お題スロット短編

@10100

炊飯器 箱買い 深淵

「なんで炊飯器がこんな大量にあるんだよ」

「買ったからに決まってるだろ」

「違う! 用途を聞いてるんだ! 一気には使わないだろ!」

 左程広くもないワンルームアパートの一室。掃除が行き届いておらず、座り込んだ床は埃っぽい。そもそも家具が全くと言っていいほど存在しない。椅子も、机も、近代三種の神器すらもない。あるのは、ボロボロの床が抜けそうな程に積み重なった、古めかしくどこか怖気を感じる本の数々。それから炊飯器。

 十個の炊飯器が無駄に規則正しく、一列に並んでいる。

 近くに置かれていた炊飯器を叩いた衝撃で、フローリングがミシリと嫌な音を立てた。

 向かいに座ったボロアパートの主は炊飯器から視線を外して、俺を睨む。

「正樹、穴開けるなよ。こんな部屋でも借り物なんだからな」

「こんなボロに住んでる方が悪いだろ。ってか行雄、お前、こんな部屋だって分かってるじゃないか! 一ヵ月一万五千円でもぼったくりだぞ!」

 大学生になったばかりの俺達には金がない。仕送りが見込める環境にも無く、学費は奨学金、生活費はアルバイトとこれまた奨学金で賄う日々だ。

 一食分でも食費を減らす為に、まかないの出る飲食店かコンビニでしかアルバイトをせず、金を出す必要がない飲み会にばかり参加している。それにも関わらずこの行雄という男はムダ金ばかり使っている。

「これ、安かったんだ。十個まとめ買いで三千円。お得だろ?」

「炊飯器のまとめ買いってなんだよ……理解が追い付かない……」

 一つ三百円。何故そんな安値が付けられているのか理解が出来ない。きちんと機能するかどうかも怪しい。

 行雄は育ちのいいお坊ちゃんであったから世間知らずなところがある。有り体に言えば、いいカモだ。

 優しい両親と、歳の離れた兄弟に囲まれ、甘やかされて育った末っ子。アルバイトを始めるまで一万円の価値すら分かっていなかった。勉強が出来るという意味なら頭は悪くないんだろうが、世間一般では馬鹿と言われるんだろう。

 生まれてこの方、執事一家の次男として過ごしてきた。行雄の世話は慣れているが、これは酷い。

「身体壊しても助けてやらない」

「俺は料理出来ないんだぞ。正樹に見放されたら絶対に死ぬな。……まぁ、いいさ。その時は一人で死ぬ」

「お前な……」

「一人にはならないから安心してくれよ」

 行雄は炊飯器を優しい手つきで撫でる。

「どういう意味だよ」

「兄さん達を生き返らせる方法を見つけたんだ」

 行雄は膝立ちになる。妙に俊敏な動きで、俺の隣にある本の山の一番上に置かれた本を取り、栞の挟まったページを開く。

「ほらこれ」

 顔を寄せるも、書かれている文字は全く理解の出来ないものだった。ミミズがのたうった様な文字列はただの線にしか見えない。そもそも俺が読める文字は五十音とアルファベット、ハングル。キリル文字、ヒエログリフと楔形文字は文字であると理解できる程度だ。文章としては全く読めない。

 本の文字はどれにも当てはまらない。スマートフォンで検索しても、箸にも棒にもかからない。完全に未知の文字だ。

「読めねえよ。行雄は読めんの?」

「頑張ったからな。知ってるだろ、勉強は得意なんだ」

「あーはいはい。で、なんて書いてあんだよ」

 行雄は少しだけ口角を上げた。

「死体を塩と化合物に分離するんだ。青っぽい灰になるらしいんだが、この呪文を反転して使用すると灰から死体を復活させることも出来る。魂も一緒だ」

「まさかこの炊飯器の中……」

「父さんたちが入ってる。正樹の御両親と……あとプライベートジェットの運転手も」

 血の気が引いていく。背筋が凍る。肘置きにしていた炊飯器から慌てて飛び退く。

 行雄は小さく空気を吐いた。腰を抜かした俺の前に膝を付き、炊飯器を撫でる。銀色のボタンを押すと、蓋が跳ねあがる。中には確かに酸化銅に似た粉が入っていた。 

「これは優実だよ。自分の姉さんだろ? そんな風にしたら可哀そうだ」

「そういう、問題かよ」

 嘘の可能性だってある。数か月前のプライベートジェットでの旅行の途中に発生した事故で俺達の両親と行雄の三人の兄、俺の姉と兄は死んだ。以降、行雄はおかしくなってしまったらしい。人間は復活しない。今の科学じゃ、そんな奇跡は起こせない。

 葬式はちゃんと済ませた。ジェットが空中分解して乗客は全員落下死した。死体は綺麗では無かったが、きちんと棺に納められ、火葬された筈だ。この目で火葬場に入って行くのを見た。

 炊飯器の中身が行雄の言う通りだとして、死体をすり替えたのか。もしくは墓を暴いたのか。中身は肉塊ではなく、行雄曰く、化合物に変質している。つまり、一度成功している?

 いや、真偽は最早どうでもいい。孰れにせよ、とち狂っていることに変わりは無い。

 とてもじゃないが、あれが姉貴だとは信じられない。

 ずっと前に行雄の祖父が亡くなった時の葬式を思い出す。小学生だった頃、よく分からないまま葬式に参列し、骨壺に骨を収めた。肉が無くなって、細かい骨と軟骨は溶けてしまっていた。骨が丈夫じゃなかったとかで、形が残っていたのは頭蓋骨くらいのものだった。頭蓋骨が上から押されて、壺の中に収まっていく。ばりばりばりと乾燥した骨が砕ける音がする。

 灰の量は人間一人分には遠く及ばない。そんな現実逃避をしなければ、行雄の顔を見ていられなかった。

 行雄は首を傾げながら、炊飯器の蓋を閉めた。

「喜んでくれよ。俺達、やっと元の生活に戻れるんだ。兄貴達に会えて、ずっと一緒に」

「だからって……死んだ人間を復活させてどうなるんだよ! 世間的には死んでる。戸籍もない。元の生活には戻れる訳ないだろ!」

「戻すんだよ! どんな手を使ったって!」

 行雄が襟首を掴んでくる。事故以降、貧困と精神的ショックによって食事量が減った。シャツの袖から覗く手首は酷く細い。腕がぶるぶると震えて、首を締め上げていく。骸骨の様な細さをしているのに力が強く、振りほどけない。

 俺の襟首を掴んだままの行雄が腕を振ると、体が床に叩き付く。空気が口から一気に吐き出される。また首が締め上げられる。

 埃が舞う中で、胸の上に乗った行雄は瞳に悲壮さを滲ませた。

「頼むよ正樹。お前だけは味方でいてくれよ」

 間違ってるよ。どう考えたって間違ってる。俺達は今を生きるしかないんだ。

 時間は戻らないし、死んだ人間も生き返らないんだ。得体の知れない力を使ったところで、復活した人間が本人だと言い切れるのか。駄目だ、止めろ。俺だけじゃ駄目なのか。いてくれと言われたらずっと一緒にいる。お前の家の繁栄が俺達一家の喜びなんだ。本当だ、信じてくれ。それから全部にスイッチ入れるな。絶対に。

 長年、執事として生きる為に刷り込まれた信念と友人としての懇願が入り混じった幾千もの抗議と反論は、喉の奥に蟠るばかりで空気を震わせない。

「ぅぐぁ、が、ぁや」

「駄目だって? 止めろって? はは、声が聞こえなくてもなんとなく言ってること分かるな」

 悪戯っぽく笑う。

 力は強まっていく一方だ。俺は空気を求め、必死で藻掻いた。

 その間も行雄は軽やかに口を開く。

「あ、そうそう。炊飯器の用途はさ、俺、一回儀式に成功してから魔力が足りないっぽくてさ。魔力と電力は似てるって文献を見つけたから代用しようと思ったんだ。呪文唱えながらスイッチ入れたら、はい完成。早炊き十五分で人間の出来上がり。簡単だな」

 気道が塞がれて、顔に血液が溜まっていく。熱い。

「正樹を殺すつもりはないさ。肯定してくれないなら邪魔だけはしないで欲しい。……でも、全部終わるまで側にいてくれ」

 行雄が言葉を放った直後、腹に鈍く重い衝撃が走った。殴られた。

 抵抗らしい抵抗の出来ない体は衝撃をまともに喰らった。意識こそ失わなかったが、痛みが引くまで動くことは不可能だ。

「ば、ぁか……や」

「止めるかよ馬鹿」

 行雄は立ち上がり、何かを呟きながら屋中の炊飯器のスイッチを押していく。呪文なんだろうが全く聞き取れない。脳が理解することを拒否している。

 その上視界が極彩色に歪んでいく。蛙の様な、蝙蝠の様な何かがゆっくりと顕現している。空間を引き裂いて浸食してくる。この世のものではない。いや、この世の物かもしれないが、絶対に人間が生きている内に見ても良い物ではない。

 気持ち悪いだけでは表せない不快感。悍ましさ。全身をコールタールに包まれていく様な、感覚の全てが乖離していく。現実感が遠のいていく。猛烈な吐き気で身体構造が反転してしまう。

 軽快な音楽が炊飯を始めた事を知らせてきた。赤い数字が浮かび上がる。

 詠唱はいつの間にか終わっていて、行雄は獰猛な笑みを浮かべていた。

「もうすぐ、もうすぐだ」

 行雄が五つ目の炊飯器のスイッチへ手を伸ばした瞬間、ばつん! と大きな音がして、蛙が消えた。極彩色の視界も正常に戻り、昼下がりの陽光がカーテンの隙間から薄暗い室内を照らし、埃がキラキラと漂っている。

 行雄は足を伸ばしたまま、背中から床に倒れ込んだ。頭蓋骨が床に当たり、ダァン! と派手な音が鳴る。

 隣の部屋から「うるせえぞ!」と怒鳴り声が飛んできた。

 辛うじて動けるようになった俺は、匍匐前進で行雄の側に寄った。

「ゔ、ぐ……ゆき……だい、じょうぶ、か……」

 覗き込んだ行雄の顔は先程よりもずっと青白く、そして困惑しているようだった。黒目は忙しなく動き回り、部屋中を眺めている。

「何が起こった……? おかしい、理論上は絶対に成功する筈」

「いや全部スイッチいれようとするから……」

「え?」

「ブレーカー落ちたんだよ」

 こいつが世間知らずで心底良かった。

 タイマーの消えた炊飯器の蓋を開くと、酸化銅の様な青は真っ黒になってしまっていた。

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