∞4【家族の食卓】

「ゆうべはどこ行ってたの、お姉ちゃん?」


 5歳になる弟エミルが牛乳を飲みながら、朝食の席についたアゾロに問いかけた。


 アゾロは弟の質問に答えず、弟の口の周りにいっぱいついた牛乳の白い膜を、自分の寝間着の袖口でぬぐった。

 この弟は、すぐお腹痛くなるくせに、毎食牛乳を飲む。

 以前、『どうしてそんなに牛乳をのみたいの?』と聞くと、5歳の弟は『お姉ちゃんよりも大きくなりたいから!』と答えた。

 なんでアゾロよりも大きくなりたいのかは、

 『ひ・み・つ♡』らしい。

 この時、小さな人差し指を唇に当てて器用に姉にウィンクしてみせた幼い弟に、アゾロはジゴロの才能の片鱗を見た。


「ゆうべはっ!どこ行ってたのってば!お姉ちゃん!」


 自分の質問に答えない姉に対して、幼い弟が少し癇癪かんしゃくを起こした。

 エミルのこういうところは自分とよく似ている…とアゾロは思う。

 母とよく似た弟の金髪は自分の赤い髪よりもきれいだけど…とも思う。

 しかし、アゾロはそれを口には出さない……。


 自分の中の懊悩おうのうを紛らわすかのように、わざと明るい態度でアゾロは弟に対してこう言った。


「ひ・み・つ♡」


 以前に5歳の弟に言われた口調をマネして、15歳のアゾロも言ってみた。ウィンクにも果敢かかんに挑戦してみたが、失敗し両方のまぶたが半開きになってしまうアゾロ。

 うえぇ…と牛乳を口からもどす仕草をしてみせる弟エミル。


「……あ〜ら生意気ね。なぁに?お姉ちゃんにかまってほしいのかな〜?ん〜エミル君?」


 アゾロは、いやらしい笑顔で両手の指をわきわきさせながら幼い弟に迫る。

 見紛うことなき変質者のムーブだ。


「きゃーお姉ちゃんのチカンっ!」


 5歳の弟は嬉しそうに、最近覚えたよくない言葉を言いながら椅子の上で体を反らして、迫りくる姉の抱擁から逃げようとする。

 よくない言葉を教えたのはもちろんアゾロだ。


「ふははは捕まえたぞう!さぁどうしてくれようかぁ!」

「ち、チカンされるぅ!あ、実姉あねにチカンされるぅ!」


 一見嫌がっているような素振りをしながらも、エミルはスキあらば姉の小ぶりだが形の良い乳房に小さな手を触れようとしてくる。

 それを分かっていながらワザと気付かぬふりをして、アゾロはエミルの両手を片手で塞ぎエミルの方からは手を出せない状態にして、一方的に弟の柔らかい頬に自分のすべすべの頬をすりつけた。


「や、やめろぉ!ヒキョウだそ、お姉ちゃん!」

「ふははは、悔しかったら己の手で脱出してみるがいい!まぁ、できぬであろうがなぁ!」


 お互いに頬ずりし合って、ふざけ合いじゃれ合う仲良し姉弟を横目で見ながら、母と父は大人しく朝食を摂っている。この姉弟のじゃれ合いは、この家のいつもの朝の風景の一部である。

 それに、弟はともかく『この娘には親がなにを言ってもムダだ』ということは、両親はこの15年間で十分すぎるほど分かっていた。


 今だって、アゾロは寝癖が付いたままの赤い髪を全く梳かさずに、寝間着のままで家族の食卓に現れた。

 きれいな色の髪なんだから櫛でこまめにいたら良いのに…と金髪の母は思ったが、目の前で朝食を食べている夫の寝癖の付いた黒い髪を見て、この親にしてこの子ありね…とため息をついた。

 夫はそんな妻を『何?』という顔で見つめているので、なんでもないわ…の目線を妻は無言で夫に送った。


 ……しかし、親として一つだけ。

 この仲良し姉弟の弟の方に、注意しておかねばならないことがあった。

 母と父は、お互いに目配せしてうなずき合い、代表して母の方がエミルに言った。


「……エミル。痴漢チカンというのは、『女にみだらな行為をしかける男』という意味なのよ。

女の子に使っちゃ、絶対ダメな言葉なの!」


 おっとりとした性格の母が、おっとりと言う。

 父も、ウンウン…と無言で頷いて母に同意を示す。


「……だからエミル。お姉ちゃんに言う場合は『この痴女ちじょが!』が正しいわ!」


 おっとりにっこり笑いながら、32歳の母が言った。

 そっちかよ…の表情を浮かべる35歳の父。

 実年齢よりも5歳は若く見えるアゾロの母は、こういうところが妙に不思議ちゃんなのだ。

 ちなみに父もだいぶ若く見える。


「……なんでやねん」


 聞こえないくらいの声で、アゾロは母に『ツッコミ』を入れる。その言葉は母には聞こえなかったようで、なぁにヘンね…という顔で母は一瞬アゾロを見ただけだった。


 母の言葉のせいで、アゾロは急速にさめた気分になり、自分の腕の中に捕まえていたエミルを離す。そして、アゾロは食卓の椅子に座って黙々と朝食を摂り始めた。


 アゾロから開放されたエミルは一瞬物足りなさそうな顔をしたが、姉の食事の邪魔をすることはしなかった。

 朝食をすでに食べ終えていたエミルは、一回姉の顔色を見た後で、「ごちそうさま!」と言って椅子から立ち上がる。エミルは、ねぼすけなアゾロが自室から降りてくるのを、台所で牛乳を飲みながら待っていただけなのだ。そして、姉との今朝のスキンシップを終えたエミルは、今年生まれたばかりの子豚と遊ぶために家の庭に出ていった。



 エミルがいなくなった途端に家族の食卓は急に静かになった。

 アゾロは両親となにも話さず黙々と食事を続ける。


 両親が娘に対してそうであるように、アゾロの方もまた両親に対して『この親には子供がなにを言ってもムダだ』と悟っていたからだ。




…To Be Continued.

⇒Next Episode.

≈≈≈


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