第16話

目、目が見れない…。


今は10時。

蒼衣は昨日の今日で在原の顔が見れなくなってしまった。


姿を見ただけで顔が赤くなるし心拍数が上がるのだ。

だから、蒼衣はそれを隠すように、在原の姿が見えるや否や、サッと顔を背けてパソコンを凝視した。


プチミーティングでも目線は下の方をずっとみていた。


諏訪にどうしたのか、調子悪いのかと問われもしたが、大丈夫、本当に大丈夫、と答えてそそくさと席に戻った。


諏訪は何か言いたげだったが、それも気づかないふりだ。


一方の在原はき物が取れたかのように蒼衣に声をかけようとするが、いつもは目が合うだけで来てくれる蒼衣に顔をそらされる。


まだ始業から一時間しか経っていないが、それは既に一回や二回ではない。


「蒼衣さん、ちょっといい?」


声をかけられた蒼衣がビクッと肩を震わせながら、


「あ、あ、あぁ、ごめん、今無理!」


といつもより声が大きくなる。


なんだなんだ?とチラホラ視線を感じたが、見えなかったことにする。


一応、山本のサポート中だったが、実際のところ対応自体は終わりそうなタイミングだった。あとちょっと手をかければ山本一人で問題ない状態まで見えていた。


そしていつもなら「ちょっと待ってくれたら行けるー!」と答える筈の場面だった。


山本も周りと同様に、どうしたのかとチラッと蒼衣を見上げたが、その視線も気づかないフリを決め込んだ。


「…多分ここ、こうしたらいかないかな?」


とキーボードをカタカタ打ち込みをする。


「あ、ホントだ!後はこっちに行けばいいんですよね!!ありがとうございます!これで先に進むーー!」


大きい声でお礼を言う山本に、頼むからもっと声を小さく言ってくれと心で呟いた。


「あいよー。んじゃあとよろしくね。」


と、言ったはいいが、一歩動いたところで足が止まる。


山本も理解して進み方もわかった、となると蒼衣はサポートから開放されて手が空くことになる。


それはつまり在原の方に行かなくてはならないことになる。


あえて遠回りしようとしても在原の席を通らないといけない。


すぐに戻るにも、自分の席の横が主任席だから絶対に目が合う。


どうする?どうすればいいわけ?


山本の席から動こうとして固まった状態になった蒼衣を不思議に思い、山本が声をかける。


「蒼衣さん?おーい、蒼衣さーん?意識ある?」


「あ、ある。あるある。スマン、ちょっと考え事しちまった。」


「ならいいですけど、無理しちゃだめですよ?ここ最近蒼衣さんなんか変だし。蒼衣さんいなかったらこのチームは主任と一緒に路頭に迷うから!」


チクリと在原の動かなさを揶揄やゆされたが、それに反応する気概きがいもなかった。


「う、うん、ありがとう。色々スマンな。」


むしろ返す言葉に困り、ちょっと手刀を切るように謝った。


蒼衣はその会話の間で、少しでも在原と目が合う時間を遅らせるために遠回りしてチームの様子を見るふりしながら席に戻ろうとした。


ほんのわずかな抵抗だ。


時間にしてもものの数秒しか変わらないはずだがそれでも無駄なあがきをしたかった。


「蒼衣さんちょっといい?」


やはり声をかけられた。


勿論それは在原の席をそそくさと通り過ぎようとしたところだった。


椅子のリクライニングを倒すように使い、蒼衣を見て止めた。


ギクリと肩を震わせて足を止めた。在原は椅子をもとに戻しながら普通にしている。


しかし、蒼衣は在原の方に体は向けるが目をみれなくて、なんとなく目線を下の方に下げながら返事をした。


「な、なに?」


蒼衣の声が上擦った。


「うん、前に言ってたやつ、本部から1個回答きたから確認して欲しくて。これね。結構重めだから。」


在原はごく自然にパソコンの画面を差し出した。


「あ、あぁ、そんなのあったね。」


仕事仕事と、頭を切り替え在原のデスクに手を付きパソコンに目を向けた。ちょこちょこと本部に確認する事項はあり、その回答のうちの1つが来たということだ。


「うん、ファイル見ていいよ。はい、マウスね。」


ワイヤレスのマウスを差し出した在原の手が、蒼衣の手にぶつかった。


「ふぁわぁっ!!」


大音量の蒼衣の声に、またもザワッと社内から視線が集まる。


「ごめんなさいぃぃい、何でもないです!ごめんなさい気にしないでくださいお願いですすみません!」


蒼衣が謝ったが、大音量での蒼衣のリアクションに在原がポソリといった。


「もうちょっと普通がいいんだけどな。意識してくれてるなら嬉しいけど。」


こっちも、ドサクサに紛れて公私混同発言だ。


「いや、ゴメン、本当に。」


何に対してかはあえて言わずにとりあえず謝った。今の蒼衣にはキャパオーバーの状態である。


こんな感情を、しかも会社の同僚に持ったことはなかった。

だから本当に身の置き場に困ってしまっている。


「うん、いいんだけど。とりあえずこれだけはきちんと確認しておいて。後で支障をきたしそうだし。」


「わ、わかった、ありがとう。」


目線が左右に揺れる蒼衣をみて、在原がなんとも言い難い表情を浮かべてた。


そっと、少しは集中できるだろうとあえて席を立った。そして向かった先は小林の元。


「コバー?ファイル1個開かないんだけど。ロックかけてない?」


自然と席を立った在原に、この野郎と言う思いと、ありがとうとが混在してわけがわからなくなった。


心臓がバクバクと五月蝿うるさくて、全くもって内容が入ってこない。


頭に叩き込まないと、ミスったら面倒になる内容だ。


気を取り直して読み直し、納得した、と思い込み自席に戻った。


その後も、在原を意識しすぎるあまり仕事に身が入らなかった。


避けるように見ないように立ち振る舞い、いわば心ここにあらず。


蒼衣の意識がそっちに集中するあまり、自分がすべき処理と確認がいつもより雑になっていた。


共有されていた事項も、自分から確認したいといったはずで、普段ならこれだと気づくはずのものさえ、見落としてしまっていたことに気づいたのは、翌日だった。

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