第11話

20時20分。

「お、来た来た!!」


小林の姿を見るなり細谷が見えない尻尾しっぽを振るように反応した。


会社からほど近くにある、24時まで営業している居酒屋に蒼衣たちは集合した。この店はちょうどいいガヤガヤ感でうるさ過ぎず静か過ぎずで話しやすいと諏訪がよくチョイスするお店だ。


「お待たせ。」


「勝手にビールにしたけどいい?あ、ちょうどきた!コバさん早く座って、はいビール。」


みんなに向かって言った小林に、諏訪が先に注文していた飲み物の確認をした、というよりはほぼ強制的にビールを渡す。


「サンキュー。」


返事をしながら、小林が細谷の隣に座る。


細谷の向かいに蒼衣、そして蒼衣の隣に諏訪が座っている。


先程の在原との会話はそっと片隅かたすみに置いて。

蒼衣の反応次第でどう引き出すか、それが小林の中での大義たいぎだった。様子を見ながらだなと、笑顔の裏にミッションを隠した。


「よし、じゃぁみんな揃ったし飲み物もちょうどきたから…」


諏訪が仕切り役で、蒼衣の隣に座りながら、店員さんを呼び出すボタンをこっそり自分のところにおいていた。こういうところで、さりげない気配り屋だということがよくわかる。


諏訪の言葉を合図に4人はグラスを合わせた。


「「「「かんぱーーーーい!!」」」」


ビールは一口目がとにかく一番美味しい。


仕事終わりに、キンキンに冷えたグラスに注がれた程よく苦味と切れ味のある琥珀色こはくいろの炭酸を、喉がカラカラの状態に流し込む。


泡が消える前に乾杯をして、グラスを離さずに一気に半分くらいを銘々めいめいが喉に流し込んだ。これが一番ビールを美味しく飲む方法ではないかと思っている。


「あ~、やっぱ仕事終わりのビールって美味しいわぁ。沁み渡るわぁ。」


「しおりんはビール飲んでる瞬間はおっさんだな。」


グラスを置くなり言う諏訪に、蒼衣が思わず突っ込んだ。


「うるさい!」


「お食事のご注文はいかがですかー?」


ちょうど元気な店員が注文を取りに来た。そろってメニューに目をやる。


「さぁて何食べようかなぁ、あ!カマンベールの揚出あげだし頼んでいい?」


「え、何それ!いいね頼もう!!あ、あとから揚げとスパイシーポテトとヤンニョムチキン!あ!角煮がある!角煮もお願いしまーす!」


諏訪に反応した細谷が追加した。大体にぎやかになるのはこの2人のマシンガンが発動する時だ。


メニューの候補を上げ始めると、お母さんスキルを発動するのは勿論小林だ。


「お前は本当に野菜食わねぇな。シーザーサラダと、枝豆。蒼衣さんは?」


バランスを取ってサラダを注文する小林に、細谷がえー?と横で文句を言いたげにしているがスルーして蒼衣に振る。


「だし巻き卵。」


「もっと元気出るもの食べなさい!」


居酒屋にくると食べたくなるのがだし巻き卵の蒼衣だが、今日は蒼衣を元気にする会でもある。


諏訪がもっとガッツリ食べろと言ってくるが、蒼衣にとっては、細谷が十分ガッツリしたものを頼んでいるからシンプルなものを頼みたかった。


「いや、ほそやん頼んだものかなりガッツリしてない?あ、焼き茄子もお願いします!あとチーズ明太子のだし巻き卵と、サーモンのユッケ。」


「そんなにだし巻き卵食べるの?あ、餃子ある!!食べる人ー?」


諏訪が突っ込み、うん、うまいじゃんと蒼衣が応戦したが餃子に負けた。


「俺食べる!!」


ひと通り注文して、とりあえずは世間話と仕事の話とで時間が過ぎる。


前の所長って絶対ヅラだったと思う。


誰がいったか皆が納得し下らない話で盛り上がり、蒼衣の顔も、少しマシな表情になってきた。


22時3分。


「で?」


不意ふいに、会話の切れ目で諏訪が蒼衣に聞き出した。


「あんた、つぶれかけてんじゃん。」


「ん?まだ、全然飲めるけど?」


グラスを持ち上げて揺らしながらまだ3杯目だしとアピールした。


「そーじゃない!聞くか流すか迷ったけど。多分聞いた方が解決するかなって思ったんだけど、どう?」


勿論、蒼衣がわかって冗談で返したが、本来の目的は蒼衣の心を少しでも軽くすることだ。だから、細谷と小林も2人の予定を取りやめてこっちにシフトさせたのだ。


「そうだね、蒼衣さん、もし大丈夫なら。」


いつもはどこにいてもにぎやかな細谷も、無理強いはしないけど聞く態勢を作る雰囲気の声を出した。


「本当にみんな優しいなぁ。」


にっこり蒼衣は笑ったが、その笑顔を貼り付かせたまま、ポロリと涙があふれ出てきた。


決壊けっかい寸前、極限状態でたもっていたところに、1滴の水が落ちた途端とたんにこぼれ出すグラスのように、蒼衣の目からハラハラと、こぼれた。


「すまん、こんなつもりなかったんだけど…すまん、ちょっと待って。あーーー。」


蒼衣の次の言葉を誰も急かさず、ただただ蒼衣が抱えてしまった気持ちを受け止めるための時間が流れた。


「ははっ、まさかこんな40手前の男がこんな泣くとは。 思わんかった。」


少し落ち着いた蒼衣がポソリとつぶいて、天を仰いだ。蒼衣は、どうしてこんなにこたえるのか、自分でもよくわかっていない。


今までの経験でもここまでの表面張力ひょうめんちょうりょくギリギリで揺れていたことはなかった。


過去はこの状態でえることなくすぐに溢れてしまったので、逆にすぐに対処できたが、色々経験して良くも悪くもこらえることを覚えてしまった。


今までもコミュニケーションをしっかり取れなかったり、一方的にこの人は俺のこと苦手なんだろうなという相手はいた。


しかし、ここまで悩んだことは無かった。


ここ最近、胸をざわつかせたこともあったが、それが何なのか、急に在原の態度が変わった原因もよく分からず、それに振り回されていることが頭の9割で、どうしてここまで思考が在原ばかりなのかもわからない。


いや、もしかするとと思ったことはあるが、それは無いだろうとも思った。意識をすればするほど仕事ができなくなるし、ましてお互い男だ。


在原に彼女がいたことも知っているし、自分の恋愛対象も女性だと思っている。


だから、総合的に考えて、よくわからないというところに片付けてしまっていた。


それがよくなかったのか、ずっとグルグル考えさせられることになっていた。とうとう蒼衣はできるだけ人の前では言いたくない弱音を吐いた。


「はぁ、わからんのよね。もう色々しんどい。弱音も愚痴も言いたくないんだけど。きっつい。」

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