僕と博士の幸福論
うさだるま
第1話 僕と博士の幸福論
1.
「君は幸せとはなんだと思う?」
博士は真剣な顔で僕をみつめて言う。
ここは博士の研究室。その昔、発明で巨万の富を得たという博士が哲学者として第二の人生を楽しむため作った場所だ。窓からは海が見え、清々しい風が部屋の中を通る。素晴らしい場所だ。僕はここで博士の哲学。幸福論を手伝っている。所謂助手というやつだ。博士からは「僕君」と呼ばれている。僕だってもう30代間近なのに「僕君」は流石に恥ずかしいのだが、お年を召している博士にとっては関係ない事なのだろうか。
「おい、僕君。聞いているのかい?」
「あっ、すみません。幸せとはなんだって話ですよね」
「うむ、そうだ。」
「幸せ、、、僕は好きな事や、やりたい事ができる。それが幸せだと思います。」
「ほう。なかなかいい答えだな。私の友人もそう答えていたよ」
そう言った博士の目は少し曇っていた。
「僕君。少し昔話をしよう。そこの棚から小さい袋を取り出してくれないか?」
「はい、分かりました。この袋ですか?」
「そうそう、それだよ。ありがとう。」
僕が博士に手渡したのは、透明で小さなチャック付きポリ袋だった。中にはカプセルの薬のような物が何錠か入っている。
「これは、薬?ですか?」
「ああ、だいぶ前に話題になった薬だよ。市販もされていた。」
「はあ、それが何に関係するんですか?」
「まあ落ち着けよ。僕君。この薬の名は〈グッドラッグ〉。幸せになる薬として売られていたものさ。」
「幸せになる薬ってそれヤバいじゃないですか!麻薬ですよ!麻薬!」
「だから、落ち着けよ。この薬は麻薬じゃない。脳を侵したり、幻覚が見えたりなどしない。身体に関しての安全性は保証されている。言っただろう?市販されていたって」
「確かに、、、すみません」
「でも、見方によっては麻薬なんかよりももっと危ないよ」
博士はニコッと笑い、話し始めた。
「これはある青年の話だ」
2.
昔、昔、ある所に科学者の青年がいた。その青年は大層頭がよく、周りの学者共からも疎まれていた。だが青年は素晴らしい物を発明できれば、奴らも認めてくれるだろうと思い、研究を続けた。そしてついに発明したのだ。
「できた!できたぞ!願いを叶える薬が!そうだな。「幸運がありますように」と言う意味のグッドラックと薬物のドラッグをかけて、グッドラッグという名前はどうだろうか!うーんいいセンスだ!これて学会のやつらもようやく俺を認めてくれるだろう!」
青年はできた薬剤をカプセルにつめ、数錠のカプセル錠を作った。
「よし!じゃあ治験をしないとな!まあ毒物はほぼ入ってないし、大丈夫だろうけどな!じゃあ、いただきまーす!」
青年は躊躇なく、カプセル錠を一つ口の中に放り込み、飲み込む。
「えっーとこれで、目を閉じて、強く願えば願った事が叶うようになっているはず。よし、そうだな。」
青年は目を閉じて、手を組み、頭の中で唱え始める。
「空を飛びたい!空を飛びたい!空を飛びたい!」
青年が目を開けると、床が遠い。目の前に電球が見える。そして、地面の感触がない。これは、、、
「成功だ!!やったー!!!」
青年は空中でダンスを踊る。歌も歌いたいような最高の気分だ。
どうせならこのまま街に飛んでいってみるか。
「よし!そうしよう!」
青年は窓を開ける。そして、そこから浮いた身体のまま出て行く。ふわり、ふわりと外の世界へ出て行く。ぐんぐんそのまま高度を上げ、住んでいる町が小さく見えるところまできた。
「気持ちがいい。世界を独り占めしている気分だ。」
青年は空を泳ぐように、そのまま街へ向かう。頬を撫でる風が心地よい。下界の川や、山も綺麗だ。下を向いて歩いているだけじゃ分からない景色だろう。
そんな事を考えている間に、街に到着していた。
街では流行りの食べ物や流行りの曲、流行りの家電など、流行りの物で埋め尽くされていた。
青年は特に、流行りの食べ物に心を奪われた。研究をぶっ続けでやっていたので、朝も昼も食べていないのだ。
「食べたい。食べたい。食べたい」
無意識のうちに青年は願ってしまっていた。
気づけば、眼前には肉も野菜も魚も卵も、食べたい物が食べたいだけ、そんなご馳走が広がっていた。
「ゴクリ」
青年はたまらず、飛びついた。手で肉を掴み、酒をジョッキであおった。みるみるうちに減っていき、ご馳走がなくなるまでそう時間はかからなかった。
「ふぅ、食ったなぁ」
満腹になって冷静になり、青年は確信した。
この薬は世界の役に立つと。
すぐさま家に飛ぶように戻り、薬とそのデータを学会に送った。
そして数日がたち、学会に呼び出された。
青年は胸を張って、言った。
「これは願いを叶える、幸せになれる、素晴らしい薬です」と。
学者の中には青年を嫌い、心無い発言をする人も居たが、グッドラッグの効果を見た後に否定できる人間などいなかった。
グッドラッグは学会で認められ、正式な治験も完了し、薬局などでも販売されるようになった。
青年はとても誇らしい気持ちでいっぱいだった。お金を稼げたのもそうだし、学会のお堅いイジワルジジイ達に一泡ふかせたのもそうだけど、一番嬉しいのは、自分の作った薬で幸せになってくれる人が大勢いる事だった。
ただ、幸せは長くは続かなかった。
「な、なんだ?!」
最初は少しの揺れだった。次第に揺れはどんどん強まっていく。窓ガラスは割れて、棚は倒れる。10分もしないうちに立って歩くことすらできなくなった。
それは地震だった。
青年はなんとか這って家から逃げ出す事ができた。それでも揺れは収まらない。
自宅のコンクリートも柱もひび割れ、折れて、崩れていく。
青年は生まれて初めての災害に恐怖した。家族は大丈夫だろうか。友人は怪我をしてないだろうか。そんな不安から逃げ出すように、避難所へ向かった。
避難所の学校の体育館には、大勢の人が集まっていた。揺れが未だ収まらず、みんな不安そうな顔をしていた。
青年も更に不安になっていた。
そこでふと思い出す。
「そういえば、グッドラッグをこの服の中に入れていたぞ」と。
青年の顔に生気が戻る。これを飲めば。色んな人を助けれるかも知れない。薬を認められた体験から愚かにもそんな判断をしてしまった。
グッドラッグの小さな箱から錠剤を一錠取り出し、口に放り投げる。
そして目を閉じ、心の中で唱える。
「空を飛びたい。空を飛びたい。空を飛びたい。」
青年の身体はふわりと揺れる地面から浮く。
青年は浮いたまま、町の人を助けに空を駆ける。
町の殆どの家や建物がボロボロに崩れてしまっているのが空から確認できた。火を使っていたのか、家だったものが燃えている。
町の凄惨な状況をみて、青年の思いはより強まった。
家の建材に挟まれて、逃げ遅れた人がいたら、力強さを願い、建材をどかして助けた。
迷子の子供がいたら、テレパシーを願い、親を見つけて助けた。
「俺はすごいかも知れない。」
青年は少し調子に乗っていた。
そんな時、燃えている家の前で泣いている30代くらいのサラリーマンを見つけた。
「おじさん!何しているんです!避難して下さい!」
「中にまだ!妻がいるんだ!!お腹に子供もいる!助けてくれ!お願いだ!」
サラリーマンはすがるように青年に頼み込む。
「分かりました。待っていてください。」
青年は燃える建材を持ち上げ、放っていく。
すると、そこには焦げた女性の遺体があった。
何度確認しても、息はない。
「どうなんだ、、、智美は生きているのか!」
「、、、いいえ」
サラリーマンは青年の言葉を聞くなり、先程よりも大きく泣き出す。
「ああ、智美ぃ。どうして!どうしてェェ!!」
悲痛な叫びが辺りに響く。それでも、揺れは収まらない。
青年もとても辛かった。人の死を経験した事の無い自分にはとてもショッキングな事であったから。身体は地震のせいだけでは無く、震えていた。
だが、青年の頭に一つの案が浮かぶ。
そして、青年は女性の遺体に手を当て、念じる。
「甦れ、甦れ、甦れ!」
女性の遺体は傷が治り、火傷は消えてなくなった。そして息を吹き返したのだった。
「、、、智美?智美!大丈夫なのか!?」
サラリーマンがそれに気づき近寄り女性を揺らす。女性がサラリーマンの方を向き微笑んで言う。
「アナタ。大丈夫よ」
しかし何故か、サラリーマンの顔は絶望の表情に戻った。
「おじさん?どうしたんですか」
「どうしただと、、、?お前、これのどこが智美なんだよ!顔も身体も声も全然別物だ!」
「え、なんで?」
「知らねぇよ!あとな、智美は俺の事をアナタなんて言ったことはない!これは智美じゃない。別人だ。」
青年は気づかなかったのだ。薬の力で願いを叶えるには、願いを強く意識する事が大事と言う事を。青年は智美さんの事を知らなかった。だから甦ってしまったのは、全くの別人だった。
いや、青年が作り出した、想像上の人間が出てきたのだった。
「、、、ごめんなさい!」
「お前が謝ったから何だって言うんだ。智美は帰ってこない。お腹にいた子もだ。」
「、、、お詫びじゃないですがコレ!」
青年はグッドラッグを一錠、サラリーマンに手渡した。
「これは、願いが叶う薬です!」
「、、、」
サラリーマンは何も言わずに、飲み込む。そして、甦った謎の女性に手を当てる。
するとみるみるうちに、先程の焼死体に戻った。
サラリーマンの目には、涙が流れていた。
「俺がよ、ここで智美に甦ってくれって祈ってもよ、全部全部、幻みたいなもんだろ?俺の願いが現実に持ってこれるだけで、本当に智美が生き返ってくれるわけじゃない。じゃあもう、いいよな」
サラリーマンは目を閉じ願った。
「智美の元へ行きたい。智美の元へ行きたい。智美の元へいきたい。」
目を開けると手に拳銃を握っていた。
「そうか、そうだよな。今行くよ。」
銃声が町に響く。
「おじさん?!なんで!」
青年が話しかけても、もう既に反応がない。
そこにあるのは頭を銃弾で貫かれた死体である。
青年はそこから自分が何をしたか、よく覚えていない。気づいたら、避難所に戻っていて、気づいたら、地震は終わっていた。
震災後、グッドラッグは販売中止の薬になった。サラリーマンの人と同様に、残った遺族が後を追う形で簡単に死ねる薬として流行ってしまったからとの事だった。そもそもの話、病気などの症状に対して効果がある薬でもなかったため、悪用される事が多かったことも要因の一つらしい。
そして、青年は職を失うことになった。稀代の劇薬を作った張本人として、元から好かれていなかったこともあり、科学者として生きていけなくなったのだ。
手元に残ったのは、大きいだけの理想と大量のグッドラッグ。
青年じゃなくなった男の最後の願いは死にたいだった。
3.
「うわぁ、壮絶な話でしたね、博士。」
「そうだね。僕君はこの話をどう考える?」
博士が昔話を話し終わる頃には、夜になっていた。
「そうですね、思った事が実現するようになっても、結局幸せにはなれない人もいるんだな、と」
「本当に運が悪かったとしか言いようがないがね。まあ遅かれ早かれ、悪用されて、別の事件で禁止になっていたとも思うのは確かだが。人間なんてものは薄汚くて姑息で、最悪だから。何でもかんでも願いなんか叶えちゃいけないんだよ。私は性悪説を信仰するよ。」
「自分の幸せを実現するって事は、誰かの不幸せに繋がる可能性もありますもんね。悲しい事ですけど。」
「ああ、そもそも人間が得ていいものじゃなかったのかもな。」
そう言うと博士は薬をしまっていた棚に再び大事そうにしまっておいた。
誰も触れてはいけないようにと。
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