第8話

さかのぼること4、5年ほど前。

在原がこの会社に入る前である。


そして部長の五十嵐いがらしがまだ課長だったころ、蒼衣は何度かつぶれたことがある。


実際に、サブリーダーになったばかりで、育成がうまく行かなかったり、何気無く発した言葉もあしを取られて指導が入ったり。


今まではごく普通に会話をしてゲラゲラと笑っていた人達だったのに、役職がついた途端とたんにこんなことになるのかと衝撃だった。


結果、蒼衣は、社内では誰にも何も言えなくなってしまった。


いつどこで誰が何をどう聞いてるか、わば四面楚歌しめんそかのような気持ちになり、時折ときおりガス抜きとしょうして時間を作ってくれる主任の松岡まつおかにも、場所が場所だけにたがいに少しにごした物言ものいいになる。


そうなると、大丈夫です、としか言えなくなるが、松岡も同じことで悩まされ今に至る、蒼衣に起きてることも気持ちもよくわかると言ってくれていた。


そういった面で一人でも理解者がいると心強いのは確かだ。そしてもう一人、心強い味方がいた。


「蒼衣~、大丈夫?」


諏訪である。

かなりパッチリしている蒼衣の目に覇気がない。なんなら半分くらいの目になっているのだ。絶対おかしいと声をかけた。


「うん、まぁぼちぼちやってるよ。」


諏訪も同時期にサブリーダーになっていた。


しかし、同じサブリーダー同士であっても、特に今起きていることを言うことは控えていた。


目は合わない、笑顔にも覇気はきが無い、そして声も当然ハリがない。


「お昼は食堂ね!」


「え、俺弁と…」


。」


弁当持ってきている、という言葉は諏訪に消された。


諏訪は、蒼衣以上に人の機微きびさとい。そして蒼衣の取り扱いも心得こころえている。


「はい。」


ぐうの音も出ないほどの勢いでお昼の行動を決められ、そしてお昼になったと同時に引っ張り出されるようにして食堂に向かった。


首根くびねっこをつかむとはこういうことかと思える程であった。


「あんたに限ってはそういうこと起きないと思ってたけど、あれは登竜門とうりゅうもんなのかねぇ。あ、あそこの席行こ!」


と蒼衣に言葉をつむがせないままに席を決めて食券しょっけんの列に並んだ。


「しおりんはパワフルだねぇ。流石だな、俺のライフはもうゼロ、いや、マイナスだ。」


「マイナスなら死んでるでしょ。ってか蒼衣も本当は体力無限タイプよね。ライフゲージの減らし方は体力を奪うよりもメンタル。」


「そうですねー。」


視線を逸らすように答えた。


「あ、そういえばちょっと聞いてよ!昨日ね…」


話がコロコロ変わるのは女性特有なのか、諏訪の気遣いなのか、仕事とはなんの関係もないバカ話をしてひとしきり笑って休憩時間が終わった。


しかし心の充電も中々に長くは持たないものだ。


自席に戻り仕事を再開し、数日はとりあえず順調に仕事をこなした。


が、段々と不備の報告が上がり、状況確認された者は、指示は蒼衣にもらったとなり、蒼衣に確認が入る。


実際には、蒼衣は正しく指示したものの、受け取り手の問題で、間違ってしまっていた。


元々、人にお願いをしたり、助けを求めるのが得意ではなかったから、とりあえず原因は自分なのだからと自分で処理できるものは処理していった。


そうすると今度は、「全部蒼衣さんがやってしまうから自分がミスしたもののフィードバックがなければスキルがつかない」、とクレームが上がった。


正直しょうじきなところ、これは完全なる言いがかりである。今でこそこんなトラブルが起きることはほぼ無く、役職付きになった者に対してのやっかみが起きたりということも無くなったが、当時はこういうことがよくあったのだ。


クレームを聞き、松岡からは、一応そういうことが合ったということで伝えておく、ただし蒼衣は悪くない、と。


結果、悪くないといわれても、どうしたらいいのかわからなくなり、蒼衣は立ち往生してしまった。


「俺、持つかなぁ…。」


思わず、チームのメンバーが帰って、フロアもちらほらとしか人がいないことをいいことに口をついて出してしまった。


天を仰ぎ、ボーっとしながら、あぁ、でもやらないと終わらない、と発破をかけて作業を再開する。


後日、指示通りにやったというのにミスが目立つ人(つまりは蒼衣に対しクレームをよくいれる者)に対しては松岡にフォローをメインで入ってもらうことになった。


しかし、松岡が忙しいと蒼衣がサポートする必要がある。


できる限りフラットに接しようと思いサポートをしているものの、連日の残業での疲れと、また面倒ごとが起きたらどうしようという思いとで蒼衣の顔も徐々じょじょに笑ってるはずなのにどことなくくらい表情となっていた。


そんな状態になると自分自身のミスも出てくるし、チーム内で起きたミスも蒼衣の指示に問題があったとやはり問題を繰り返し、限界を迎えてしまったのだ。


「すみません、なんか、すみません動けなくて、熱は無いんですが、休ませてもらえないでしょうか。」


と、とうとう蒼衣は会社に欠勤の連絡を入れた。


この欠勤電話を取ったのがたまたま現在の部長、五十嵐である。


「とりあえず休め」と五十嵐は伝えたが、なかなか気持ちの持ち直しが効かず、その次の日も蒼衣は同じ理由で会社に電話をした。


欠勤連絡の電話を2日連続で取ったことも要因ではあるが、今までの蒼衣の出勤状態からは考えられない為、五十嵐は異変に気づき、2日目の電話を取った際に「明日まで休んでとりあえず金曜に出てこい、そうすればちょうど土日だ」と、伝えて休ませた。


金曜日にはどうにか出てきて、チーム内に休んでしまったことを謝りながら、勿論クレームを入れてきた面々にも挨拶をし、その足でまっすぐ蒼衣は五十嵐の元にいって、お礼と休んだことをわびた。


その後、松岡と1時間打ち合わせと称して席を外した。


いつもは主任席の横に椅子を持ってきてしゃべるのだが、五十嵐がわざわざ松岡の横に行き、表情も深刻そのもので面談室を使うよう指示を出していった。


「ホント五十嵐さんはえないわよねぇ、あの深刻そうな顔で私になんていったと思う?」


松岡と面談室で向き合った途端とたんに、前のめりにテーブルに片肘かたひじをついてあごをせながらこういった。


「えっ?」


勿論、蒼衣も面談だと思ってきたから、いきなりの質問に、拍子ひょうしぬけた声になる。


「お前、バカ話1時間いけるか?あえて面談室で1時間、村上と話してこい。1な。出てくるときは、真剣な顔をして2人で出てこい、ってさ。」


と、面談と称してこの小部屋を利用した真意しんいを伝えた。


指示通りに1時間話し、真剣な表情で出てきた。いや、笑いがこみ上げそうで蒼衣はちょっとうつむき気味に出てきた。


そしてその後更に五十嵐が、ダメ押しといわんばかりのタイミングで蒼衣に面談を持ちかけた為、もしかして蒼衣が辞めるのではないかとチーム内がざわついた。


しかし、これが五十嵐が目論もくろみ通りだった。


もしかすると、蒼衣が辞めるかもしれないという空気をわざと作ったのだ。


実際に五十嵐と蒼衣が話していたのは、とてつもなくくだらない話ばかりだった。


五十嵐の飼い猫ミーヤがとてつもなく美人なロシアンブルーの猫なのだが、寝姿ねすがたがどうしてか不細工ぶさいくなのだ。


笑い声を出した瞬間に、シーッと手を口元に五十嵐が手を持っていき、ぅおっと!と蒼衣も口を押さえる。


所長のヅラがずれていたが注意の仕方がわからないとか、ただただくだらない話をして面談は終わった。


結果、それがちょうどいいおきゅうになったようで、なんとなく蒼衣に対しきつい態度をとっていた者が、申し訳ないと謝ってきたりして空気は変わった。


その後も蒼衣に対し理不尽りふじんな態度を取り続ける者もいたが、逆にその者が会社を去る結果となった。


それからは、やっかみのたぐいでは潰されなくなったものの、業務を抱えすぎて残業が続き、身体的に限界がきて熱を出したり風邪を引いたりと何度がつぶれた。


あまり休まない蒼衣だから、休みを取るたびに大丈夫かと五十嵐が声をかけに来るが、今回は風邪だったと伝えると安心して、大変だろうが無理しすぎるなよと肩をポンと叩いて去っていった。


サブリーダーになって2年程はこの、「活動限界を越えたがゆえの発熱」を繰り返していたが、在原が入ってきた頃には身体からだも調整ができるようになり、蒼衣はぶっ倒れることもなくなった。


今でもそれを思い出しては通りすがったついでに声をかけてくれる五十嵐に、いい上司に恵まれたなぁと、思うのだった。


最近はまた納期の逼迫等ひっぱくなどで段々と業務負担が増えてきている蒼衣だ。

オーバーワークが過ぎると、いくら調節ができるようになったとはいえ、流石に蒼衣も潰れるだろうから、在原にも気をつけてやれというつもりで五十嵐は伝えたのだった。


ただ、このことを知らない在原にとっては、寝耳ねみみに水の話であり、気をつけるように言われたのも、自分が蒼衣に甘えて負担をかけすぎているように見えて声をかけてきたのだと思ってしまっていた。


自問自答をし始め、在原の顔が曇り始めた10時15分。

蒼衣はひとしきり笑ったまま、席に戻った。

あれ?気のせいか?と、ちらりと在原をみて思ったが、11時までに先方に連絡をし今日中に進められる範囲の目処めどを立てたかった蒼衣は、ひとまず受話器を手に取ったのだった。

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