そして二人は一瞬の夢を見た

粹-iki-

そして二人は一瞬の夢を見た

 雨が降り続いていたある日のことだった。

 一人のスラリとした影が、水浸しの地面を駆けていた。


「っ……!?」


 無我夢中に走っていたそれは、目の前が崖になっていることにようやく気づき足を止めた。その下には海が広がり、崖までの高さは約10メートル以上もあった。影、基女はふと後ろを振り返った。そこには数台の車が停止し、そこからぞろぞろと黒服の男達が出てきては女へと近づいていった。


「もうここまでだ、命が惜しければ我々の元へと戻って貰うぜ、ロベルタ……」


「っ……!!」


 男達に詰め寄られたロベルタは、崖の下にある海へと飛び込もうとした。だが、背中を見せたのが運の尽きだった。男が拳銃の引き金を引き、金色に塗られた銃弾が彼女の頭を掠めた。


「はぅっ……!?」


 その影響で、ロベルタの体は後ろへと倒れ、頭を下にして海の中へと消えていった……。




 ある海岸沿いの道にて、せっかくの休日だからと男はドライブに出かけていた。だが、運悪く快晴だった天気は一気に雲行きを悪くして、やがて大雨へと変わった。もちろんそんなドライブも悪くは無いが、それはそれとして気分は少し下がるものである。何せ、休日という仕事にまみれた日常を忘れ現実逃避できる機会に、寄りにもよってこれである。男は、そんな気持ちのままではドライブの意味はないと考えていた。


「そろそろ帰るかな……」


 と言って、雲と雨で視界が悪くなった道を進もうとしたその時、


「っ……!!?」


 男は、目の前に映った何かを見て車を急停止させた。


「今のは……、人だったよな……?」


 男は、恐る恐る車から降りて、それに近づく。


「……」


 綺麗な女性だった。おそらく日本人ではないだろう。明るいオレンジのロングヘアが雨に濡れて、顔や肌にベッタリと張り付いていた。そんな肌だが、とてもじゃないが真っ白である。だが微かに赤みもあり、生命力は充分に感じられた。

 そんな彼女は、ブラウンの虚ろな瞳をゆっくりと男のほうへと向けた。男はその目を見てハッとなり、その女性を車に乗せた。


「その服、濡れてて寒いんじゃないか?僕の上着あげるから着替えて」


 女は男の上着を手にし、肌に張り付いた衣服を脱ぎ始める。


「着替え終わったら言ってください」


 そう言って、男は女性のほうから目を背ける。男の後ろからガサガサという音が聞こえては耳に入ってくる。


「着替えました……」


 はぁ……、と息を吐いた男は、再び彼女のほうへと顔を向けた。


「一体、ここで何をしていたんです?」


 男にそう質問された女は、一旦海を眺めた。その後、男の方へと向き直して口を開いた。


「分からない……、何も……」


 それを聞いた男は、再び女に問いかける。


「じゃあ名前は?、どこに住んでたとかは?」


 その質問に対しても、女は首を横に振っただけだった……。




「陽平さん、美味しい?」


「あぁ……、料理だいぶ美味くなったね、カレン」


 あの日からしばらくの月日が流れた。

 女は男、陽平と二人で暮らしていた。カレンという名前は陽平が彼女に対して付けたものだった。


「料理だけじゃない。日本語だって上手くなった……」


 陽平はカレンをいつものように褒め称える。そんな陽平に対して、カレンはただ赤面するのがいつもの流れだった。


「なんだか嬉しいわ……、でもごめんなさい、私……」


 と、照れていた彼女は少し暗い表情を見せた。陽平はそれを見てなにかを察した。


「あぁ……、気にしなくていいんだよ、なんだかんだで僕達は今幸せなんだからさ!」


「ありがとう、陽平さん……」


 と、再び照れた顔になるカレン。

 しばらくして、陽平はスーツに着替えて玄関の前で靴を履いていた。そんな陽平の後ろに、カレンが立つ。陽平は、そんなカレンのへと振り向いて、


「それじゃあ、行ってくるよ」


と、一言だけ言う。


「えぇ、お仕事頑張って!」


 と、カレンは笑顔で返すと、二人は互いの唇を重ね合った。そして唇を離し、陽平は家から出ていった。

 カレンは、閉まっていく扉の隙間に映る陽平の背中を見送った。


「行ってらっしゃい……」




 朝からしばらく時がたった。

 カレンはいつものように家事に励んでいた。彼女にとって家事は平凡ながらも幸せな日常だった。何よりも彼女にとって、平日に陽平の帰りを待つ時間が何よりも楽しいものだった。だが、それでも疲れるものは疲れるわけで、彼女は一休みするためにテーブルでうつ伏せになった。


「陽平さん……、早く帰ってきてくれないかなぁ……」




 その女は殺し屋だった。


「厄介な奴がまた現れた。頼まれてくれるか?」


「えぇ、どんな人かしら?」


 依頼があれば、その人物の元へ行き、その仕事を全うするのが彼女の日常だった。


「ごめんなさい……、あなたに罪はないけれど、その代わり楽に殺してあげるから……」


 そう言うと、女は慣れた手つきで男を殺していった。

 思えば彼女が親から与えられたものはいつも決まって殺しの術だった。この日常も、昔からの暮らしの延長でしかなく、それに関して彼女は何を思うわけでもなく、それが自分にとっても当たり前だと錯覚していたのだ。誰かを殺すことで感謝される日常が、彼女、ロベルタという人間を形成していたのである。

 ある日、彼女は珍しく暇な一日を過ごしていた。だが、殺しが日常だった彼女にとっては、そんな一日は逆に退屈なものであった。

 その一日の中、ロベルタは何となく街を歩いてみた。世間的にも休日でもあったその日の町は、家族連れやカップルに溢れかえっていた。至る所で笑顔が見られ、至る所で愛しあう男女の姿が見られた。それを見ていくうちに、彼女はある違和感を感じ始めた。


(なぜ私は、この世界に入ることができないのかしら……)


 彼女はこの世界から切り離された感覚を、この時になって初めて自覚したのである。

 それからの彼女は変わってしまった。躊躇していなかったはずの殺しに対して、初めて躊躇しだしたのである。だが、彼女は同時にあの世界に自分が入ることはできないことも分かっていた。

 それでも彼女は、だんだんとあの日見た日常に対するあこがれが強くなっていたのだ。その憧れがとうとう抑えきれなくなったとき、彼女はそんな日常から逃げ出そうとしていた。だが、彼女の過ごした日常はそれを許しはしなかった。彼女に指示を出していた者達は、地の果てまで彼女を追いかけた。そして、


「もうここまでだ、命が惜しければ我々の元へと戻って貰うぜ、ロベルタ……」


断崖絶壁に追い詰められた彼女は、追いかけてきた男の持つ拳銃から放たれる銃弾を頭に掠めて、それと同時に海に落ちたのである。

 それが、ロベルタとかつて呼ばれていた、カレンの過去だった……。




 カレンの目が覚めた。その瞳は、どういうわけか涙があふれていた。


「思い出しちゃったんだ、私……」


 気づけばすっかり長い眠りについていたようで、一気に日が暮れていた。


「そうよ、今の私にはこの日常がある」


 カレンは、急いで夕飯の支度をした。すべて思い出したとしても、彼女にとってはようやく手に入れた憧れの、幸せな日常であることには何も変わりなかった。この町でこれからもひっそりと暮らせればそれでいいと、カレンは思っていた……。




 しばらくして、陽平も家に帰ってきた。彼女のこの幸せな日常の中で、最も大切な存在となっていた陽平という存在。それは、彼女が記憶を取り戻しても変わりのないことだった。

 陽平が、彼女の作る料理を美味しそうに食べている。それを眺めて、カレンは微笑んだ。その様子に気づいた陽平は、カレンに呼びかけた。


「どうかした?」


「ううん、なんでもない……」


 何でもないからこその幸せというものを、彼女は今も感じていた。

 そんな中、陽平が箸を止めた。


「あのさ、明日せっかくの休日だし、町のほうに出かけてみない?」


「いいわね、行ってみたいわ……、あなたと色々なところに。何度だって……」




 翌日、二人は一緒に町へと向かった。

 特に特別なことはするわけではない。洋服店に寄っては好みの服を選んで、陽平の顔色の変化を楽しんだり、昼食を食べながらくだらない話をし合ったりといった、そんな休日を過ごしていただけだった。

 昼食を食べ終わった二人は、次に行きたい場所に向かって歩いていた。そんな時、


「っ……!?」


カレンが何かを察してあたりを見渡した。その様子を見て、陽平は不思議に思い彼女に声をかけた。


「どうかしたの?」


「いいえ、の姿が見えたかと思っただけよ……」


「そう……」


「行きましょう!」


 二人は再び足を動かした……。




 すっかり夜になった。

 二人は、あらかじめ予約していたレストランの席に座っていた。と言っても、予約をしていたのは陽平のほうで、カレンは道中でいきなりそれを知ったため、とても驚いていた。


「随分と豪勢なレストランじゃない……。結構したんじゃない?」


「まあね……、とりあえず何か注文でもしようか!」


 二人は、注文した料理を待つ。しかしながら、昼間までとは打って変わって陽平は何やらあわあわしている様子であった。


「ちょっと陽平?なんか昼間から変……」


 カレンが陽平をじーっと見つめる。


「はぁ……、さすがに覚悟を決めた方がいいよね……」


「えっ?」


 陽平は、服のポケットから小さな箱を取り出した。


「これって……」


 陽平は、何も言わずにその小さな箱を開いた。そこに入っていたのは、銀色に小さく輝いた指輪だった。


「もうそろそろ、君と本当の意味で家族になりたい……。君と同棲していくうちに、君を永遠に僕のものにしたいと思うようになっていった。改めてだけど、僕はあなたのことが好きです。世界中の誰よりも……」


 それを聞いたカレンは、その瞳から涙を流した。カレンは箱から指輪を取り出し、それを眺めた。彼女はそれを指にはめてみて、ただ一言だけ、


「大事にするわ……」


と、口にした。




 ディナーを食すカレンと陽平。ふと、カレンはあたりを見渡した。


「ねぇ陽平さん?」


「どうした?」


「少しだけ席を外すわ。すぐ戻るから……」


 そう言ってカレンは、陽平の元を離れた。陽平は気づいていないが、カレンが座っていた席のナイフがいつの間にか消えていた……。




 レストランの外に出たカレンは、先ほどから自分達を追い回していた気配に気づく。それを追いかけ、やがて彼女は二人の男に追いついた。


「殺し屋ロベルタがわざわざこんな町で恋愛ごっことはな……」


「こんなところまで私を探しに来たわけ?」


「当たり前だ、裏切り者は逃すと厄介なことになるからな……」


 二人の男と向かい合いながら会話するカレン。


「私は何もしゃべらないわ、ただこの日常の中に生きたいだけよ」


「残念ながら、それも今日で終わりだ……!!」


 二人の男が拳銃を構える。それを見たカレンは、穏やかだった形相を一気に変えて、二人に襲い掛かった。一瞬だった、男たちの手首は無罪意にもナイフで刺され、一人は頭部に別のナイフを刺されて死んでいた。当のカレンは、先ほど殺した男が持っていた拳銃を奪い取り、もう一人の男にそれを向ける。


「俺たちを殺したところで……、もう遅い。まもなくこの町に、お前を殺すために仲間がやってくる……。お前に……、平穏なんてやってこない!!」


「……そう」


 カレンは、拳銃の引き金を引いた。男の命の音が消えると同時に、それを止めた激しい音がその場に反響した。

 カレンの表情は、そのあとも暗かった……。




 その後、カレンは何事もなかったかのように陽平の元へと戻り、二人は帰宅した。


「今日は色々な事があったね……」


「えぇ……」


 そう返すカレンの表情は暗い。


「なんでだろう……、あんなに美味しい夕食を食べたって言うのに、今は無性にカレンの料理が食べたい気分になっている……」


「陽平さん……」


「いや、いいんだ!さすがにバタバタしたあとで疲れているだろうし……」


「いいわよ……」


 陽平の言葉を遮るように、カレンが口を開いた。


「陽平さん、何が食べたい?」


「えっ……、いいの?」


 困惑する陽平の言葉に対し、カレンは返す。


「いいわよ、なんだか今夜はそんな気分なの……」


 そう言ったあと、カレンはいつものようにエプロンを身につけた。陽平はその様子を見ながら、食卓へと移動する。台所からはジャージャーと音が鳴り響き、食欲をそそられる香りが鼻を通して陽平の体の中へと入っていった。期待値はもはや高い。やがてその香りが形になってテーブルの上に置かれた。


「オムライスだ……!」


 陽平の目が輝きだす。その様子を見てカレンは微笑む。


「一番好きだもんね、オムライス」


「嬉しいよ!いただきます!」


 ガツガツとオムライスを頬張る陽平の姿は、まるで母親の料理を待ち望んでいた子供のようだ。そんなことを思いながら、カレンは陽平の様子を見続けていた。


「ん?食べないのかい?」


「食べるわよ、あなたの美味しそうに食べる姿を目に焼き付けながらね……」


 それはいつもの日常と何ら変わりなかった。その日常が今夜限りで終わるということを除けば……。




 翌朝、カレンはベッドの上でゆっくりと体を起こした。隣には、昨日の夜にすっかり疲れ果て、眠り込んでいる陽平がいた。


『俺たちを殺したところで……、もう遅い。まもなくこの町に、お前を殺すために仲間がやってくる……。お前に……、平穏なんてやってこない!!』


「そうよね……。私にはそんな日常なんて、必要なかったわね……」


 カレンはそう言うと、すぐさま黒いライダースーツに身を包んだ。そして、ぐっすりと寝込んでいる陽平の頬にキスをして、こっそりと家から出ていこうとした。だが、カレンは一度振り向いて、眠っている陽平に向かって言った。


「愛してた。いい夢を見れたわ……。どうか幸せに……」


 しばらくして、外でバイクのエンジンが鳴り響いた。その音を聞いて、陽平はその目から涙を流した……。



[完]

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