誰も居ない 前編


 小さな影が精一杯背伸びをし、物干し竿にかかった衣類を掴む。

 洗濯バサミのバネが中々に強いのか、外して取るのも苦労をしている様子だ。

 その子供にとって、洗濯物をこむ作業とは、ただただ大変なのだろうと直ぐに分かる。

 けれども、それを見つめる猫はといえば、ただ欠伸をするだけで手伝えるわけもなく、また、手伝えるような手なんてものも持ち合わせていなかった。


 ぼふっ


「つ、つかれたぁ~」


 居間の畳の上に、乾いた清潔な衣類を投げ出すと、その上にぽす、倒れこむ。

 皺がついてしまうから、いつもは絶対にしない行動。

 けれど、今日はあまりに疲れてしまった。

 だから少しくらいいいかな?なんて思い、乾いた衣類に顔を埋める。


「お日さまの、においがするね」

「にゃぁ………」


 小さな猫が傍に寄ってきて、同じようにぽふ、衣類の上に丸く収まる。

 その様子にくすくすと笑い、このまま暫くいてもいいかな?なんて話しかけてみる。

 猫は答えない。

 けれど別に答えなんて初めから求めてはいないから気にする事もなく、そのまま衣類の上で自分も丸くなる。


 あったかい


 お父さんとお姉ちゃんと………七海の匂い。

 お日様の匂いと一緒にする。

 その匂いを嗅いでくすくすと笑い、まだ暖かな衣類の中に埋まる。


「せんたくもの、あったかいね………」

「にゃあ」

「佐藤さん、なんかねむくなっちゃったね」

「にゃ~………」

「お姉ちゃん、かえってくるまでに、ちょっとだけ、ねちゃおうか?」


 七海は父と姉の匂いに包まれ、そのまま眠りについた。

 陽だまりの中で眠るその顔は、とても安らかだ。









 ただいまと、玄関を開けて土間から室内へと声を発する。

 いつもであれば七海が居て、お帰りと直ぐに返事が返ってくるのにそれもない。

 出かけたのだろうかと思い、中に入ると、居間に洗濯物の山を見つけた。


「七海、どこいったんだ?」


 いつもだったら洗濯物は丁寧に畳み、それから出かけるのに、何故だかそれが今日はされていない。

 何かあった?

 少し出かけているだけだったらいいが、そういう様子も無い。

 とりあえず鞄をキッチンテーブルの上に置くと、上着を脱いで、洗濯物を畳もうと洗濯物に近づいた、その時だった。


「にゃあ」


 小さな猫が勢いよく、自分の胸の高さまで跳躍してきたのだ。

 そして咄嗟に腕で抱きかかえた。

 行き成りだった為、可也不恰好な形で抱きかかえているが、そんなのは問題では無いとばかりに嬉しそうに猫は鳴く。


「にゃ~」

「た、ただいま、佐藤さん」


 吃驚しましたよ、なんて言ってみるけど、佐藤さんはそ知らぬ顔でごろごろと喉を鳴らす。

 脱力。


 そして視線をふと下へと移し、やっと見つけたのは探していた大切な従姉妹の姿で――


「こんなところにいたのね」


 思わず安堵の息を吐き出した。


 起こさないように、音を立てないようにとの注意を払い、その場にしゃがみ込む。

 小さく寝息を立てて寝ている従姉妹――七海は、洗い立ての衣類の山にうずもれるようにして、安らかな表情で眠っていた。


 可愛い。


「………うん、まだ日差しも暖かいし、このまま寝かせてとこう」


 あんまりにも寛いだ寝顔だったから暫く寝かせておいてあげようと、その場に七海を放置する事を決定し、自分は猫――佐藤さんを抱えたまま、二階へと向かう。

 着替えを済ませてから、また佐藤さんを抱え上げ、一階へ下りる。

 風呂場へと向かうと、シャツを洗い場に放り、風呂を沸かす為に浴槽に洗剤をまく。

 泡を立ててごしごしと磨き、シャワーで浴槽内の泡を流す。

 そして、綺麗になった浴槽に湯を張る。

 湯を張っている間、冷蔵庫の中身をチェックしに、再びキッチンへと舞い戻った。


「………何も無いってほどじゃあ無いけど、あるってほどでも、無い、かな?」


 冷蔵庫の中身は一言で言って”微妙”の一語に尽きる状態だ。

 微妙、その二文字の言葉が表すように、まんま微妙な内容で、微妙な量しか無い冷蔵庫の中身。


 内容の内訳はこうだ。

 :ブロッコリー、少量。

 :バナナ一本。

 :キャベツ5分の1かけ。

 :プリン2個

 :バター3分の1かけ。


 夕飯の材料になりそうなものときたら、そうだな、これくらいか?

 ちょん

 摘んで見たのは”チーズ”叔父さんの酒のつまみだ。


「これ使って作れるのか………何があるかな?」


 と言うかむしろ作れないだろう。

 これで何か作れたら相当凄い主婦だろうと思う。

 チーズだけがまともな食材として、唯一残っている中でする料理とは――一体何だ?

 無いだろう。


「やっぱ、買出し行かないと………駄目、だよねぇ?」


 嘆息を一つ零し、財布と携帯だけをポシェットに突っ込むと、そのまま買出しに出かけた。



 *****



 出かけた先はいつもどおり近所の大型スーパーだ。

 籠を取ると食品売り場へと急ぐ。

 なるべくだったら七海が寝ている間に帰りたい。

 だから急いでいた。

 とりあえず夕飯は、ブロッコリーを使い切りたいからシチューにでもしようか?


 大型スーパーでの買出しは済んだ、さぁ帰るぞと思ったときのこと、背後からかけられる声に振り向くと、そこには叔父の姿があった。


「――おう、買い物か?」

「ええ、そうです、買出しです。………そんなことより、お疲れ様です、凌士さん」

「ああ」


 お疲れ様、この台詞も言いなれた。

 そして、嬉しそうに返されるこの人の台詞も聞きなれた。


「こんな時間にどうしたんです?スーパーに居るなんて」

「ああ、仕事が早く片付いたんでな、買い物しにきたんだよ」

「そうなんですか。………ところで、何を買いに?」

「ビール」

「………………焼酎も袋から見えますが」


 ちらり、横目に見てみれば、叔父の持つスーパーのレジ袋から覗くのは、焼酎のものと思しきビン、それにビールの缶の6つ入りのもののケース――らしいように見える。

 更に良く見れば、他にも酒のつまみと思しき物体がいくつか入っているようだ。

 これがビールか、おかしいな?

 ビールだけにしちゃあ、大量に入ってませんか?と、にこり笑って言って見た。


「………た、たまには焼酎も飲みたかったんだ」


「へ~、たまに、ですか?」


「たまにだ」


「………この間は、カップ酒、飲んでましたよね?」


「たまたまだ」


「……………その前は、人からいただいたって言ってましたけど、果実酒でしたか?甘くて飲めたもんじゃないとか言ってましたけど、結局全部飲んでましたっけ?」


「……………た、たまたまだ」


「……………………………………………………その前は、」


「――もういい。分かった、分かったから。 あ~、今日はビール缶一本だけにしとく。だからそれで勘弁してくれ」


「分かりました、それだったらいいです」


 最近、叔父に言っていることがある。

 どうにかして欲しいことがあったから。

 言っていること、それは、飲酒量の制限。

 叔父の保護者よろしく、私は毎日の飲酒量は減らしてください何て言う。

 それこそそこまで口出しすんのか?

 なんて、叔父にげんなりされるくらいまで言う。

 けれど叔父は、私がどんなに言ったって一向に飲酒量を減らそうとはしない。

 体に悪いと言っても駄目だし、取り上げたって無駄だ――こうして自分で買ってきてしまうから意味が無いしね。




「あんまり口うるさく言うな………少しくらいいいだろ?」


「体、壊しますからね?」


「別に、あれだけしか飲んでなくて壊れるほどヤワな体なんて、してないつもり………なんだがな」


「でも、心配、なんですよ」


 あなたのことが――


 傍に並ぶように立ち、二人で歩き出した。

 叔父も買い物が終了し、このまま帰りらしく、並んで歩くのが当然とばかり、並ぶ。

 するり、当然とばかりに肩にかけられる手の感触。

 それを受ける自分もまた、当然とばかりに隣の体温に寄り添う。


「ね、凌士さん」


「あ?」


「こうして歩くのは構わないんですが………スーパーですから人通り、激しいですよ?」


「構わん」


「噂、立っても知らないですよ?」


「別にいい」


「凌士さん?」


「………お前が不安がってる時くらい、こうしてやりたいだけだ」


「凌士さん」


 もう直ぐ春が来る。

 だから、不安、だった。

 叔父の飲酒量に対して口すっぱく言うのもそう、心配だから。


 春になったら私は遠くへ行かなくてはいけない。

 戻らなくてはいけない。

 だから言う、自分の体を大切にして欲しいと。


 俺がこっちへ戻ってくるまでの間に、もしかしたら体調を崩すかもしれない――両親には、このままここに居たいというつもりだけど、説得が上手くいかなければ、暫く向こうでの生活になるだろう。

 私が居ない間に、もしものことがあったら?

 叔父はどうなる?

 叔父が倒れれば七海は?

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