コーヒー

 泥水のような眠りから這い出し、僕は目を覚ました。

 体が重く、視界は白っぽい。

 水のような気分だ。何かを思い浮かべても、溶けるように消えていく。


 うん、どう考えても睡眠薬の効きすぎだな。


 ベッドから身を起こした僕は、大きく伸びをして骨を鳴らすと、替えの上着に体を突っ込んで、食堂に向かった。


 食堂にはすでに先客がいた。何かをがしたような香りをこちらまで漂わせるポットの前に、男が立ち尽くしている。


「おはよう」

「やぁ、ひどい顔だね」

「生まれつきでさ」


 首をすくめる彼には見覚えがある。

 先日のブリーフィングで名前を聞いたな。確か、マエダと言ったか。


「コーヒー飲むかい?」

「それをコーヒーっていうの、やめない?」

「はは、タンポポの根っこから作ったまがい物でも、それっぽくするコツがあるんだよ。まあ見て――」


 マエダはパックに熱い湯を少しだけ注ぎ、ドロッとした濃い煮汁を出してから、それを水で割った湯で薄める。代用コーヒーに気取ったことをするものだ。


「それくらい知ってるよ。それより良いコーヒーの飲み方を知ってる?」

「聞こうじゃないか」

「1番いい飲み方は、本物を店で頼むこと」

「そりゃそうだ。キミは無精者だね」

「なんでも自分でやろうって方が、ずっと無精者だよ」


 実際、ある程度知ってる事なら、自分でやる方が気楽だ。

 自分が望むように人を使うというのは、存外難しい。


 まるで自分のできないことを押し付けるのは、誰でもできる。だからそれは人を使っているのではない、その人に仕事の供給先として使われているのだ。


 人に仕事を任せるときは、その仕事を十分に知らないといけない。手順の言語化、そして伝達。これは自分のやっている仕事をすみずみまで理解していないと、とても出来たものではない。だから、真の無精者はこう言うのだ。


 ――自分でやりますと。


「流石、大尉までなったお方は違う。人の使い方を心得ておられる」

「なったんじゃない。押し付けられたんだよ。君みたいなのに」


 そこで僕は違和感に気づき、彼を問いただした。


「……待て、何で僕の階級を知ってる?」


 マエダはしまったという表情を浮かべる。

 ああ、そういうことか。


「その……キミは有名人だから」

「――あぁ」


 マグカップを受け取り、黒い水面に息を吹きかけ波立たせる。

 彼からもらったコーヒーは、ひどく苦い。


「誰かに任せればよかった。そうすれば――」

「キミはもっと後悔したかもよ」

「わかったような口をきくね」

「あそこには200人の民間人がいた、誰かの家族が」


 舌がもつれ、喉の奥に引っかかる。


「……」


 何か言おうとしたが、言葉が出ない。

 彼の固い表情を見るに、彼の家族も僕の人差し指が終わらせた。

 そういうことらしい。


「この話はもう終わりにしよう、大尉」

「ああ」


 ひたすら苦い想いだけして、僕はマグカップをしまう。

 タンポポを使ったこの代用コーヒーは、健康志向ではないので、人工カフェインを添加されている。だけど、この動悸はそれのせいじゃない。


 すっかり目が覚めてしまった。

 まさかマエダさんが僕の人生の関係者とは思わなかった。


 食欲は消し飛んだが、それでも食わなければならない。

 僕は樹脂製のクリーム色のトレーを台から引き出し、朝食の打ち込まれたコンテナの列の前に立つ。今日はイモ系の料理が並んでるな。


 この食堂は基本無人で運用されていて、いつでも大して上手くない食事を楽しめる。味のことよりも、無人なのが今はありがたかった。


 ★★★


 二つの食事を持った僕は、独房へ、ステラの収容セルに向かう。

 彼女と一緒に食事を摂るのも、AIの自我教育とやらに必要なことらしい。


 つまるところ、ヒトではないモノを人間社会に溶け込ませるには、食事を含め基本的な欲求に身体性が必要だとか何だとか、そう言う話らしい。


 もっとも、技術的な部分はよくは知らない。僕はあくまでもドローンオペレーターだったし、僕が使ってきた機械は物を言うが、明らかにモノだった。

 バッテリーを変えてくれ、パイロンの調子が悪いと訴えてくることはあったが、羊の絵を書いてくれなんて、無人攻撃機が頼んできたことは一度もない。


 収容セルの前に僕が立つと、人感センサーが反応して、扉を開く。


「おはようステラ」

「おはようおじさん」


 朝の挨拶をした僕は、靴を脱いで室内に入る。柔らかいカーペットが靴下越しに足の裏を支えて、実に心地よい。


「食事を持ってきたよ、テーブルを用意して」

「はーい」


 返事をしたステラは、僕の膝下までの高さしかない、折りたたみ式のローテーブルの足を広げてカーペットの上に立てる。僕はそれの上に食事の乗ったトレーを置いた。二つのトレーが乗ったテーブルは狭く、コップを置く隙間もない。


 カーペットの上に腰を下ろすと、ちょうど彼女と向き合う形になった。

 何気なく食器に手をのばすと、ステラから鋭い言葉が飛んできた。


「ダメよおじさん、いただきますは?」

「あ、そうだね……いただきます」

「いただきます」


 まったく、彼女は僕よりずっと育ちが良い様子だ。

 これではどちらが教育されているのかわからないな。


 彼女の食事の所作を見るだけでも、僕と違う世界に生きている、そう感じた。

 ステラの自我は、一体何処から用意されたのだろう。


 少なくとも裏路地で野垂れ死んだ、野良犬のような人間のものではない。

 中流階級かそれ以上。上流階級なら……政治家というのもありえるんだろうか。


 確かに囚われのお姫様みたいな生活だが。


『お食事中申し訳ありません、今日の予定にレクリエーションを差し込んでも』


 部屋に天の声、フランシーヌの声が響いた。食事中に無粋だな。

 不安そうに天井を見上げるステラを手で制し、僕は答える。


「昨日、彼女に羊の絵を描くって約束したままなんだ」

『……えぇ、もちろんそれが終わってからで構いませんとも』


 スプーンを握りしめたまま、表情を明るくした彼女に僕は苦笑する。


『ではレクリエーションに必要な道具をどうぞ』

「有無を言わせずって感じだな」

『なにせ、これは絶対にですので』


 ゴトン、と何かが落ちる音がした。

 外部から品物を届けるためのポストが、この収容セルにはある。

 その中身を確かめた僕は、顔に力が入るのを感じた。


 実に見覚えのある「道具」がポストの底にあったからだ。

 金属製の筒に、プラスチックの箱が差し込まれた工業製品。

 それはつまり――銃だ。

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