大きく息を吐き出すと、呆れたように口にする「お前なぁ」と。


「お前の意見は?」


「私の?」


 そんなの決まってる。


「そう、お前の」


「そりゃ、出来ることでしたら、ずっと一緒に居たいです。七海だって、あんなに慕ってくれてるし、」


「俺とのことを聞いてるんだ」


「それは――」


 不安を、恐怖を、全て――誰かに埋めて欲しくてたまらないと思ってる。

 けど、


「叔父と姪だけど、良いとか悪いとか言えないのに?」


「知ってる」






 春なんて、来なければいい。


*****


まだまだ続けられそうだったけど、ダラダラ続けるのもなんなので次で終わります!!

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