第9話

在原君と意思いし疎通そつうが取れない。


突如とつじょ、この数日で蒼衣のもとに振ってきた悩みだ。


今までは普通に目が合っていたが、急に合わなくなった。つまり目で呼び出しされることもない。


休みを挟めば元に戻るだろうと思っていたが、残念ながらそうは問屋とんやおろさなかった。


今日は火曜日、そして今は14時。


蒼衣が山本から対応を巻き取る形で対応していた案件はどうにかうまいこと進みだした。タイムスケジュールの修正も許容範囲きょようはんいおさまって、納期にもしっかり間に合いそうな感じだ。


ここまではよかったのだが、在原と蒼衣の間に流れる空気が良好りょうこうではなくなっているのだった。


喧嘩沙汰けんかざたになったわけでも、意見の食い違いからの対立が起きたわけでもない。むしろ蒼衣にとっては全くもって心当たりの無い状況になっていたのだ。


先程も作業の報告に行ったが、「そう。」としか返事が来ない。


更に、同じエラーが繰り返し出ていると、チーム内からちらほら上がっていた。

流石に情報が欲しい為、蒼衣は直接在原のもとに聞きに行こうと思うのだが、正直なところ、ここ最近の在原の態度を思うと、聞きに行くのはかなり気が重かった。


「在原君、一個聞きたいんだけど。」


「何?」


やっぱりこの態度か…と、蒼衣は思いながらも、できる限り態度や声が変わらないようにいつも通りに接しようとした。


在原は、ここ最近ずっとこの調子なのだ。


会話が成立しないし、在原がどうも蒼衣に対してシャッターを下ろしたような状態で、話しかけても必要最低限しか返事が返ってこない。


それがどうしたものが、目も合わず、パソコンの方だけを見て蒼衣が話しかけても振り向きもしない。これが基本スタンスになってしまっている。


今までなら手は止めるし、蒼衣の方をしっかり向くしニコニコしていた。

動かないにしても、必要があれば呼び出して逐一変更点や対応についての共有があった。


「何って、いや、ちょっとシステム見てほしいんだけどさ。」


「え。」


蒼衣の方は一切見ずに、自分の手も止めずに発した言葉はこれだけだった。

流石の蒼衣もため息が出そうになるが、続けた。


「いや、無理ならいいんだけど、今同じエラーが起きるって言われてて、何か主任の方に情報無いかと思ったんだよね。」


「うん、ない。」


主任用のファイルやメールなども確認すらせずに言った。

ここ最近は本当にこんなやり取りばかりで、段々と蒼衣は気が滅入ってきている。


「あ、そう?わかった。」


二の句をごうにも、言葉が、これ以上声帯せいたいを震わせることができない。

今までのパーソナルスペースはどこにいったのか、距離感3メートルは開いたといっても過言ではないくらいだ。


キツイなぁ…。と、ここ最近の在原の態度で蒼衣の心が悲鳴を上げ始めていた。


蒼衣にとって一番きついのは、コミュニケーションが取れないという点である。

元々仕事人間で、自称ワーカホリックではあるものの、仕事だけをバリバリこなすのではなく、適度に話しながら仕事を進めるタイプの蒼衣には、かなりのストレスとなり、「機動力きどうりょくといえば蒼衣」という社内満場一致まんじょういっちの評価がある蒼衣が動けなくっていた。


そしてそれとは反対に、あれだけ動かなかった在原が、自から動くことが増えた。しかし、それも蒼衣の手が回らないからではない。むしろまだ余裕があるのに、である。


つまり、在原が動くことで蒼衣の物理的な仕事量は減る。

本来喜ばしいことではあるのだが、チームの状況把握などが、今までは世間話のような形で話していたが、それも無くなったことで、蒼衣がチームの全体像を全く把握できなくなっていた。


チームの人達に話しかけようにも、言葉に詰まってしまい、自席から動かない、というよりも動けなくなっていたのだ。


助けてと言われれば勿論動くのだが、フットワークの軽い蒼衣が動けないという状態におちいった。


とりあえず蒼衣は、在原との話しを切り上げ、席に戻ろうとしたところで、諏訪にが視界に入った。


そうだ、しおりんがいるじゃん、と思った蒼衣は、諏訪の席まで行き話しかけた。


「しおりん、今話しかけていい?」


「いいよ、どうしたの?」


蒼衣にとっては、困ったときの諏訪である。起きている事象の話をすると、諏訪のチームでも同じことが起きているようだ。


「それ、さっきほそやんに確認お願いしたわ。まだ主任間で共有されてないのかなぁ?」


う~んと、椅子の背もたれに体重をかけて腕組みをした。考えるように天井を見上げて諏訪が答えた。


「あ!蒼衣さん!やっぱ蒼衣さんのところでも起きてるよね。今本部に上げたよ!困るよねぇ、この修羅場しゅらば感出てくるタイミングでさ~。しかもチーフ主任チーフから情報が薄い、文章がなってないってめっちゃダメだしされたから俺もう帰ろうと思う。」


ちょうど話を聞きつけた細谷が、起きている事象の対応に当たってくれていることを蒼衣に伝えたが、その話は本部に上げるまでの道のりの愚痴つきだった。


事象改善をするのに、1つや2つでは取り合ってもらえない。いくつも情報を集めて送り込む必要があるのだが、どこまでやって出たエラーなのか、同じ状況なのかの共通項などを絞り込みやすくしてから提出する必要があった。


おまけに問われる日本語の文章能力。


細谷はこの作業で今日の体力を大分持っていかれたようだ。


「いや、ほそやんそれはダメだから!ダメ絶対!!」


勿論冗談で言ったのはわかるが、本当に帰られては困る。何かのキャッチフレーズを思い起こす勢いで諏訪が全力で止めた。


この2人はいつも通りのテンションで会話しているから、蒼衣にとってはオアシスになった、いや、それを超えてこみ上げてくるものがあった。うっかり目から泉のようにいてきたものがあったが、ぐっとこらえた。


意外と自分は参っていたようだ。ホッとするような気持ちを持ちつつ、チラッといつもの癖で在原をみた。


ちょうど在原に用事があったらしい小林が在原のところで話している姿が眼に映った。在原は顔を上げて小林と普通に会話をしているし、何なら笑顔も見える。


なんで?俺は本当に何をしたんだ?


と思考が持っていかれ、諏訪、細谷を前にしながら蒼衣は固まってしまった。


コバさん、そこは俺の場所だ。いや、俺の場所って何だ?でも何でコバさんには笑って俺には目を合わせることすらしなくなったんだ?


蒼衣は無表情になり、瞬きもせずに、諏訪と細谷の間から在原を見ていた。


「蒼衣、あんた、大丈夫?」


固まった蒼衣を危惧きぐした諏訪が、思わず血相けっそうを変えて蒼衣の腕をつかんだ。


「えっ…?」


ハッと意識が戻ったように蒼衣が反応した。


「あー、それ、俺も思ってた。ここ最近、蒼衣さんの目に覇気はきがないんだよ。疲れてる?」


「えっ、あっ、…え」


細谷も心配して蒼衣を覗き込むように聞いた。しかし蒼衣は完全にパニックだ。


「え、いや、えっと…」


しどろもどろになりながら、反応をしようとしているが、どうもきちんとした言葉で返せない。


ここ最近、業務の隙間すきまやちょっとボーっとする時間があれば、あるいは家でゆっくりしているとき、本当に隙間をっては在原の態度を思い返し、そしてその前後の自分の態度や在原との会話を思い出す。


それはまるで恋をしたかのようなレベルで感情が動き、脳内はその都度つど在原が占めてくるのだ。


俺は恋でもしてんのってくらい考えてるな。ん?恋?何考えてるんだ、俺は男だ、と、時折自分の思考に対し更に思考を載せ、打ち消したり別のことを考えようとしたり、蒼衣の脳はあれから忙しい状態だった。


現に今も在原に思考回路を埋め尽くされている。


けれども、どれだけ忙しく思考を巡らせても、思い当たるものが何もないのだ。何も無いが故にどうしてこうなってしまったのか、本当にわからないとお手上げの蒼衣だった。


「蒼衣、今日仕事終わりに予定は?ないよね?飲みに行くよ。ほそやんも。」


諏訪は蒼衣を飲みに連れ出そうとした。


「え、おれコバと…」


細谷は元々小林と予定があったようだ。


「じゃぁコバさんも一緒にどう?」


「ん?呼んだ?」


ちょうど在原との話が終わった小林が席に戻りしな、自分の名前が聞こえて会話に入ってきた。


「蒼衣がどうも様子がおかしくて、ガス抜きがてら飲みに行こうって話てたの。今日ほそやんと予定あるって聞いたけど、どうです?」


「しおりん、ありがとう。俺、今日持ち合わせないから今度にしよう。」


「でも、蒼衣…」


二人のやり取りを見て、そして細谷が迷ってる顔を見て察した小林は、蒼衣の事を最優先にした方がいい、本当は細谷と2人で過ごしたかったが、今回はなんとなく緊急だろうと考えた。


「しおりん、俺らの予定はまたいつでもいいから、飲みに行きますか。」


「コバ…」


細谷がホッとした気持ちと、ごめんという思いをのせて小林の名前を呼んだ。

細谷も本当は小林と2人で出掛けたかったのだが、蒼衣も優先させたい、そう思ったところで小林がそう言ってくれた。


本当によかったと思いつつ、諏訪を見た。


「え、コバさんいいの?本当はほそやんと予定あったんだよね?強引に声かけてしまってごめん、大丈夫?」


急に誘って、おまけに予定を実質キャンセルさせたのだ。強引だったと諏訪は気づき、今更とは思うが確認をした。


「大丈夫だよ、飲みにいこーーー!」


細谷が陽気に、少し曇りがちだった空気を払った。


「みんな優しいな、ありがと。」


蒼衣は少し困ったように笑顔を作りお礼を言った。


時刻は14時32分。


ど平日だが飲みに行くことになったことで、少しだけ頑張る気が湧いた4人だった。









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