第3話

暑がりはなぜか冷房のあたりが弱い席。

寒がりはこれまたどうして、冷房のあたりが強い席にあたる。


なぜかこれが会社あるあるで、席を変えても不思議と解決しない事案であり、蒼衣たちの働く会社も例外なくそうなのだ。


蒼衣に至ってはサポート業務で席にいないことも多いし動き回るし、おまけに暑がりだ。

席も勿論ご多分にもれず、空気の周りが悪い席である。


会社でも温度管理をする課長が、動き回っている「暑いか?」とサブリーダー達に聞くものの、動き回っているサブリーダーは基本暑いとしか答えようがない。

「俺、暑がりなんで多分参考にならないです、クソ暑いですけど。」と蒼衣はよく返している。


今は13時。

昼休憩明けの、微睡まどろむようなまったりした空気が残る午後の始まりは、どうしてか社内の温度も少し上がっており、うっかりすれば夢の国に召されそうになる。


蒼衣は自席での確認が必要な作業を行っていたが、例にもれずワンダーランドにいざなわれようとしていた。


半分閉じかけた目をむりやり開き、コンビニで買ってきたドリップタイプのアイスコーヒーを喉に流し込む。ひんやりとした液体が喉を流れ、少し清涼感を感じつつ、苦味と香りを楽しむ


コンビニで手軽にあの値段でこの美味しさはなかなか馬鹿にできない。コーヒーが好きな蒼衣は、ドリップタイプのマシーンがあるコンビニでは大体すぐに買ってしまう。


コーヒーのカフェインで覚醒を期待するものの、やはり一度襲ってきた眠気はなかなか退散してくれない。

眠気を覚ますには動く方がいいと判断した蒼衣は、まだ昼明けから10分も経っていないのに続きは後にしようと作業を中断することにした。


そして、自称・職権濫用しょっけんらんよう行為『チームのフォロー』として席を立った。

適度にコミュニケーションとりながらチーム内を回ってたことで眠気はどうにか横に置けたが、動いてしまったから今度は温かいを超えて暑い。

コバさんのところで扇風機の風にあたってこよう、と更なる職権濫用行為であたかも業務の相談をするかのようにコバこと小林の元に向かったら、そこには先客がいた。


「コバの扇風機の風量がちょうどいいんだよねぇ。」


同じプロジェクト内の主任である細谷ほそやが、小林の卓上のクリップで留めるタイプ扇風機を我が物にしようと、今まさにガタガタ音を立てながらはずしにかかっていた。


小林は年中無休半袖の超絶暑がり仕様で、常に卓上扇風機を用意しており、時々暑がりの人が助けを求めて扇風機を借りに来ている。


小林と仲のいい細谷が一番借りに来ているが、「お前はいい加減自席に自分用を用意しなさい。」とお母さんのように小林に諭されるところもよく見る光景である。


小林の風貌は坊主頭に身長180センチ、胸板も厚く一見いっけんいかつすぎて近づきたくない人であるが、その実、気が細やかでコミュニケーション能力も高い。


見た目が影響して、新人さんからは怖がられやすいが、いざ話してみると怖い人じゃないと認知され次第みんな寄っていくのだ。


一方の細谷は170センチ、少し華奢に見える体型で、食べても太れない体質だから、会社のメンバーでご飯に行くと、最後は残飯処理班と化す。

細谷がいるときはきっと、かなりフードロスにも貢献されている。


いつもニコニコしている為人当たりがよく優しいと評判があるが、よく言えば豪快、悪く言えば大雑把が過ぎるのだ。


忘れ物をしては小林から借り、これでいいよと、丸を下した後で足りないものに気づき大慌てしているところを小林が助ける。


勝手に小林の物を借りていくことすら日常茶飯事である。


今も、細谷が言い訳ともつかないことを言いつつ勝手に持っていこうとしているようだ。


「蒼衣さんどーしたの?おやついる?」

細谷の暴挙ぼうきょに慣れすぎた小林が、細谷のそれは茶飯事ちゃめしごととしてスルーしている。

呑気のんきに小袋になったお菓子をいれた、おやつボックスと呼ばれる箱を蒼衣に差し出してきた。


「いや、扇風機の風のおこぼれを預かりに来たけど、ほそやんの席に出張する感じ?」


「うん、コバのものは俺のも…」

代わりに返事ともつかない返事を小林に変わって返事をする。

「蒼衣さん、このアホになんか言ってやって。」

細谷の言葉を完全に遮り、なかばため息をつくように顔をしかめながら、親指を細谷に向けてクイクイ手を動かす。


細谷が小林の物を使うのも、社内でも暗黙の了解、周知の事実と化しているから誰も疑問を抱かなくなっている。


「仲良しさんだねぇ。」


「いや、蒼衣さん、そういう意味じゃないです。」


「自分で卓上扇風機用意しなさい、小林のものは小林のものですよ」ってことを言ってほしかったのだろうが、正直なところ、今更である。

この2人の仲は熟年夫婦のような、阿吽の呼吸で理解するようなバディのようだ。


「あ、やっぱり?俺も卓上のやつ買うかぁ。そしておやつはもらっていい?」


「はい、どうぞー。」


蒼衣が尋ねたら、細谷が我が物顔で小林のおやつを差し出した。

「ほそやん、自分のもののように言わないでくれるかな、俺のだから。」


「えー、じゃぁ俺の分は?」

ふざけてむくれ顔をしながら管を巻く細谷を横目に小林はスルーを決め込む。


「とりあえず蒼衣さん、好きなのどうぞ、このアホは言わなくても持ってくんで。」


「あざーっす!」


細谷の訴えは置き去りにして蒼衣に向き合った小林がおやつを差し出した。


涼は得られずとも、おやつを手に入れた蒼衣は席に戻りがてらに在原の横を通りすがったら、蒼衣とは真逆に凍えていた。


そもそも在原は寒がりだ。動かないし、動こうとしないから、だいたい凍えており、蒼衣からは、少しチームの回りだけでも動けよとどやされることがよくある。


しかし、俺特に用事ないし、と順調に、省エネを決め込むのだった。


そんな今日も、微動だにせず、いや、長身から伸びる長い足を組みながら手をすり合わせながら席から一歩も動かずにいた。


確かに在原がいる席はやはり冷房の当たりが強いのだ。


「そんなに寒いの?俺、暑いんだけど。」


「え、信じられない。」

 

同じ空間にいるのに暑がりと寒がり、そして空調の問題で起きる季節の次元超え。


「俺も在原君の寒がりっぷりが信じられないわ。職位が関係なければ代わりにその席に座りたいくらい。」


「座る?」


ニヤッと笑いながら立っている蒼衣の方を上目遣いに見やる。


イヤ!」


間髪入れずに力強く応えた蒼衣には訳がある。


以前、一度席を外した在原を待ちながら、暑いからという理由と、お前の席はもらったと冗談を言うつもりで在原の席に座ったことがあった。

蒼衣がとうとう主任になるのか、研修であの席にいるんじゃないか、と噂が持ち上がり、日頃の評価もあってか、蒼衣への周りからの期待値のお陰を持って火消しにかなりの労力を要した経験があった。


ただ適当に冗談のつもりで座ってただけでこれだ。


自席に戻っても、サブリーダー達から「研修期間は権限ないのか」と本気か冗談かわからない質問もかなりされた。


あまりに眉間にシワを寄せ、目が釣り上がり始めたところで在原がうまいこと仲裁してくれたことがあった。


「蒼衣さん暑がりだから、温度的には俺の席がちょうどいいのよねー。それ以上はやめてあげてね。じゃないと俺にとばっちりくるから。」


たったその一言だけで、サブリーダー達からのからかいは収まり、蒼衣の眉間のシワも取れた。


在原に救われた。

飄々としている割にきちんと見ているし、その場を抑えるのに丁度いい空気と言葉を用意したことへの驚きと、少しの尊敬と地頭いいタイプだと感じたのだった。


蒼衣の中で、在原に対しての評価が変わったのはこのタイミングだった。


その後、チームのメンバーからは、あのときは蒼衣さんに近づけなかった、いつも手を挙げなくても来てくれる人なのに、と泣きつかれたりもして猛反省したものだった。


おまけに、主任になる意欲があると思われ、課長たちからも早く上に上がれと言われる頻度も増えてしまった。

それゆえに蒼衣は冗談でも座らないと決めている。


「あはは、向いてると思うんだけどね。」


「俺は二番手向き。」


「そう?」


「うん、周り見えなくなると目が釣り上がってサポートどころじゃなくなる。在原君だってみただろ?俺のイライラモード。」


「そうだねぇ、あのときはどうしようかと思ったけど。」


助けてお願いとヘルプを出すことができないタイプの蒼衣は、抱え込みすぎると目が釣り上がり、誰も近付けない空気になるのだ。

以前に勤めていた時の会社にいたときが典型的にそうだったのだ。


主任になれば、業務の質がかわり、雑務とサポート両方、そして中間管理職という立ち位置が更に濃くなるし、責任も追加される。


仕事に追い詰められれば言葉は雑になるし、態度も目つきも悪くなるって、それは上司として失格だろうと蒼衣は思っていた。


ある意味在原くらいに肩の力を抜いて構えられるタイプの方がこのの会社での上席に向いている。


「だろうね。かなり丸くなったと思うよ、自己分析的にも秘書タイプ、サポートしてるほうが向いてると思ってる。」


今でこそ温厚、穏和と言われる蒼衣も、20代中程までは勝ち気で負けず嫌い、蹴落としてでも上に行きたいタイプだった。


一歩でも人より上回りたい、一つでも多くできることを増やしたい。自分だけが出来ればいい。


今思えばなんて身勝手な勝ち気な性格だったんだと思い返しては反省する。


この会社にきてからも上昇志向は強くあったし、数年ほど前までは確かに主任になろうという意志もあった。


しかし、段々と年齢を重ねて、そして自分より年下が上司になることを経験して、意外とサポートしている方が周りをよく見れるということに気付いたのだった。


「蒼衣さん何持ってるの?」


「ん?扇風機借りようと思ってコバさんのところにいったら先客がいてだめだった代わりに、おやつもらった。」


「ほそやんか。そんなに暑いの?」


完全に小林、細谷はである。


以前に蒼衣はいい間違って、「こばやん!」と読んでしまい、2人が振り向いたことがあった。


ごめんと平謝りをしたが、大分大きい声だったのだろう、隣の部署からも2人セットがこばやんと呼ばれるようになってしまった。


「うん、暑い、さっきまで眠気にも襲われて限界を向かえそうだった。」


「えー?俺寒い。めっちゃ手冷たいし。ほら。」


と、ごく自然に右手を出してきた。


「触ってみ?」


「えっ。」


一瞬の沈黙が起きる。


蒼衣は動揺からか目が少し大きく開いて、瞳が揺れた。

そして、戸惑いつつも動揺を隠すように少しだけ伏し目がちにし、そっ、と左手で指先に触れた。


いや、男同士なのになぜ戸惑う?


そんな疑問も一瞬、ひんやりと冷たい指先から伝わる温度は、確かに冷たいのに、蒼衣の体内には、熱い何かが駆け巡った。


「っあ、ホントだ、冷たい。」


辛うじてでた蒼衣の声は、少しかすれ気味だった。


な、何?

目を合わさずに触れたのに、ずっと見つめ合っているような気持ちになる。


自分の中に湧き上がる何かよくわからないものに蓋をしようとしながら、触れた手を離そうとしたその時、在原はそのまま蒼衣の手をまるで恋人のつなぐそれのように握ってきた。


心なしか蒼衣の体が固まる。


「蒼衣さんの手温かいねぇ。羨ましい、ちょっと体温ちょうだい。」


ほんの少しギュッと握られた手。


「え、あ、うん。」


2人の周りだけ切り取られたように蒼衣は自分の心臓の音がうるさく感じる。


いつもならツッコミ冴えわたる筈なのに頭がパニックになっている蒼衣は、手もほどけずに肯定してしまった。


「いや、そこは仕事中とか動けないとか湯たんぽかとか突っ込んでよ〜。」


と、にっこり笑いながらその手を解いた。


そこに残ったのは、在原の冷たい指先の感触と、にっこり笑った笑顔の残像と、そしてまた何かが流れた残滓ざんしだった。


「あ、コバ、俺もおやつほしいー。」


蒼衣のもやもやの諸悪の根源である在原は何事もなかったかのようにくるっと椅子を返し、小林の元におやつを求めにいった。


「あー、こら、ほそやんこぼすな、しかも忘れ物!」


細谷が小林のおやつをつまんで席に戻ろうとしているが、食べかすをこぼし、おまけにファイルに入れた資料を小林の席に忘れたままという、子どものような状態の細谷だった。


「太るぞ?」


と、金縛りを解くかのように蒼衣は在原にわずかばかりの反抗をしてみた。


「えー、ジムいくもん。」


とにっこり笑って返してきた。


13時35分、蒼衣はこの後まともに業務できるか心配になりつつ、呼ばれた席に向かった。

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