第12話

普段から蒼衣は愚痴らず人のことを下げるようなことも言わない。その蒼衣がこぼした。


細谷が、その辛さを受け止め、外から見ていても、あまりにも居た堪れなかったことを伝えた。


「最近つらそうだっていうのは見てて思ってたんだー。しおりんと業務の話ついでに大丈夫かなって。コバにもなんかできないかなぁって言ってたんだ。」


「ただ、こっちから出過ぎると蒼衣さんは多分大丈夫しか言わないだろうからって、ほそやんには動くのは少し待てと止めた。」


小林の言う通り、蒼衣は大丈夫と答えただろう。


「でもねー、私も見てらんなかったのよ。この一週間位でいきなり目が死んでるんだもん。」


それぞれが蒼衣の心情をおもんぱかって言った。


「察しはついてるけどね。在原くんと急にギクシャクしてるわよね?それかなって思うんだけど。」


肩を落としたまま、蒼衣は笑顔だけ浮かべた。


察しがいい諏訪。細谷も在原の独占欲に気づいていた。というよりも気付かされた事件があったからこそ、不思議に思っていた。


在原が休みをとっていた日に、よかれと思って細谷が動いたことがあった。


それはサブリーダー以上で確認してほしい内容の共有だった。


この確認も、期日は数日あったが、できれば早めにということ、確認次第に上長報告が必要だった。


在原が出勤してからでも恐らく問題はないのだろうが如何いかんせんの確認と報告とが必要と見て、蒼衣さんの分もやっとくかと動いたのだった。


翌日、在原が出勤したところで、在原に報告した。


「あ、在原おはよー。これ、蒼衣さんに伝えて、報告しておいたからー。」


「おー。ん?何?どれ?」


挨拶もそこそこに何のことかをたずねた。


「昨日の主任用メールにあったやつで、あー、これこれ。」


パソコンを二人でのぞき込み、指を刺されたものを在原が開く。

休みの日に何か急な指示や確認、報告が必要になることは当然ある。基本的に主任を介しての報告となるが、その主任が休みの場合、別のチームの主任が取りまとめて報告を上げることがある。


「ん?なんだ、まだ日にちあるじゃん、別に昨日じゃなくても。」


「一応早めにってあったから、さ?」


在原から感じる空気が、ちょっと雲行きが怪しくなった。細谷は、あ、これはやらかしたと思ったが時既に遅し。在原は、腕は組んで、チラッと目線を細谷に向けた。


「ありがとう、でも蒼衣さんはだから。」


にっこり笑ってるはずの笑顔が、お礼を言われているはずなのに物とてつもなく嫉妬と独占欲を丸出しにした雰囲気に気圧けおされた。


まるで、俺と蒼衣さんの間に入ってくるな、勝手をするなといわれた気がして細谷は何も言えなくなったことがあった、それは3週間ほど前のこと。


今思えば、なんとなく刺さる視線や言葉を感じることがあると思っていたが、この件で気づかされた。在原はもしかして…?と。


そしてあの顔を思い出すたびに、細谷は背筋がゾワッとするのだ。


「何があったの?ついこの間まで在原って蒼衣さん独占欲丸出しだったよねー?」


それを踏まえた細谷が聞いた。


「独占欲ってまた大げさな。んな俺たち付き合ってるわけでもあるまいし。」


ひらひらと手を振り、ないないとジェスチャーを足す。


「いや、俺はよく蒼衣さんは俺のだアピールをよく喰らうんだけど。」


「俺はほそやんほどじゃないけどな。」


2人がまるで被害者の会よろしく言い出した。


小林にもちらほらとあるようで、蒼衣とたまたまくっつくレベルで近くにいたときには、飛んできた視線が痛かった。


独占欲というよりは、嫉妬の方が正しいが。


時折、「自チームのうちの」とは言うが、、と言う言葉が隠れていると小林は思っていた。


「私も無くはないけど。それだけの仲なのに蒼衣は在原くんと何があったの。喧嘩でもした?」


諏訪も被害者の会に片足を入れつつ話を戻した。諏訪の場合はお互いにツーカーの仲であり同姓と話している感覚で接している。


外から見ると、人は付き合っているように見え、時折噂も出ることがある距離感だが、互いに付き合うタイプとしては論外としている。


そのことは在原もわかっているはずだが、やはり嫉妬視線が飛んでくることがある。諏訪はそれをわかってわざと距離を縮めてほくそ笑んでいることもある。


「喧嘩?してた方がマシだよ。なんにもないんだ、本当に、なんにも。」


蒼衣は少し遠い目をした。力ない笑いとともに。


「どういうこと?」


「いや、それ以上の言葉がないんだよ。俺、何かしたんかなぁ?さっぱりわからん。」


「じゃぁ本当に何もないまま急におかしくなったの?あれだけ在原くんがあんなに蒼衣にべったりだったのに?」


諏訪が、隣にいる蒼衣の腕をがっちりと握り、目をしっかりと見て詰め寄る。


「いや、しおりん、近い近い。それにべったりって言い方。」


諏訪の言葉を拾い、距離感が急に近くなった諏訪の前に、身体を引きながら手のひらを出して停止させた。


「ねぇ、ちょっと話それるんだけどさ?さっきから思ってたんだけど、蒼衣って今まで何にも感じなかったの?」


完全にホールドしていた腕を放し、驚きとあききれを混ぜたような諏訪の表情で諏訪が聞く。チラッと伺ってくる目線が微妙に痛い。


しかし蒼衣も大概自分のことには鈍い。


「何かって?」


「「「え?」」」


今度は3人同時に目を丸くして蒼衣をみた。


「へ?何?」


蒼衣は一人ぽかんとさせられた。


「うーん、そうか、あんたそういう人よね。何も感じてないなら仕方ない。」


頭を抱える諏訪に蒼衣がただす。


「いや、だから何が?」


さっぱりわからない、という反応をしめす。


「そのうちわかると思うよ。あえて言わないでおくわ。」


半分面白がるように、蒼衣に答えを与えなかった諏訪に蒼衣がせまる。


「何?なんなん?気になるじゃん!」


「うん、蒼衣さん自分に起きてることには鈍いんだね。あんだけ人の状況察するのめっちゃ早いのに。」 


「コバさんまで?何?!俺、何やらかしたの?」


「やらかしてはないと思うよー。」


「ますますわからん。」


細谷もどうやらわかっているようで、何も気づいていないのは蒼衣だけ。


さっぱりわからず、頭を悩ませるが、ここまで砕けた空気になると、腹を割って自分の心情を言ってしまってもいいかと、蒼衣は本音をこぼした。


「でもさ、本当に限界だよ。この状態が続くならさ。ぶっちゃけ、何回も飛ぼうかと正直考えたよ。ホント、俺は何をしたんだろうね?」


何も視界に入れていないような目をして、視線を上の方に向けた。


飛ぶ、とは、急に連絡もなしに会社を休みそのまま退職してしまうことだ。大人としてはあるまじきなのだが、稀にそういう人もいるのが事実である。


「それはやめなさい!」


さっき開放したはずの蒼衣の腕を再度ホールドして本気で諏訪が止めにかかった。


「転職に不利だから、いや、そうじゃなくて、それ以前にあんたいなくなったらまじで困るから。」


「そうだよ!蒼衣さんいなくなったら困る!」


「うん、それはマジで。」


細谷と小林も前のめりになり真剣に引き止める。


「でももう俺はやってける自信皆無。俺の代わりなんていくらでもいるから。」


少し自棄やけを起こしたように半ば本気とも取られるような蒼衣に、小林が諭した。


「蒼衣さん、もう少し在原の奴を待ってやってほしい。あいつはあいつで、何かないとこんなことにはならないと思うから。ただ、完全にやり方は間違ってると思う。そこ煮るなり焼くなり、殴るなり蹴るなりぶん投げるなり好きにして。」


「コバさん優しいなぁ。彼女にしてもらおうかなー。」


小林は、この数時間の間に、まるでデジャブーのように同じ言葉を浴びせられた。


「それはダメ!!」


細谷が小林は渡さないと言わんばかりに小林にしがみつく。本当に細谷は小林が好きなんだなぁと蒼衣は思う。


「ほそやん、あんたはコバさん独占禁止法ぶち破りすぎだから。」


「コバは俺のー!」


完全にぬいぐるみを離そうとしない子どものように、細谷は更に小林に抱きついた。


「はいはい、酔っぱらいは落ち着け。」


やんわりと離れるように促したが、とりあえず腕はつかんだままの細谷が目の前にいる。まぁいいかと、細谷をそのままに、もう一度小林は蒼衣に言った。


「俺もどうしてあんな状態になったのか原因はわからん。ただおかしいとは思って本人にも聞いたけど、どうしてか自分でも思いつめてるみたいだから。しんどいとは思うんだけどさ。」


「そうだね、在原くんは在原くんで何か思いつめてるのよね。いっそのこと、直接聞いてみたら?」


諏訪も続いた。


「聞くって…。」


「案外ストレートに聞いた方が、解決し易いかもねーって俺は思うなー。」


解決するようなしないような細谷の言葉に、そうかぁと、なんとなく話してみようかと思い始めた。


「在原にはキツく言っとくから、蒼衣さん、苦しいと思うけど、本人と直接話すのが一番いいと思う。」


小林がそう締めたところで時刻は23時、今日はお開きとなった。


話しかけて、スルーされないかが一番怖い。帰りの地下鉄で、座席に持たれながら考えていた。

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