妹に任せてみた
一ヶ月後、さくらから届いた原稿は、完璧だった。
「分かった分かった。一回書かせてよ。使うかどうかは、お兄ちゃんが決めていいから」
そこまで譲歩され、渋々OKを出したが……さくらの自信が透けて見えるほど、予想以上の原稿がやってきたのだ。
書き方、文体はまさに俺の文章そのもの。俺ならこういう言い回し、描写をするだろうなと思ったら、本当にその想像通りの文がやってくる。
場面転換や、シーンの構成の組み方も同じだ。
試しに、俺が書いたパートと繋げて読んでみる。
……やべえ、全く違和感がない。
突っかかるところが全く無い。
それでいて、ものすごく面白い。
今まで俺が編集者からつけられてきた注文も、クリアしている。
……いつの間にか、一読者として俺はさくらの原稿を楽しんでしまっていた。
これ、本当にそのまま原稿として提出できるんじゃないか……?
***
そして、編集者から催促されたタイミングで、俺は送ってしまった。
さくらの原稿を、ほとんどそのまんま。
「頼む、バレないでくれ……」
窓の外は夕暮れ。カラスの鳴き声が、狭い病室内にこだまする。
……でも、多分これしか無かった。編集者からも、もう原稿を待てるギリギリと言われていた。
もし指摘されたら、その時は平謝りしよう。
そしてもう、俺の元に出版社から声がかかることはないのだ。
だいたい、書き始めて一年と少しの俺のところに誘いが来る方がおかしいのだ。
もとよりアニメとかラノベとかは好きな人間で、その辺の知識はあったつもりだが、文章を書くという経験は全く無かった。そもそも創作活動というのをロクにしたことがない。
国語の成績だって中の中だ。他の科目もそうだったけど。
俺より文章が上手いやつだって、創作が上手いやつだって、掃いて捨てるほどいるだろう。
俺よりも前に書籍化を打診すべき作者は山といるはず。というか、今の人気作家に新作を書かせたほうが、売上的な面でもよっぽど計算できるんじゃないのか。
それでもなお、俺みたいな新人を掘り続けないといけない状況、大丈夫なんだろうか……
テレビのニュースでやってた『出版不況』という言葉を、なぜかものすごくリアルに実感してしまった。
***
「お兄ちゃんお兄ちゃん! 持ってきたよお兄ちゃんの本!」
病室に入ってきたさくらは、右手に一冊のラノベを持ちながら俺のベッドに駆け寄ってきた。
大学生になり、ワンピースに裾の長いスカート姿。白黒の病室の中に、パッと花が咲いたかのよう。
ひいき無しで見てもかなり美人で発育の良いさくらは、きっと大学の新歓でも陽キャの飲みサー男に囲まれているのだろう。サークルと付き合う人間選びは慎重にやれ、身体を触ってきたり酒を勧めてくるようなやつとは距離を取れ――俺が兄として言えるのは、それぐらいなもんだ。
「これは俺の本じゃないよ。実質さくらが書いたようなもんだ」
そう言って、さくらが渡してきた本を俺はそっと取り上げる。
色鮮やかな制服姿の男女のイラスト。散りばめられたタイトル。右下に小さく書き込まれた俺のペンネーム。
俺の手を介した、実質さくらのデビュー作だ。
結論から言うと、書き手が変わったことは全くバレなかった。
「良いじゃないですか! これが欲しかったんですよ!」
編集者は俺が送ったさくらの原稿を褒めちぎり、そのまま校正、さらに文字組みの工程にかけていった。
俺の心配は、あっけなく消し飛んだのだ。
……まじで、最初からさくらに執筆を勧めたほうが良かったんじゃないか?
いや、それよりも俺の文章を全く真似た上で、普通に面白いものを書いてくる、この才能は何なんだ?
妹ながら末恐ろしい。俺なんかの妹にしとくのはもったいなさ過ぎる。
「でも、全部あたしが書いたわけじゃないよ? お兄ちゃんの原案があってこそだし……」
「いや……さくら、読んだなら分かるだろ? 俺は、お前の原稿を、ほぼそのまま編集者に送った」
そして、ほぼそのまま本になった。
「これは俺の名義だけど、俺の本じゃない。さくらの本だよ」
俺はパラパラと本をめくる。
中身の文章は、最終チェックの通りだ。
この状態で読んでも、本当に違和感は無い。
……ああ、そうだ。
「さくら、これからはお前がこの本の作者ということにしよう」
「なんで? 最初はお兄ちゃんの作品からなんだから、作者はお兄ちゃんだよ?」
「だってそうだろ。この本の中で、俺が書いたところは本当に……10ページぐらいなんじゃないのか。正直、俺がノータッチでもこの本は完成していたさ」
「そんなこと無いって。だって、書籍化のオファーはお兄ちゃんが受けたんだから」
でも、俺は結果として、この本にはほとんど寄与してない。
そんな人間が、作者を名乗って良いはずが無い。
「きっと間違いだったんだよ。それか、何かの気まぐれか」
多分、元より俺はそういう器じゃないのだ。
「打ち合わせだけは俺が出たほうが良いな。さすがに声でバレるし。お前にも編集者のメアドとか教えとくよ」
「え、でも……」
「さくら、お前には才能がある。俺なんかよりよっぽど面白い作家になれるはずだ」
お世辞は一切なしの、本心から出た言葉だった。
本当の作家は、さくらである。
「……ところでさくら、どうやって俺の文章を真似たんだ?」
「う〜ん……でも人を真似するって、そんなに難しいことじゃなくない?」
とりあえずさくらには一通り編集者の連絡先や、俺の知ってる情報を教えておいた。
メールの文章なんかも、さくらが打ったほうがいいだろう。
「そんなことないだろ。プロの編集者の目を欺くなんて相当だぞ」
「それよりも、一から自分の色を出す方がよっぽど大変だよ。お兄ちゃんの作品にも、『文章の雰囲気が良い』とか『言葉回しが好き』って感想コメントがいくつもあるじゃん」
個人的には、文章とかはあまり意識してないので、それよりも設定のこだわりとかストーリー展開を褒められたいのだが、読者の視点に立つと変わるのだろうか。
「それに、お兄ちゃんを真似してるのだから、お兄ちゃんらしくできるのは当たり前だって。後から真似するほうが、より本物らしくできるものだよ?」
そう言ってさくらは、ぐっと身を乗り出して俺を下から覗き込んでくる。
ワンピースの隙間から覗く素肌が作る曲線は、まるでほんのちょっと俺を誘惑しているかのようで。
「そうか?」
「だって、本物より本物らしくしようとしてるんだよ? ものまね芸人だって、本人の特徴を捉えるの上手いじゃん」
本物じゃないほうがより本物らしい、と言われてもな……
「どんなものでも、一番最初が一番偉いに決まってるじゃないの」
そんなこともないと思うぞ。
造り手と、それを世に広めた人が別ってのも、よくある話だ。
「だからこれは、お兄ちゃんの本。あたしは、ちょっと手伝っただけ」
ちょっとどころじゃないだろうに。
「そもそも、事故が無かったら、お兄ちゃんが普通に書いてたんだから。これはお兄ちゃんの本だよ」
そうなのだろうが……
事故がなくても、俺はこの本を作り上げることができた自信はない。
***
「先生、続刊決定しました!」
「あ、ありがとうございます!」
なんと、俺、というかさくらのデビュー作は、よく売れた。
同じ月に出たラノベでは、レーベルで一番売れたとか。
シリーズ物の続編も一緒にあったのにも関わらず、それらを差し置いてどうして。
「予想以上に売れ行きも伸びましたしねーあと、うちから久々にラブコメ系の新作ってのも話題に繋がったかもしれません。社内の評判も上々ですよ」
「本当ですか……」
驚く俺。その隣では、さくらが書店に送るという色紙にサインをしていた。
俺もさくらも、大学は夏休みに入った。
俺の怪我の方はといえば、無事退院、車椅子ながら何とか10月の秋学期からは学校に出れるぐらいにまでは回復した。
両腕も固定は取れ、まだ痛みは残るながらも日常生活はこなせる。
ただ、ずっとPCでキーボードを打ち続けるのは、まだ結構辛い。
ましてやサインなんてもってのほかだ。
だから、出版社から送られてきた大量の本にサインをするのは全部さくらの担当だった。
編集者から『丸っこい文字ですね』と言われたが、怪しまれなかったのが幸いである。
「それで、今後のスケジュールですが……」
冷房の効いた部屋で、俺は必死で手帳に日程を書き留めていった。
「……さくら、2巻目、書きたいか?」
打ち合わせを終えると、俺はさくらに尋ねる。
「……お兄ちゃんは、書きたくないの?」
さくらは肩周りが露出した薄いタンクトップ一枚で振り向く。
実の兄妹とはいえ、年齢の近い男と部屋に二人でいるときにする格好ではない。
俺がチャラい赤の他人だったら、すぐさま押し倒されてるぞ。
「でも、俺よりお前の方が書くの上手いだろ」
「そうかな……だけどお兄ちゃんの作品だよ?」
そう言っていい作品では、すでに無い。
少なくとも、本を買ってくれた読者が読んでいるのは、ほぼさくらの文章だ。
「いや、むしろここでまた俺の文章に戻ったら、今度こそ編集者が気づくかもしれない」
「そんなこと……」
さくらは少しむすっとしたような顔をして……
……でも、また戻る。
「……わかった。聞いてきたってことは、最初からあたしに頼むつもりだったんでしょ?」
「……まあな」
もうこの作品は俺の手を離れた。
多くの読者がさくらの文章を読んでくれた時点で、さくらの方がこの作品の作者なのだ。
「ちなみにお兄ちゃんは、何か物語の構想とかあるの?」
「……いや、任せるよ」
そういうのが無いわけじゃない。でも、俺が下手に口を出す必要はないはずだ。
さくらなら、きっと最初から面白いものを作り出してくれる。
もう、本物じゃない俺が出る幕はない。
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