死人たちの坩堝ーCrucibleー
ねくろん@カクヨム
羊の絵
「ねぇ、羊の絵を書いてよ」
僕に絵を書いてくれとせがんだのは、10歳くらいの少女だ。
薄い青色の髪を肩まで伸ばし、白いワンピースを着た女の子は、僕の腰に画用紙を押し付けると、首を傾げ、困った僕の顔を見上げる。
「……だめ?」
「だめじゃないけど、絵を書くのは本当に久しぶりなんだ」
「ね、描いて?」
「――ふう」
僕は画用紙を受け取り、カーペットの上に腰を下ろすと、部屋を見回す。
ファンシーな壁紙の張られた壁には、青空が覗くピンク色の窓枠の窓がある。
しかし、あの青空は液晶モニターが表示する偽物だ。
ここは地下深くに存在する、シェルターの一室だ。僕と彼女がこうして会話しているのは、無数の収容セルのうちの一つになる。
「ぼうっとしてないで描いてよ!」
「ごめんごめん」
僕はクレヨンを手に取り、画用紙の上にこすりつけ始める。こんなことをしたのは何時ぶりだろう。このクレヨンを手に取ったのは20年ぶりくらいかな。
クレヨンを手にとって、少しびっくりした。
というのも、クレヨンは僕が子供の頃に使っていた時と、何一つ変わっていなかったからだ。安っぽい包装、手にぬるっと感じる、
僕がクレヨンを使わなくなっていた間、この世界、時代は大きく変わった。人工知能、AIがさらに発展し、ヒトと変わらない機械が生まれ、それが用いられる時代。だけど、これは何も変わっていない。
すこしして、頭の生えた細い雲に、4つの棒が生えた羊が出来上がる。
自分の絵心に苦笑しながら、僕はそれを少女に見せた。
すると、羊を見た少女は、その丸い頬をさらに膨らませる。
「これじゃあ、
「うーん」
僕は新しい画用紙を手に取り、やり直す――。
が、そこで耳障りなブザーの音が怒鳴りだし、僕らの間に割って入った。
「もうおやすみの時間みたいだ」
「えー! 羊さんは?」
「残念だけど、また明日かな?」
「うぅー……」
「聞き分けのない子に羊さんはあげないよ」
「……うん、わかった」
僕は彼女の頭をなで、四角い小さなベッドに寝かしつける。
「おやすみ、ステラ」
「おやすみ、おじさん」
おじさん、か。
その言葉に苦笑しながら、部屋の明かりを消して、セルの扉を閉じる。
すると、抑揚のない機械音声が僕に語りかけてきた。
声の源は、背広の内ポケットに入っている小型端末からだ。
『初めてにしては上出来ですね』
「こんなので良いのか?」
女性の声を発する目の前の画面に、僕は語りかける。
「ええと、フランシーヌとか言ったっけ、これが仕事か?」
『はい、これが貴方の仕事です』
「お絵かきして、寝かしつける……これが?」
『はい。自我の育成、それこそが我々「レヴィナス社」の責務です』
「まさか最高機密の軍事プロジェクトの内容が、子守とはね」
そう、僕がさっきまで会話していた存在、ステラは人間ではない。
――有機オートマトン。
ヒトのようだが、あきらかにヒトではない、ヒトのような「モノ」だ。
彼女たちは先進国の労働人口の減少を支える、次世代のロボットとして開発された。だがそれは単純作業に限られている。単独での意思決定が必要な仕事はできない。有り体に言えば、「自我を持つ」まで至っていない。
有機オートマトンはコレをしろ、アレをしろと指示しないと、何もしない。
いや、できない。
しかし、彼女は先ほど僕に「羊の絵を書いて欲しい」とねだった。欲求を持ち、単独で活動する、自我を持つロボットの開発。
それがこのシェルターで行われていることだ。しかし、その工程がまさか――
「最新鋭ロボットの開発が、子育てとは思わなかった」
『厳密に言えば、彼女らはロボットやドローンではありません』
「たしか……
『はい。死亡した人間の自我、その
「実に可愛らしいフランケンシュタインの怪物だ」
『そのような心象では困ります、ヒトと接するように――』
小一時間かかったブリーフィングの内容を繰り返されてはたまらないとおもった僕は、とっさにフランシーヌに口を挟む。
「判ってるよ、そうじゃないと、自我の教育に意味がないんだろ?」
『はい、よろしくお願いします。Mr.ウインターズ』
「はいはい」
端末から光が消える。
僕はそれを内ポケットにしまうと、会社に用意された自室に向かった。
部屋の半自動ドアを開いて中に入ると、奇妙なほどに既視感がある。
それもそうだろう。なにせ、そのままなのだから。
レヴィナス社の連中は、良かれと思ったのか、地上にある僕の部屋を、そのままこのシェルターの個室に再現したらしい。
「悪趣味だな。プライバシーも何もあったもんじゃない」
壁紙も、布団も何もそのままだ。そして――
「……クソッ、こんなものまで」
僕は妻と子の写っている写真立てをそっと伏せると、乱暴にベッドに身を横たえ、足を投げ出した。
僕は軍人として、攻撃ドローンを使う任務に就いていた。
心無い機械の後ろに立ち、砲火を交える。それが僕の仕事だった。
画面越しにヒトや建物を撃つ。例えその中に何がいようとも。
報いを受けたんだろう。そしてこれも、きっと報いの一つだ。
モノ言わぬ機械の背中に隠れていた僕は、いまそれと向き合っている。
僕は息を深く吐くと、睡眠薬の錠剤を口に含んだ。
苛立ちを冷ますためか、それとも何も感じたくないためか。
彼女たちは、ステラたちは本当に「これ」を欲しがっているのだろうか。
僕はその答えを形にする前に、自分のすべてを泥の中に沈めて眠った。
――――――――――――
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
前作『死人たちのアガルタ』と世界観を共有していますが、内容はつながっていません。ですが、そちらも読んでいただくと、この世界観をより深く理解できると思います。特に、自我や生命に関する哲学に興味がお有りでしたら、是非。
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