第13話

就業時間はとっくに過ぎた20時55分。


本当はもう少し早く帰れる予定だったのだが、別のことが起きてしまった。

相川のチームの高橋が先方せんぽうとのやり取りがうまく行かず、とりあえず対応を別のものに代わってほしいと言われてしまったのだ。それがさかのぼる事3時間ほど前のこと。


たまたま相川は会議で席をはずし、谷原は別のサポートに走っており、困っているところに通り過ぎたのが蒼衣だった。


「蒼衣さん、どうしよう、ど、ど、どうしたらいいですか?」


完全にパニックを起こして蒼衣を見つけるなり蒼衣の腕を捕まえて握り締めるなりこの状態だ。


「え~っとね、とりあえず落ち着こうか。何が起きたか教えてもらっていい?」


焦ってる人に落ち着けといってもすぐに落ち着くことは難しいだろうが、状況把握ができないと何もできない。


捕まれた、もとい、しがみ付かれた右腕はそのままに、左手をひたいに当てて、高橋に何が起きているのか聞く体勢と頭をフル回転させる準備をした。


「あ、はいっ、えっと、えっと、今代われって言われてて、起きてる事象じしょうが、えっと、あ、でも先方せんぽうが言ってることと発注内容はっちゅうないようが食い違って、あれ?そうじゃなくて、えっと、え~っと、席で見てもらった方がいいですか?」


完全にしどろもどろだ。要領ようりょうていないことは本人も気づいているようで、自席でことの次第を見た方が早いと思ったのだろう。


「別のものに代われってことか、わかった、代わるからちょっと画面見せて。」


ようやく蒼衣は腕を開放され、2人で高橋の席に向かう。対応中の画面とやり取りを聞き出し、蒼衣が代わって対応することになった。


「ちょっと相川さんちの子の対応巻き取るわ。」


「ん~。」


蒼衣は在原の後ろを通りすがりながら報告をしたが、在原はパソコンから目を離さずに、猫背のまま返事を返してきた。


結局まだ聞けていないから態度も今まで通りだった。


あぁ、モヤモヤする。って俺は女子か!


引きずる感情を押し退け、席につく。


「お電話代わりました、村上と申します。恐れ入りますが…」


気持ちを切り替えて電話を代わり、こっちの状況と先方の要望の確認、そして今後のすり合わせをし、話は10分ほどで終わった。


しかし、巻き取るということはすなわち、相川のチームの話なんだからと、相川に丸投げで「あとはよろしく」とはいかない。


トラブルの元となったところの解消をしておく必要があった。引き継ぐにしてもそこまでやってからになるのだ。


蒼衣はひとまず心配そうにして、仕事をしても手につかずオロオロしながら作業を高橋に対応結果がどうなったか話した。


残りは一旦巻き取るから明日相川から状況を聞くように指示し、もう18時を回っているため他の業務が無いのであれば帰宅していいと伝えたところで安堵あんどの表情を浮かべた。


そこから蒼衣は必要な処理をして、長引いた会議から戻り、おまけに絶賛残業ぜっさんざんぎょうコースにいる相川に報告と引継ぎをした。


そして自分の残っている本日分の業務を進め、その他、チームのフォローやらなんやらとやることが立て込み気づけは21時手前になっていたのだった。


「終わったよ。すまんね、俺が安請やすうけ合いしちゃったせいで残業させちゃった。」


実際のところ、在原は帰ってもよかったはずだが、なんだかんだ残っていた。あたかも自分の作業をしているように見せていたが、本当は蒼衣のフォローが必要になる可能性があると思って残っていた。


実際蒼衣も2回程確認に行っている。当然といっていい程、会話は最小限だったが。


「あー、終わったの?お疲れ様。」


「うん。」


返事はしたものの、次の言葉を続けるか、その場を立ち去るかを蒼衣は迷い、在原も何を考えているかわからない、というより蒼衣を見ないから、なんとも言えない間が生まれる。


オフィスは相川と、珍しく小林のみ残っており、細谷は帰宅していた。


いつものざわつきがないオフィスは、会話もよく聞こえる。


こんな私用しようの話をするのも気が引けるが今しかない、そう自分を奮わせて、蒼衣が口を開いた。


「ところで、さ。ずっと聞きたかったんだけど、俺なんかしでかした?」


少しの緊張もあり、声がどこと無く低くなってしまう。


「なんで?」


一瞬、ビクッと肩が揺れたが、顔はパソコンに向けたまま、微動びどうだにせずに在原に聞き返された。


いや、在原の声もいつもの素っ気無さに加えて、少し硬いように聞こえた。


お互いに、不文律ふぶんりつがあるかのようにしていた事だからだろう。


「いや、なんとなく。なんかここ最近、在原君が素っ気無いっていうか、なんか、俺何かやらかしたかなって思って…。」


口をついて出た言葉が女々めめしすぎて、言い終わった後に蒼衣は苦笑した。あれだけ考えたのに、出てきたのはこれだ。


ものふれるような、そんな探り探りの言い回しである。


在原の態度も相俟あいまって、蒼衣は話しながら気まずさもでてきた。なんかなんかと、もやもやした言い方で、語尾もはっきりと言い切れず尻切れになったが、目線は在原の方からはそらさなかった。


更に居心地の悪い空気が流れる。


フロアの静かさをあらわすかのように、他の席からカタカタと、パソコンをタイプする音が嫌に耳に入ってくる。


「いや、蒼衣さんは何も悪くないんだけど、」


ボソッと、会話とは言えないタイミングで在原が口を開いた。


こちらも歯切れが悪い。


そして、相変わらず蒼衣を見ない。いや、見ようとしないのか、はたまた、見れないのか。


いつもなら在原の考えを汲み取れる蒼衣も流石に今回ばかりは汲み取れない。


「けど?何?」


蒼衣には珍しい程に声に優しさも何もない。いや、あるのは緊張からくる少しの震え。


「うん…。もし、そう思うなら、俺の問題。」


ポツリと、原因は自分だということを認めるように在原が言った。


それでもまだ蒼衣を見ない。ただ、変わったのは少しだけうつむき加減になったことだ。


「蒼衣さんに、さ、負担、かけてるんじゃないかと思ってたんだ。」


絞り出すように、ぼんやりと下の方を見る。


もう、パソコンはいじっていない。キーボードの手前で、手を組み合わせて、その手を見つめていた。


この間の五十嵐の言葉を受けて、在原は悩んでいた。結果、どう接したらいいのかがわからなくなり、必要以上の会話はせず、目も見ずに話すため完全に素っ気無くなってしまっていた。


本当は自分でもわかっていた、チーム内に周知を出したり、個別指示を出したり、そういったものは在原自身でもやるべきだと。


蒼衣にも、チーム内でのコミュニケーションも取れるしたまにはやればいいのに、と笑いながら言われていた。


その時は、別に自分じゃなくてもと思っていたからなんとも感じなかったが、いざ自分がやるとなるも、そして蒼衣に頼らないとなると、こうなってしまった。


会話をするという選択をすると、より甘えてしまう気がしていた。


しかしその態度が蒼衣にとっては不安でしかなかった。何か在原の地雷となるものを踏んだのではないか、ただただ悩んでいた。業務の話もままならない日すらあったのだ。


「負担?全然だけど。なんで?」


できる限り冷静を装うが、それでも身体に力が入っているからか、心持ち喉がしまっており、声が少しかすれる。


「いや、それならいいんだけど。」


「そ?ならいいけど。」


やはり歯切れが悪い。


そして2人の間に流れる空気もあまり良いものとはいえない。

いつも空気をぶち壊すように、タイミングをわかってかわからでか陽気に会話に入ってくる細谷も既に帰宅している。


会話が続かない…。困った。微妙に流れた空気が、その場を立ち去るべきか、もう一声かけるべきか蒼衣を迷わせていた。


時間にして25秒、体感は3分あるような沈黙を破って在原が言った。


「俺さ、ずっと蒼衣さんに甘えっぱなしだったのかなって最近思ってたんだよね。」


気まずい表情を浮かべながら、在原は蒼衣をみた。自分を責めるような、ごめんと謝りたいのか、複雑な感情が顔に出ていた。


「え?俺はそんな風に思ったことはない。」


「えっ。」


蒼衣の方を向き、目を見開き驚いた表情を浮かべた。


蒼衣は事実甘えられているとも、負担が多いとも思ったことはない。


主任でしかできない業務は確かにあるし、いざという時にはすぐに対応してもらえるように主任にはできるだけ手を開けていてほしいと思っていた、


しょうもない雑用レベルの業務とか、サブリーダーでどうにかなるようなものは率先して引き受けたいと思っていた。


だからこそ、負担と思ったことは無いのだ。寧ろ在原はなんだかんだサポートしてくれるから安心して動ける、蒼衣にとって在原は船から降ろすアンカーのような存在なのだった。


「もしかしてそれで最近俺のほう見れなかったとか、ある?」


「…。」

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