第6話

在原は相変わらず目で蒼衣を呼ぶ。


16時48分。

一日の疲れが出始めるのと同時に、あと一時間と少しで「退勤時間」と言う名のゴールが見え隠れし始める時間。

通常であればタイピングの音と併せて、所々ところどころで雑談が聞こえるのだが、ここ数日は平均して静かだ。


業務量が日を追うごとに増えてきているが、それでもできるだけ定時に退勤したいという思いで各々おのおのが仕事にあたっているからである。つまりこの時間はラストスパートをかけ始める時間となり、サブリーダー達はチームのメンバーに呼び出される率が上がる。


蒼衣も例にれず、粛々しゅくしゅくと仕事にいそしみ、自分の作業と、チーム内の状況確認、サポートに走りと忙しなくしていた。


この時期はどうしてもサブリーダー達の負担が増える。状況確認、遅れがあるものやトラブルが発生しそうなもの、あるいは発生したものはすぐに対処するため、全面的にサポートしたり巻き取ったりする。

主任への進捗しんちょく共有は今までよりも細かくなり、そして自席での作業時間がいつもより長くなりがちだ。


ちょうどキリがいいタイミングだったこともあり両手を上げて伸びをしたところで、左側、つまり在原が座る主任席から視線を感じた。


蒼衣も相変わらずすぐに察して、「どうしたん?」と在原の横に行く。


「蒼衣さん、昨日の件だったんだけど。」


「あぁ、どうなったの?」


昨日の時点で、早めに回答をもらわないと困る案件が発生した。状況によっては先方にも確認と調整諸々もろもろをお願いしなければならないものだからだ。


「いや、サポート担当サポに回答なる早で本部に依頼上げてって言ったんだけど、まだ来てないの。」


基本的にはマニュアルやフローといったものが個人で確認できるようになっている。しかしそのマニュアルがダメならサブリーダー以上で持ち合わせている情報で対応する。


したまでろさないのは、一時凌いちじしのぎだったり、本部の承認がない、社内で独自に得た情報だったりするから、混乱を招かないために一線を引いている。


更にその情報で対処できなければ、主任権限で処理するか、もししくはイレギュラーとしてサポート担当、通称へ情報を上げて、本部との掛け合ってもらう。


昨日トラブルが発覚し、蒼衣は在原に権限でねじ伏せられないか相談をしていた。

しかし、サポに相談した結果、権限での処理は不可と判断され、対応は完全に頓とんざ所謂いわゆるみ」の状態になっていた。


「えー。権限不可だったんだ。」


「うん、権限行使こうしでどうにかできないかサポとも相談したけど、本部案件だったわ。」


淡々たんたんと答える在原の横で、ひたいに手を当ててんあおぐ蒼衣。終わった、という気持ちが全面に出た瞬間だった。


「ただ、違うルートを辿たどると行ける説が出てきたからそれで試してってサポから連絡がきたのよ。回答、絶対2週間はかかるから、やれる方でやってみてってさ。」


本部をかいすると2週間はかかる。内容をみて、しかし回答は現場を見ていない部署が机上きじょうから出す為、質問と答えがあっていないという齟齬そごがよく生まれる。


結果、着地できる回答が来るまで2週間という時間をようするのだ。


時には回答も早く、情報も先出しで下ろしてくれることもあるが、それはオリンピック開催レベルの頻度ひんどのレアケースである。


ちなみに蒼衣はそのレアケースに遭遇そうぐうすると、未曾有みぞう天変地異てんぺんちいが起きるんじゃないのかとリアクションし、当時の主任と課長に大笑いされつつも、2000%の同意だと返されたことがある。


「へ?あそこまでんでんのに別ルートあんの?初耳。」


長年いてもやはりわからないこと、新しい情報は沢山ある。

固定概念で動いてはならないとわかっているものの、ついつい「こうだろう」という予測でやってしまうのがベテランの悪い癖だと、新しい方法を聞く度に蒼衣は反省するのだった。


「うん、というかちょっとねじ込む感じ。というわけで、蒼衣さん申し訳ないんだけど、山ちゃんの続きからってもらえない?」


入り組んでくると、サブリーダー以上が対処する。先方せんぽうとのやり取りも発生することがあれば特にだ。

「ごめんなさい」を失敗すると、完全に大変なことになる。主任が出る前に、サブリーダーで全面的に対応したいのは、先方とのやり取りが膠着こうちゃくした時に、主任をとりでに置いておきたいからである。


「わかった、どうしたらいいの?」


16時55分、今日は定時上がり不可だなと覚悟した蒼衣は、起きている事象をどうするか在原とすり合わせ、自席に戻る前に、宮村の元に向かった。


サブリーダーの誰かが埋まることになると、自チームのフォローは主任か、他チームのサブリーダーになる。


今回は蒼衣が完全に動けなくなることが確定した為、対応に当たる前に、ちょうど立ち上がっていた宮村へお願いをした。


「みやむー、すまんが俺これから動けなくなる。みんなに伝言ゲームお願いしていい?」


「わかりました。蒼衣さんまるって、厄介やっかいなんですか?」


「うん、本来は本部案件だったんだけど、回答遅れること必至ひっしだし、サポからちょっとさくもらったからそれやることになった。」


「あぁ、納得。」


事情を簡単に話したところで、サブリーダー以上は誰もが納得する「本部案件は回答が遅い」案件を察し、宮村は苦笑気味に「みんなに言っときます」と伝言を預かった。


「んじゃ、よろしく。」


宮村に後ろ手に片手を上げて席に向かった。

蒼衣がサブリーダーになってから思うのは、イレギュラーを対処するのが楽しいということだった。

しかしそれを楽しいと感じる時点で自分はどれほどワーカホリックなのかと、頭を抱えることもあるが、結局はそこにやり甲斐がいを感じ、クリアした後の達成感が心地ここちいいのだ。


蒼衣が作業に入るとなると、サブリーダー達にフォローをお願いしても、手が足りないことが出てくる。そうなると在原も動く、勿論もちろんきちんと席から立ち上がって。


在原を人間か確認したくだんの部長も、きちんと動いてしゃべっている在原をみて安心しつつ、もう少し普段からこれくらい動いてくれたら、と思う程だった。


今回のケースは、さすがの蒼衣も都度つど問題ないか確認して進めていく必要もあり、在原は蒼衣の後ろに立ってサポートをする時間が増える。


ひとまず18時になった時点でキリのついたメンバーは順に帰宅し始める。うえが残っていようが気を遣わずに帰れるのはこの会社のいいところだと蒼衣は思っていた。


というのも、転職前の会社では、時間外のサービスが当たり前で、上司が帰ってから、またはセキュリティ上システムを使用できる時間制限があり、その時間をえなければ退勤できなかった。


有給と残業代はだと思っていたレベルだ。


蒼衣が引き受けることとなった処理に当たっていた山ちゃんこと山本から、迷惑かけて申し訳ないと帰り際に謝られた。

確かにもう少し早く手上げをしてくれればもうちょっと違う対処が早くできたかもしれないと一瞬蒼衣の頭をよぎぎったものの、すでに起きてしまったことだし、対応方針も見えているから、もう山本を責めるつもりもない。


「気にしなさんな、大丈夫だから、ゆっくり休んで!」


にっこり笑って、また明日〜と手を振って送り出し、続きをする。


在原も退勤時間を過ぎているが、蒼衣のサポートで残っていた。隣の席の人も帰っている為、その席に、主任用に貸与されているノートパソコンをその席に持ち込んでいる。「これでいちいち立って歩かなくていい」というぶんつきだ。


「蒼衣さんって、なんでそこでイラッとしないの?本当はここまで来る前に手を上げてくれたら対処のしようがあっただろうに。」


山本が去ったあと、まるで自分のことのように顔をしかめて在原が言った。


「そこは俺も山ちゃんの状況に気づかなかったし、どう足掻あがいたって本部案件になってたかもなんだろうし。在原君を巻き込んで残業させているのは申し訳ないけど、こればっかりは仕方ないさ。」

さすがに少し疲れが出てきた蒼衣は、んーーーー!っと声を出しながら伸びをした。


事実、山本が詰まっていたことに蒼衣が気づかず、そのままにしてしまったことが原因だと思っている。


自分の作業に集中しすぎて、いつもよりチーム内の様子の確認が少なくなってしまっていた結果がこれだ、自責じせきねんがあった。


もし、もう少し早く気づけていれば、いつも通りにチーム内を見て回れていたら、なんてことも、山本の作業を引き受けてから反芻はんすうしていたことも事実。


しかしすべてはたらればであり、起きたことは仕方がない、解決するかも知れない方法が提示ていじされただけラッキーだと捉え直していた。


19時30分。

「これ以上は明日かな?一旦いったん先方にすり合わせ必要なところでてきた。」


先方はもう連絡がつかない時間であったこともあり明日にしようと判断し、サポートしてくれていた在原に伝えた。


「そうだね、今日はもう切り上げようか。蒼衣さんお疲れ様。」


「在原君も。また明日よろしく。」


互いにねぎらい合い、本日の作業は終了とした。


「うん。本当に頼りになるよ、蒼衣さんじゃなかったらこうもいかないもんね。」


じっと蒼衣の方を見ながら在原が言う。


「何いってんの、他のサブリーダーも有能じゃん。」


謙遜けんそん気味に答えつつ、帰る準備をし始めた。


「う~ん、そうじゃないんだよなぁ。蒼衣さんだからってところあるんだよ。お願いしやすいし、俺の意図をすぐ理解してくれるし。俺のチームの配属で本当にラッキーって思ってるから。」


かぶりすぎだけど、まぁそこまで思ってくれるのはありがとう。」


素直にお礼をいう。こんなにストレートに言われることもないから気恥きはずかしいなと蒼衣は感じていたが、やはりめられることは気分がいい。


いつもより心なしか笑顔がより笑顔になる。


「俺のチームにいる限りは、うっかりやる気なくしたって辞めないでね。」


「ならんならん。在原君の元は結構やりやすいし。」


手を払うように否定して笑う。


「そうなの?負担かけやがってって嫌気差いやけさしてないか心配だった。」


少し神妙な顔をする在原に、蒼衣は片付けの手を止めて向き合った。


「いやいや、なんだかんだ言ったって在原君は困ったときにはケツ持ちしてくれるし、きちんと助けてくれるし。安心して働けるんだよねー。俺、そういう上司が好きだからさ。細かいことも言わないからかなり自由に好き勝手させてもらってるし。」


蒼衣は、本心を、日々感じていることをそのまま伝えた。しかし、他意の無いであろう言葉の中に入っていた一言が、在原にとって不意打ふいうちを食らう言葉だった。


「えっ?」


いつに無い動揺を示した在原だったが、蒼衣は、在原が疑問系で反応した理由を知らない。

終わった終わったと気持ちが帰るほうに向いてたこともあって、言うだけ言ったら片付けを再開した為、その動揺にも気づいていない。


「だから頼りにしてるんだぞ?うちの主任殿どの。」


満面まんめんの笑みとともにダメ押しに一言追加した蒼衣は、バシバシっと在原の背中を叩いて、さ、帰ろうぜ!と在原の気も知らずに帰宅を促した。


「うん。」


苦虫にがむしをかんだような顔が視界に入った蒼衣は、あれ?と思いつつ、在原とともに会社を出た。


外は秋風が吹き始め、先ほどまで真剣に作業をしていたこともあり、頬をかすめていく風が心地いい。


俺のチームにいる限りはやめないでね、という言葉がリフレインした。辞めないよとそっと心で返事をし、明日もまた作業頑張るかと思いながら帰宅のについた。

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