世界で一番幸せな男 前編
眠れない日ってのがある。
どうにも眠れなくて、今日もそんな日だった。
大して寝苦しいとか、そんな理由があったわけじゃないんだ。
ただ、寝れない。
恐らく、体が疲れてないか、精神が疲れてないんだろうと思う。
体が疲れてたって、頭使ってない日なんてのは、寝れなかったりするしな。
兎に角だ、寝れなかった日、だったんだ。
今日は早く帰れたものだから、七海と姪と、家族3人水入らずってのを満喫してみた。
いつもはもっと遅くに帰るから、こんな風に長い時間くっちゃべってなんていられないからだろうが、七海は俺が居るってだけで、おおはしゃぎだった。
俺もそれを見て悪い気はしない。
むしろ、いつも早く帰ってこれなくて悪いなと思うが、何だか面映くて仕方ない。
アイツのお手製の夕飯を囲んで、テレビを見て、何てことは無い、他愛の無い会話をして過ごしてみた。
そんなことをしていたのは、そこまで長い時間じゃないと思ってたんだが――楽しい時間ってのは過ぎるのが早いもんだとは知っていたんだが、時刻はもう既に夜中の9時だ。
おいおい、はぇえな。
七海はとっくの昔に風呂に入って寝る時間になっていた。
おっといけないと、七海に風呂に入っちまえよと告げれば、素直に言うことを聞いてすっとんでいく小さな背中。
お父さん寝ちゃ駄目だからね、だとよ。
「おう、分かってるよ。早くはいってこい」
大丈夫だ、今日はお前が寝るまでずっとつきっきりで居てやるよ。
安心して風呂入ってこいと告げれば、うんと嬉しそうに駆けていく。
別に走っていかなくっても、俺はちゃあんと起きてるってのに、そんなに信用ないのかねぇ。
そんな風に考えていれば、脇でくすりと小さく笑われる――何がおかしい。
むっとしてみれば、口元に指を押し当てられて言われた言葉は何ともいえないものだった。
そう、どうやら先ほど考えていた言葉は、全て口から漏れていたらしいと気がついたのは、相手からの指摘を受けてだ。
なんともまぁ、罰が悪くて仕方ない。
がしがしと後頭部を掻き毟って誤魔化すようにしてみれば、七海のためにもいってきたらどうですかと言われてしまった。
「――ね、一緒に入ってきたらどうですか?親子で水入らずってやつですよ。ね?」
「あー・・・」
それは悪くはないんだろうが、何だかその提案が、少しだけ寂しく感じるのは俺だけなんだろうか?
別段、何が問題ってわけじゃないんだろうが、2人でどうぞとすすめられればすすめられるほどに、なんだか「そりゃないだろ」と口にしたくなる。
何が寂しいんだろうか?
よく分からない。
「お、お父さん・・・」
「ん・・・おお、なんだ、七海」
「あの・・・」
ひょこりと廊下の向こう側から首だけ伸ばして話しかけてくる七海の姿。
その頬は少しだけ赤い。
どうかしたのかと問えば、えっとねと、なんだか言い難そうに口を開く七海。
本当にどうかしたんだろうか?
「あの、おふろ、いっしょにはいろう?」
久しぶりだから、なのだろうか?
七海は恥ずかしそうに、けれど期待するような瞳でこちらを見つめてくる。
これを断れるかと言われれば、否、だろう。
父親として断れるわけもなかった。
「ほら、ああ言ってますよ?いかなくてもいいんですか?」
「あー・・・のなぁ・・・」
「なんですか?」
「なんだろうな?・・・なんかー・・・あー・・・いや、いい」
何が言いたいのだか、分からなかった。
姪っ子との関係が少し変わってきたと感じたのは、何時頃からだっただろうか?
恐らく、あの背中を流してもらうという行為をしてもらったときから・・・なのではないのだろうか?
なんだか、あれ以来、歯に物が挟まって取れない、そんな感覚がするのだ。
どうにも形容しがたいものがある。
俺達の関係はそんな感じだ。
けれど、別段悪い方向に転がっているわけではないのだ。
むしろいいほうに転がっていっているはず。
なのに、どうしてかは分からないのだが、いい方向へと進めば進むほどに、俺はその形容しがたいものが、胸の中でどんどんと、大きく膨らんでいくのを感じていたのだ。
なんだかもやもやとした気持ちになりながらも、俺は寝巻きを取りに部屋へと引っ込もうとしたのだが、ここで七海がお姉ちゃんと、アイツに声をかけた。
「お姉ちゃんも、はいろう?」
「私も?」
「うん!ほんとうは、おフロやさんとか、みんなでいきたいけど・・・きょうはもうおそいから――ダメ?」
「別にいいけど・・・でも、狭いだろうに・・・・・じゃなくって、お父さんが入るみたいだから、駄目」
「いいの!かぞくだから!」
ああ、なんだかしっくりきた気がする。
と言っても、完璧にしっくりとはきてはいないんだが、それでもだ、大分俺の中で、晴れない靄のようなものが、形を成したような気がしたのだ。
姪はもう、俺達の家族なんだ。
だから姪に「2人でどうです?家族なんだから、たまに一緒にいられるときくらい、風呂に入ったりしてコミュニケーションは必要ですよ」なんて言われて俺は凹んでたってことなのかと思った。
ああなるほど、それで俺はいやな気分になってたのか。
自分だけはそこに居ないかのように言われ、けれど俺はお前を家族だと思っていて――
どうしてお前は中に入ってこようとはしないんだと、そう言いたかったのかも知れない。
「おい、お前も仕度してこい。俺が出たらお前が七海と入れ」
「いやあ・・・・だって・・・叔父さんからそれを言われるとは思いませんでした」
「いーから早くしろ」
仕方ないなぁとばかり、苦笑して二階へと上がっていった背中を見て思う、家族なんだから、当然だろうと。
「七海」
「なぁに?」
「どうせだから、全員で一緒に寝るか?」
「・・・うん!」
大分昔のことだ。
ありゃあもう何ヶ月前だ?
忘れた。
あれから姪との関係も、家族どころか掛け替えの無い存在とまで言ってしまえるようになってしまっていた。
それこそ、代えの無い存在だ。
俺個人にとっても、だ。
一緒になって川の字で、暇さえあれば寝るようになった。
これはあの日からのことだったかと思い出して苦笑する。
今思えば、俺はあの頃から姪のことが気になっていたんだなと、今更ながらにその実感が湧いたのだ。
七海は俺の脇でぐっすり寝ている。
俺を挟んで反対側には姪がいる。
幸せってのは、殊の外近くに転がっているもんなんだなと思った。
大切なものが直ぐ傍にあって、脇でころりと寝こけていてくれる。
それが堪らなく愛しいと感じられる。
そのことが嬉しい。
そして、それを実感出来ることが、嬉しい。
もう手放せないし、手放したくないと思う。
ずっとずっとこのままで居たいと、それを切に願う。
2人を起こしちゃ悪いと思い、寝たふりってわけじゃあないが、瞼を閉じて静かにしていれば、寝たと思っていた姪がむくりと起き上がって俺の額を優しく撫ぜた。
思わずぴくりと瞼が動いてしまったが、暗闇の中が幸いしたのだろう、どうやら起きているとは感づかれなかったらしい。
何をするつもりで額を撫ぜてきたのか、少しだけ興味があった。
だから目して微動だにせず、静かに事の成り行きを見守ってみる。
何だか、見守らないといけないような、そんな気がしたのだ。
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