第21話
ガチャン…。
扉が閉まる音が耳に届いた時、時計は1時5分を指していた。
そしてそれと同時に蒼衣は在原の腕の中にいた。
「あ、り、原、くんっ…」
背中から感じる熱。
どうぞと促されて、在原も玄関に入った瞬間に蒼衣が感じたのは、ドアの閉まる音と背中からの体温だった。
蒼衣の次の言葉を奪うように、というより、もう1秒も待てないといった方が正しいだろう、在原は絶対離さないといわんばかりに、強く抱きしめた。
「うん、我慢できなかった。蒼衣さんは俺のだって思ったら早く抱き締めたくて。早く家につけって、こんなに強く思ったことは無い。」
うなじに在原の息がかかる。
蒼衣は買ってきたものを落とさないようにするのが精一杯だった。
「大丈夫、いきなりとって喰ったりはしない。」
その代わりというように、抱き締める腕に更に力がこもった。
在原の腕の中にいるのは、華奢な柔らかい女の子ではない。
在原は今までも何度となく彼女を抱きしめるといったことはあったが、こんなに、逃したくないという思いで抱いたことはなかった。
一見細身に見えるとはいえ、相手は男だ。身長もそんなに低くはないが、それでも自分より一回りほど小さい。
力を込めたら、いやに骨格を感じて、しかし凄くピッタリとくる。本当はこのまま今すぐにでも組み敷いてしまいたい。
すぐにはしないと言ったばかりの言葉を撤回したい、そんな思考が巡るところをどうにか理性でギリギリで我慢した。
「蒼衣さん、キスしていい?」
「えっ、…んっ」
羽交い締めされている状態では体を振り向かすことができない。顔が向きかけたと同時に在原が蒼衣の顎を掴み、唇を重ねた。
チュッ、とリップ音を立て、在原が蒼衣を解放した。
「あ、あの、えっと、、」
なんともウブなリアクションをしてしまったものだと思うが動揺してしまっているから仕方がない。
とって喰ったりしない、と言う割には完全に飢えた獣のような勢いのそれだ。
続きがないことが、ホッとしたような残念なような蒼衣の胸中は複雑だ。
なかなかに強引なキスは、続きを想像してしまうようなもので、うっかり妄想がよぎって、その妄想で抱かれそうにもなっていた。
蒼衣も言葉にしたいが何を言葉にしたらいいのかわからない。
「いきなりゴメン、でも、もう俺、我慢しないから。あ、会社では別だけど。」
ポリポリと頭をかく仕草に可愛さを感じてしまう蒼衣は、もう俺も本当に好きなんだなと実感してしまい、ハハッと笑った。
「さ、上がって。ちょっと散らかってるけど。」
その目は、取り澄まして優しいような雰囲気を醸しながら、完全に
「うん、じゃぁ、お邪魔しまーす。」
「どーぞ。」
在原は返事をしながら、リビングにつながるドアを開けて、蒼衣を部屋に招き入れた。
一人暮らしの割にはそこそこ片付いている。
シンプル、というより、ものが少ない。
黒多めの家具で揃えられており、ワンルームの端っこに、これまた黒のリネンで整えられたフロアベッドがある。
ダイニング用の小さめのテーブルに2脚の椅子がセットでおいてある。これも黒が基調だ。
パソコンに疎いこともあって、パソコンやその他AV機器も、それ用の机はない。
ここ最近はデッドマーチに近いレベルの生活だったからか、服が多少散乱しているが、ゴミはゴミ箱に収まっている。
そして今朝も服を取り出して締めそこねたのだろう、クローゼットの扉が開いていた。
「やっぱエロ本って無いんだなぁ。最近は基本デジタルだもんな。」
ちょっと冷静になってきたら、部屋を物珍しく見渡してしまう。
「ちょ、いきなり何言うの?」
今度は在原が動揺する番となった。
「いや、男子の部屋定番アイテムかなと。ベッドの下にもないの?」
いいしなに、ベッドと布団の間をチラッとめくってみた。
「そんなこといったら前言撤回で襲うよ?」
「う、ええぇ?っと、今日は、ちょっと、流石に、ね?」
抱かれる側は蒼衣だと察している。抱きたいかといわれると、在原を抱くよりは抱かれたいとも思う。
そしてわからないなりにとりあえず準備とやらも必要なのはわかる、できれば心の準備もしたい。
「えー、待つの?」
ぶくっとむくれたような顔をした在原を、蒼衣はやっぱり可愛いと思ってしまう。アラサーのいい大人なのに。
「あ、いや、えっと、」
「大丈夫、冗談。今まで不安にさせちゃったから、もうそんな思いはさせたくないし。青衣さんのペースでいこう。」
「在原くん…。」
蒼衣に、全て言わなくてもわかっている、そんな空気で言われてしまうと、ジーンと心に染み渡る。
「ま、とりあえず、飲み直しましょ。はい、ビール。」
まるで何も無かったかのように、在原は缶ビールを差し出した。
「ありがと。」
「んじゃ…」
カショッ!プシュッ!缶のプルタブを上げて小気味良い音が2つ響く。
「「乾杯!」」
鈍めの金属音を聞きながら、ビールを喉に流し込む。
軽く飲んできた筈だが、在原の家につくまでに色々あった。そのせいか喉が乾いていたようで、蒼衣はまるで一杯目のビールを飲む気分になっていた。
「そういえば在原くん、なんか食べ物買ってたけど何買ったん?」
「あ、お好み焼き見つけたからそれと、オムライスと、」
袋をガサガサ漁りながらテーブルに出す。
スタイリッシュなテーブルセットのはずだが、無造作に並べられたコンビニ飯。それも時間帯を思えば少しヘビーだ。
「さすがに、この時間にガッツリ過ぎねぇ?」
「いや、2人で飲み直すんだし、居酒屋はおつまみ中心だったから炭水化物を食べたかった。」
「あぁ、それもそうか。って、だからデカくなるんじゃ…?」
最近なんとなく大きくなったような気がする在原の体型をチクリと刺す。
「それは違う、いくら俺でも流石にこの時間には食べないから。」
「え、でも最近ちょっとデカくなってない?」
「気のせいだと思うよ。むしろ、一応腹筋してるからちょっと硬くなってきたし。ほら。」
触って、という様に蒼衣の手を掴んで在原は自分の腹筋に蒼衣の手を寄せた。
「ちょ、あ、確かに硬い。って筋トレマジでしてたの?」
「してましたともさ。蒼衣さんの前で脱いでもだらしなく無いようにね。」
蒼衣の驚いた顔に少しむくれたように口を尖らせた。
「悪かったって。ゴメンナサイ。食おうぜ!」
「もう…。ま、いっか。」
在原の諦めと同時に蒼衣はお好み焼きの蓋をあけて食べる気満々で箸をつけ、口に運ぼうとした。
が。
「うん、うま。」
在原の声だった。
蒼衣の腕を掴み自分の口に入れるということをそれはナチュラルにやったものだから、蒼衣も流石に
「ちょ、在原君、俺の!!」
「あは、まぁまぁ。わりと美味しいよ。はいあーん。」
シレッと一口取って蒼衣に向ける。
「新婚かよ!」
ニヤッと笑った顔に、やめるつもりはないと察した。が、恥ずかしい。
誰が見てるわけでもない。ただ在原は無言で、逃げられなさそうな笑顔で蒼衣に食べさせようとしている。
「…うー。」
この野郎、そんな目を向けながら食べた。
「ね?なかなかイケるでしょ?」
味の感想を聞かれても、味わえるほどメンタルは強くない、というか場馴れしていない。
「ね?じゃない!恥ずかしくて味がわからん!」
「うん?おかわりいる?」
「自分で食べさせてくれください。」
「あはははは、冗談だって…んっ。」
チュッ。
在原の言葉が紡がれる口を塞ぐように蒼衣は自分のそれを一瞬重ねた。
「…仕返し。」
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