第7話

朝礼から、今日の目標までの認識共有にんしききょうゆうとしてサブリーダー以上で打ち合わせをを行い、チームの進捗確認しんちょくかくにんと今日の目標指示をチーム内に周知。

そして前日から引きずる案件に関して、本部からの回答がないか念の為の確認依頼その他諸々もろもろが終わり、ようやく蒼衣が席についた只今ただいまの時刻10時。


さてと、と、一息ついて自分の作業をするべく、デスクの引き出しから適当にクリップを取り出して前髪をめた。


いつものくせで在原の方をちらりと見ると、在原はいつも通りに微動びどうだにせず自分の机に固定されている。珍しく片手にファイルを持っているが、やはり動きがミリ単位である。


ホント、動かないよなぁと微笑ほほえんだところで改めて自分の作業に気持ちを切り替え、昨日の続きのデータを呼び起こした。


「蒼衣さん今日もまた可愛いことになってるんですね!」


サポート担当サポから借りた資料を片手に持ちながら通りすがった細谷が、屈託くったくない表情で言った。


「あー、これ?今日のは、誰だっけかなぁ、しおりんがくれたやつだったはず。」


前髪クリップを使い始めたのは、以前に前髪が邪魔じゃまくさくなって、事務クリップで留めるという暴挙ぼうきょに出ていたら、「蒼衣さん流石さすがにそれはだめだって!」とチームの女の子が、猫のマスコットキャラクターがついた前髪クリップを貸してくれた。


それがきっかけであるが、前髪を留めておけば、目の前をチラチラするものが無いし、いちいちけたりすることもないからストレスが少ない。


以前も同じ様に前髪が伸びてきたのを、適当に家にあった工作バサミで切ったら盛大せいだいに失敗し伸びるまでどうしたものかと苦慮くりょしたのだ。


だからプロにお任せすることに決めたものの、散髪さんぱつに行くことも億劫おっくうズボラにしていたから、蒼衣の髪の毛は大分伸びて、後ろの髪は肩につくくらい、前髪も目より下になってきた。


ちなみに蒼衣は、身長は175センチほどあり、程よく筋肉もあるものの、ゴツイ、いかつい、でかいといった体型ではない。

服装も、ダボダボしすぎるものよりは程よくフィットしたキレイ目の服を好んでいる。そのせいなのか時折ときおり華奢きゃしゃに見られることがある。

おまけに目が大きいため化粧をしたら女性モデルやれるんじゃないかといわれたりもする。


一度、本気で諏訪と谷原に囲まれ、昼休憩中にアイシャドウだけ塗られたことがあった。ただし、職場であった為、一通り見世物みせものになった後でメイク落としでとったのだが、しっかり諏訪のスマホの中に蒼衣のメイク写真が残っている。


ある意味物質ものじちであるが、「俺の黒歴史を消せ、頼むから消してください」といっても、諏訪も「そのうちね~」と、喜々ききとしていわれ、いまだに消してもらっていない。既に数ヶ月は経過しているのにだ。


しかし、いい年したいくら細めに見られがちでも筋肉はそこそこある体格の男が、りんご3個分の仔猫をつけ、それが可愛いだの何だのと言われるのもそれはそれでどうかと思う。


蒼衣にしてみれば前髪がどうにかできれば文句はない。まぁいっかと付けていたら、どうもその姿が、蒼衣と交流のある社内の女の子達にヒットしたようだ。


こぞって面白い前髪クリップを見つけてはどうぞと寄越よこす。


よって、とくにキャラクターが好きとかそういった公言こうげんもしていないのに、最新のアニメキャラからSNSのスタンプのマスコットまで、幅広はばひろく持っている。


今日は、某幼稚園児ぼうようちえんじが大暴れする国民的アニメに出てくる白い犬を付けていた。


「蒼衣さんがつけるとなんでか違和感ないんだよなぁ。コバだと絶対似合わない。」


「いや待て、そこは違和感持ってくれ。そしてコバさんはスキンヘッドだろ。」


ツッコミどころが満載まんさいだ。細谷は真顔まがお腕組うでぐみをしながら、う~んと声を出しつつ小林がつけたらとイメージしているようだが、小林はスキンヘッドだから正直しょうじきクリップなんて付けようがない。


「じゃなかったとしても似合わない。」


あまりにもキリッとした表情で蒼衣をみるから、細谷につられて蒼衣もイメージしてみたが、言葉にしがたいものが頭に浮かんでしまい、苦い表情になってしまった。


「うん。ちょっと、いや、かなりアレだね…。ってか、ほそやん絶対似合うだろ。リボンをつけた美人な猫のがあるぞ?それとも超能力ちょうのうりょくで心が読める女の子がいいか?いい顔してるのあるぞ?」


ふと、いたずら心がいた蒼衣はいいことを思いついたかのように、矛先ほこさきを細谷に変えて、前髪クリップコレクションと化している一段目の引き出しをあけ、それはそれはたくらみを全開に含んだ満面まんめんみで細谷をみた。


「いやっ、巻き込まないで!」


「またぁ、本当はつけたいんでしょ、私のやつ貸してあげようか?」


本来の目的は、蒼衣に今日はどのくらい動けない時間があるのか状況を確認することだった諏訪が、蒼衣のところまでやってきたところで、面白いことになっていると察知さっちし会話に参戦した。


「いやいや、しおりんまで!」


本気で逃げようとしている細谷を捕まえるべく、意気揚々いきようようと加わったのは小林だ。


「しおりん、俺がおさえておく、やっちゃえ!」


さっきまで話の餌食えじきになっていた小林が、細谷の背後に回り、しっかり脇の下から腕を差し込んでホールドしたら、ばたばたと暴れていた細谷の顔が赤くなり動けなくなった。


蒼衣と諏訪が、形容けいようしがたい程のいい顔で細谷の前髪を留めにかかる。


「は~いほそやんもこれで俺とおそろいだなっ。」


「はい可愛いほそやん出来上がったよ、コバさんどうよ?」


「いやっ!俺はかわいくない!!」と細谷は再度抵抗しようとするが、小林がホールドしているから、クリップをとることも許されていない。


「コバさん的に、面白いから有り。」


感想を求められた小林も完全に悪ノリ状態だ。


その姿と会話を聞いて、部署内からもクスクスと笑いが起こっていた。


方々で細谷さんかわいい、似合う、なんて女性陣の声や、細谷さんウケる!もっと付けていいんじゃない?なんて、面白がる男性陣の声も上がっている。


「相変わらずこの部署はにぎやかだなぁ。」


我関われかんせず、いや、聞こえてくる会話をBGMに少し笑いながらも動かずに席にいた在原に、部長が話しかけた。


「あはは、仲いいですから、うちのメンツは。」


在原は騒ぎの中心を見て、やっぱり蒼衣がいると、自然に全体が明るくなると感じながら、まぶしいものを見るようににっこりと笑った。


「この追い込みの状況で笑ってるのはこの部署くらいだぞ。」


確かにみんな集中し始めれば、時には水を打ったような静けさが訪れることもある。ただし、その沈黙に耐えられない人間が多いのだ。


その最たる例は細谷である。


勿論、真面目に仕事してるのだが、あまりに会話がなくなると、その反動で自分の手が空いた途端とたんに小林の元に行き、小林のものを勝手に借りたり、おやつを持って行ったり、時に邪魔してみたりと、小林も仕事が進まないからといさめるが、本気で怒るわけでもない。


むしろこれが年中行事ねんちゅうぎょうじのようになっているから、また始まったなと思われているのだ。


「うちはそのくらいでちょうどいいんですよ。ほそやんがちょっと騒がしいですけど。」


だから、こういう息抜きのような会話ややり取りは、部署内ではオアシスのようになる。


「お前のところで起きてるトラブルあるんだろ?どうにかなりそうなのか?」


昨日から蒼衣にフォローしてもらっている件だ。これがクリアされれば、在原のチームは一気に進捗率しんちょくりつが上がる。逆に言えば、これにぶつかったことで遅れが生じているのだ。


「一応蒼衣さんが対処たいしょしているので、多分クリアできると思います。俺もフォローしますし。」


「まだサブでいける段階でんでるならまだいいな。あまり村上をこき使いすぎるなよ?あいつも平気な顔して笑ってるけど今まで何回もぶっ壊れてぶっ壊れてのあれだからな。キチンと上司としてガス抜きしてやれよ?」


そういって、在原の背中をトンと軽く叩いて去っていった。


「えっ?」


在原は、つぶれた蒼衣を見たことがない。衝撃しょうげきおそわれたものの、どうしたらいいのか答えはわからない。


ただ、今は蒼衣の力を借りないと起きているトラブルの対処はできない。


いや、本当にそうなのか?蒼衣に頼りすぎてしまっているのではないか?はたまた、自分のフォローは足りているのか。


自分のせいで蒼衣を潰しかけているかもしれない…。部長の真意を汲み取りきれないままに、在原は、あの騒がしい輪の外で自問自答じもんじとうを繰り返していた。

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