第18話

「…ぅああ"あ…」


きりが見えたのと、予定通りの進行、いや、それ以上の軌道に乗せることができたことに安堵あんどし、椅子のリクライニングの固定を解除して全開にもたれかかりながら蒼衣は凝り固まった体を伸ばした。


「蒼衣さん、なんて声出してるの?」


在原は突っ込みながらも軽く笑い声混じりだ。やはり軌道にのせることができたは大きい。


「いやぁ、四十しじゅうが目の前にくると、体のガタがくるのよねぇ。在原くんも気をつけておいた方がいいぞ?」


肩を揉み込み、敢えてジジ臭い姿を出す。


「いや、蒼衣さん本当にその年には見えないから。」


「そう?」


「うん、そう。」


あれから2週間、毎日残業続きで、最初の数日は終電で帰っていた。


「ほい。陣中見舞い。すまんが俺も先に上がるわ。」


いいしなに小林が栄養剤を置いていってくれたのは先週水曜日のこと。


その金曜日には細谷と小林が、会社近くのおにぎり屋さんで買ったおにぎりを差し入れてくれた上に、多少ならと、22時頃まで手伝ってくれた。


22時でも蒼衣と在原は画面とにらめっこだった。


土日はビルの守衛が常駐しておらず、上長の判子が何個も為に、休日返上はせずに英気えいきを養う日にしようと話し合った。


このミスの一件から、蒼衣は態度を普通に戻せた。


在原も無駄にアピールすることもなければ、今まで通りに戻っていた。つまりとしては、普通だった。


ちょうど蒼衣は家で、荒んだ部屋の掃除をして、多少でも作り置きをするか、とぼやぼやしていた土曜日の昼下がり。


心配をして諏訪が蒼衣に連絡をして、カフェに連れ出していた。


「体は大丈夫?大分ハードだったんじゃない?って、心配しながら呼び出しちゃったんだけどさ。」


「うん、流石に今朝起きたら体がギシギシしてたわ。でももう大分回復したかな。」


「さすが元気が売りな体力オバケ。」


「どうとでも言ってくれ。」


そうは言っても流石に体が完全に回復したわけではない。


ラテアートで出してくれるお店だから、いつもはブラックを選択する蒼衣もさすがに今日は癒やしを求めてカフェ・ラテを頼んでいた。


優しい泡に、美しく何重にも線が描かれたリーフモチーフアートがほどこされたカップを片手に持ち、ホッと一息ついて口をつけた。


あぁ、勿体ない、この形崩れる瞬間って寂しいんだよなぁ、と欠けたモチーフを見つめた。


「あんたって、豪快にさっさと口をつける割にその後見つめんのね。面白い。」


「いやいや、きれいだなぁって思いながら飲んだけどな?当たり前だけど飲んだらかけるんだよなぁって思ってさ。」


「当たり前だね。」


「わかってるってば!」


諏訪は蒼衣をいじることが趣味のようで、よくいじる。


しかし不快を覚えるところまでは来ないし全て笑いに昇華しょうかしてくれるから甘んじていじられ役ができる。


「で?」


「ん?」


「ん?じゃないわよ。在原くんと大丈夫なの?」


「…まぁ、今のところ。」


「何よ、今の間。無理に話せとは言わないけど、ここは、一応何を言っても大丈夫な場よ?」


諏訪は蒼衣をお見通しとばかりに、穏やかに笑みを浮かべて、次に継ぐ言葉は、在原とのことでも、話を逸らしたければそっちの言葉でもいいというように蒼衣をみやった。


カフェは程よく混み合っており、ちょうどいいざわつきもある、そしてお客さんはみんな銘々の話に花が咲いている。誰も他の席の会話など気になりもしない、目の前の話に夢中だ。


「本当に、しおりんには敵わんよ。」


「私の存在をありがたく思いあがたてまつたまえよ。」


「ははぁ〜。」


腰に手を当て踏ん反り返る諏訪に悪ノリする蒼衣も、手を合わせて諏訪をおがんだ。


「ま、冗談はおいといて。正直なところ、俺、アイツのことが…ね?…多分、す、好きなんだよな…って気づいてからどうしたらいいかわからんくなったんだよ。って、察してただろうけど、やっぱ引く?」


「いや、引くどころか早くくっつけと思ってたわよ。なんならコバやんセットも。ま、あそこはくっついた時点で熟年夫婦になってたけど。」


「へっ?!ぅえぇえええええ?!マジで?」


ザワッと周りの目が2人に集まった。


「声でかい!え、あんた気づいてなかったの?」


制しながらも、気づいていなかったことに対して驚く諏訪に、声のボリュームを絞って問う。


「え、うん、いや、え?マジで?え、いつから?」


「んー、あんたがモヤモヤして皆で集まったあたりかなぁ、具体的な日までは知らないけどね。」


肘を付き、明後日の方を見やりながら、どうだったっけかと思い出していた。


「マジかぁ、確かにあそこは阿吽あうんの呼吸というかなんというかだったもんなぁ。」


「あんた達もそう見えてたんだけど、なんか拗れてたわよねぇ。」


「うん。拗れが完全に解消したわけじゃないけど、それよりも目の前のことに追われてね。ホント、ガチ凹みよ、今回は。」


あぁ、と顔を抑えて天を仰ぐ。


「珍しいと思ったけど、一段と変だったもんねぇ、あの辺り。」


「うん、五十嵐さんにも言われた。」


「五十嵐さん意外と見てるからねぇ。」


「しおりんもだけど、俺はマジで周りに恵まれてるよ。やればできるけどやらない上司もいるし。誰とはいわんが。頼れる同僚もいるし。お陰様で少し巻き返しが見えるくらいだ。」


細谷と諏訪が、少しなら手伝えると蒼衣のチームフォローをしてくれたりと、他の面々にもサポートをかなりしてもらった。


お陰をもって、進捗も予定を大幅に上回った。


だからこそ、余計にこの土日をしっかり休みに当てて、また翌週の残業に備えることができた。


「なんかさ、あの居酒屋のあと、丁度在原君と話ができたからさ。きちんと話してみたわけよ。」


「うん。」


「でもさ、お互い確信に触れる話まではしてないわけだ。」


「うん。」


「踏み込んだ方がスッキリするだろうけど、でも、さ?関係が関係なだけに怖いし。在原君も結局何考えてるかわからんし。でも俺に対してだけは熱量すごいんだけど、省エネだし。」


思っていることをポツリポツリと吐き出す蒼衣の言葉を、諏訪は次を促すでもなく聞くに徹する。


「それがあんたらのペースなのかもよ?今はとりあえずあの仕事を挽回させて、それから次を考えたらいいさ。どのみち頭回らんでしょ、そこまで。ってか、蒼衣は女子で言う恋愛体質でも無いし。」


「そっか。そうだなぁ。流れに身を任せる事にして、とりあえずは、本当にこのしでかしをどうにかせねばな。」


「それがいいよ。」


とりあえず目の前のことを片付けるまでほっといていいんだと結論付けて、諏訪とひとしきり笑って帰宅した。


リフレッシュして頑張った、あのミスから2週間後の金曜日の今日、つまり諏訪の呼び出しの翌週になる、只今の時刻は22時38分。


返事をした在原は、片付けながら提案した。


「蒼衣さん、よかったら軽くご飯でもいこう。やっと落ち着けるし。」


「そうだな、俺も腹減った!」


「よかった、拒否されたらどうしようかと思った。」


「えっ?」


「いやだって、」


お互いに触れなかったところにとうとう踏み込む瞬間が来てしまった。


「あー、うん。すまん。」


「いいよ。とりあえずご飯いこう。」


なんとも言えない空気が一瞬漂ったが、まずはご飯だと、身支度を整え、二人は会社を出た。

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