第4話 朝溶けの月季花

その日は朝から虫がひどく泣いていた。

いつも軽快に歩いたあの道を

或いは胸を鳴らし歩いたあの道を

私はもう歩くことができない。

あの日は今の前触れだったのだろうか、

酷く歩みが遅かった。

花畑に近づく程、胸が痛くなる。

あと百歩も行けば着くような場所で漸く気づいた。

この焦げ臭さの正体に。

私はとかく考えるのをやめ、季花のもとへ走った。

胸は痛くなるばかりだ。

花畑に着くと、赤黒い花畑が広がっていた。

僕を止めようとする冷たい手を振り払い、

季花の方へ走った。

でももう彼女は燃料にされてしまったようだ。

いない。いない。いない。どこを探しても、

そこに彼女はいなかった。

私はそこに落ちていた嫌に焦げ臭いハンカチを

そっと拾い握りしめた。

私は眼から出る煙をいつまでも眺めながら、

冷たい手に連れさられた。


ーーーーーあれから10年、私は季花のことを引きづり続け、

拗れることを止めることは出来なかった。

世を見る黒目がなかった日々を過ごしていた。

それなのにどうして…

「お兄さん、なんであたしの名前知ってるの?」

訝しげに私を見る彼女の目は、

彼女が季花であることを証明していた。

というかどうしてこんな事に?

季花が息をしていたのはもっと昔のはずなのに

何故生きているんだ?

「…聞いてる?」

「ああ、すまない」

咄嗟に返したは良いものの、質問が返答に困るものだったので

続きの内容が思い付かない。

私は数秒間を空かせた後、少し前の質問に答えた。

「信じられないかもしれないが、私は花畑に居た少年だ。

そしてここは大学。君からすれば十年後の世界の大学だ。」

「そんなわけ…」

そういいながらまたも訝しげに私を覗く彼女だったが、

私の特徴的な顎のホクロを見た刹那、

私を本物だと認識してくれたようだ。

「そんな…」

私は彼女にここにいることへの驚きより、

またこうして、季花と話せることが嬉しかった。

私は、彼女の姿を見ただけで

蛇口のネジが外れたように涙が流れ出した。

彼女は、なにも言わず私を包んでくれた。

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