始まりをいくつ数えた頃に
夢月七海
始まりをいくつ数えた頃に
「まーた、難しい顔してるよ、涼八」
頬をつんと突かれて、僕は我に返る。その指先の主は、意地の悪い目つきをしていて、でも、こちらがほっとするような温かい微笑みを浮かべていた。
数か月前に知り合った女性・スターチスと白いテーブルを囲んでいた。淡い青色のワンピースを着た彼女は、湖の水面のような青い瞳を伏せて、焦げ茶色の長い髪が垂れるのも気にせず、今日もひたむきに編み物をしている。作っているのはマフラーらしい。
「私が君と一緒にいられるのは、ほんのちょっとの時間だから、そんな暗いことばかり考えていたら、損だよ」
「ごめん……ただ、ちょっと気になる事があって」
話しそうかどうかを、一瞬悩んだ。だけど、顔に出てしまうような秘密を、ずっと隠し通せる自信は無かった。
それに、僕が知ったことは、彼女も知りたい事だろう。なぜ、僕らは出会ったばかりなのに、こんなにも惹かれ合うのか、その理由がそこにあったのだから。
「昨日、何か分かるかもしれないと思って、君の前世を調べてみたんだ」
「え、どうだったの?」
「君と僕は、ソウルメイトだった」
言った直後に、スターチスの顔は、驚きの表情から、だんだんと開花するように、喜びのものへと移り変わっていた。
そんな素直な喜びが、僕にとってはすごく心苦しくて、そういう意味じゃないんだと強く首を横に振った。
「違うんだ。そんないいものじゃなくて、何というか、僕らのソウルメイト関係は、かなり捻じれてしまっていて……」
「捻じれている? どういうこと?」
「そもそもの始まりから、イレギュラーなんだけどね」
スターチスを窺うと、訝しげにこちらを見つめている。ただ、事の深刻さは、僕の曖昧な説明だけで伝わっていない様子だ。
そもそも、ソウルメイトというのは、死後に魂の一部を交換して成り立つ関係で、生まれ変わっても必ずどこかで出会えるということを保証している。だから、ただ擦れ違うだけでも当て嵌まるし、捕食者と非捕食者として会う可能性もある。だが、僕らのソウルメイト関係は、そうではなかった。
「まず、大昔――今の地獄と天国の関係がちゃんと確立するよりも前の話なんだけどね、」
「ええと、一万年以上前のこと?」
「そう。ある次元に、大きな力を持つ神様がいて、周囲の村々を庇護していた。その庇護の方法が、自分の分霊を込めた木像を、対象者の家に一体置くことだったんだ。その分霊は、人の目に見えない姿で、家を掃除したり、ささやかな幸運を招いたりして、住民を守っていた」
「うんうん」
「それが、ある家の女の子――当時の僕の前世なんだけど、その子には霊感があって、分霊が見えていたんだ。そして、あろうことか、分霊に恋してしまった」
「あら、ロマンチック」
「そうかな?」
スターチスがぽっと頬を赤らめて、僕は苦笑してしまう。彼女の、年端のいかない少女のような言動は可愛らしいものだったが、この続きを聞くと、そうは言っていられないだろう。
「女の子は、分霊にやってはいけないことを行った。結果、神様の怒りを買い、分霊は完全に神様と切り離された一つの魂となり、女の子の魂と深い縁を結ばれてしまった」
「もしかして、その分霊が、私の前世なの?」
「そうなんだ」
もったいぶらずに言い切ると、スターチスは無邪気に笑った。こちらの胸が痛むほど、喜んでいる。
「ただ、神様は僕らに罰を与えたんだ。僕らは必ず出会い、そして親密になる。だけど、必ず、望まない別れ方をする、と」
「……それは、絶対のことなの?」
「うん。例外は、多分ない」
明らかに、クールダウンしたスターチスは、下を向くと、せっせと編み棒を動かし始めた。深く考え込んでしまった時、手を動かすのが、彼女の癖だった。
「涼八は、他の前世も見た?」
「うん。いくつか確認したよ」
「例えば?」
「例えば――」
沈黙に、編み棒が忙しなく動く音が上乗せされる。聞きたくない、でも知りたいという彼女の気持ちが、顕著に表れていて、僕も心苦しいが、念を押すかのように、自分が見た前世の話をする。
「とある砂漠で、僕は盗賊の一員で、貴族だった君を
またある時、僕らは双子の姉妹だった。いつも色だけが違う同じ服を着て、学校に行くのも遊びに行くのも同じタイミングだった。だからなのか、同じ人を好きになった。妹が姉を出し抜いて、その人と駆け落ちをし、その後の二人の再会は叶わなかった。
恋人同士だったこともある。君が雑誌の記者をしている青年で、僕が同居中の彼女だった。仲睦まじかったけれど、ある時喧嘩をして、君は家出をした。その直後に火事が起き、僕は顔に治らない火傷を追い、それを見て自分自身を責める君から離れてしまった。
ずっと片思いのままで終わったこともある。君はあるお店の店員で、僕はそこの常連客。お互いに、言い合わずとも好きだった。でも、結ばれるには障壁が大きすぎて、こっそりと諦めてしまった。後に、僕は結婚して町を離れて、君はただそれを見送った。
逆に、親子だった人生も。母親だった君は、高い実力を持つ魔法使いだった。その娘だった僕は、それがコンプレックスだったけれど、努力を続けて、一流の魔法使いが通える学校に入学した。だけど、娘が全寮制だったそこに通っている間に、母親は何者かに殺されてしまった。
深い友情で結ばれたこともあったよ。僕らは、過酷な環境下、兄弟同然に育ってきた男二人で、殺し屋として、色々と悪いことをしてきたけれど、お互いのことは何よりも信用していた。でも、それを逆手に取られた罠に掛かり、殺し合って相打ちになってしまった。
変わった関係だと、師弟というものもあったな。君が言語の研究者で、僕が地球人と異星人のダブルだから、テレパシーを使えた。僕は君から言葉を教わっていたけれど、本来管理対象だったので、君から離されてしまい、会えないうちに君は病死した。
二人とも、人間になるとは限らなくて、どちらかが動物だったこともある。ある時、君が猟師の息子で、僕は若い猟犬だった。小さな村の中で、いつも何人かの友達と一緒に遊んでいたけれど、君が大人になる前に、村は戦火に包まれて、何も残らなかった。
君が隻眼の馬だった時、僕は君を買い取った旅人で、一緒に旅立ったこともある。僕らは世界中を旅して、色んな景色を見てきた。でも、ある日盗賊に襲われて、僕は何とか君を逃せたけれど、そのまま殺されてしまった」
出来るだけ感情を込めずに淡々と、知ってしまった事実だけを伝えたかったのだけど、後味の悪さが圧し掛かってくるようで、後半から僕はほぼ項垂れるようにして話した。
視界にあるのは、テーブルの上に置かれた二人分のマグカップだけ。耳に入ってくるのは、君が編み棒を一心不乱に動かす音だけ。
「……始まりをいくつ数えた頃に、僕らは幸福な終わりを迎えられるのだろうか」
無意識にそう呟いた直後に、言ってしまったという激しい後悔に襲われた。弱音は吐かないつもりだったのに。顔を覆って泣きじゃくりたくなる。
僕が全ての前世を見た訳ではないけれど、全てに後悔が残る別れが待っているということは、もうすでに分かっている。今もずっと悲しみの渦に巻き込まれている心持ちで、他の前世を確かめたいとは思えない。
「ねえ」
そんな僕の心を静めるかのように、スターチスが声を掛けた。何も音がしないと思って顔を上げると、彼女は手を止めて、儚げな笑みをこちらに向けていた。
「今は? この先も、幸福な終わりは来ないの?」
「今? 正直、今が一番の逆境だと思うよ」
スターチスの穏やかな声色に反して、僕は苛立ちを隠せなかった。自分を、次に彼女を指差して、言い切ってしまう。
「僕は生まれつきの悪魔で、君は生前と死後の記憶を失くした天使……どうやっても、幸福にはなれない」
さらに言うと、ここは天国と地獄のちょうど中間に位置する場所で、ここで療養中のスターチスと違い、僕は休憩中のわずかな時間しか滞在できない。ちなみに僕は、地獄で罪を償い終わった魂を、天国へ運ぶという仕事をしている。
スターチスが数カ月前にここの廊下で倒れているのを、僕が見つけた。先輩と協力して医務室に連れて行ったのだが、回復した彼女は、自分の名前を含めた全ての記憶を失っていた。
彼女のことが心配で、何度か様子を見に行って、言葉を交わすたびに段々と仲良くなっていった。スターチスにとって知り合いと呼べるのは、数名しかいないのだから、僕に心を許すのは仕方ないことない。対して、僕はこの頃すっかり彼女のことが好きになっていた。
悪魔が天使と対立していた一万年以上前とは違い、現在は様々な出来事を経て、悪魔と天使が婚姻関係を結ぶのはルール上可能となっている。それでも、確執は未だに多くて、悪魔に対して良いイメージを持たない天使の方が多い。何も知らない、スターチスが特異なタイプだ。
はたと我に返ると、スターチスは、この上なく傷ついた顔をして、編み物を再開していた。僕は自分の迂闊さに、再度しまったと内心舌打ちをする。
「ごめん。言い過ぎた」
「いいの。事実なんだから」
スターチスは首を振る。そんな一言で片付けられるような問題ではないとは思うけれど、彼女の表情は、意外にも柔らかいものだった。
「前世の私たちのことは置いておいて、今の私は、涼八と出会えて幸せだよ」
「……うん。僕もそうだよ」
満面の笑みを、僕も返す。この先、僕らの未来にどんな残酷な出来事が待ち受けていようとも、今そう言い合える事実を噛みしめたい。
僕は、手を伸ばして、テーブルの上で山になった、スターチスの編むマフラーをつまんだ。ビリジアンとモスという二種類のグリーンが交差する、チェック柄だ。
「マフラーもうちょっとしたら完成しそうだね」
「でしょ。出来上がったら、プレゼントするよ」
その一言だけで、胸が高鳴り、頬が熱くなってしまう。「楽しみにしているよ」と、小声で返すのが精一杯だった
直後、こちらに向かってくる足音がして、僕は目を向けた。チェロスを食べながら歩いてくる中年男性は、僕と同じ紅い瞳をしている。彼は、僕の先輩のブラッドベリさんだった。
「おう、谷崎。交代の時間だ」
「あ、はい。分かりました」
天国行きの乗り物を運んできた先輩と交代して、今度は僕がこの乗り物を地獄へ戻す。乗り物という曖昧な言い方になるのは、それが運ぶ相手の文化圏によって形を変えるからであり、日本人をよく担当している僕は、大体飛行機かロープウェイになる事が多い。
ちなみに、その乗り物は自動運転なので、僕らの役割はパイロットというよりの乗務員に近い。何か不測の事態になれば操縦席に座ることもあるけれど、大概はトラブルシューターと車内サービスが中心だ。
僕がマグカップ片手に腰を浮かせると、先輩はスターチスの方を向いて笑いかけた。
「クリムトも久々だな。どうだ、最近の調子は」
「変わりありませんよ。ご心配をお掛けしています」
「いや、別にいいんだ。元気ならそれで」
先輩が困ったように笑うのは、記憶を失って倒れ込んだスターチスを医務室に運んだのが彼自身だからだった。「変わらない」というのは、「記憶がまだ戻らない」という意味合いだと、分かっている。
記憶を復活する術はあるのだが、医務室の先生によると、記憶喪失の理由が分からないのなら、無理に復活させない方がいいらしい。恐ろしい記憶のフラッシュバックが原因だったら、蘇らせるのは彼女の精神が危うくなると。
「じゃあ、僕は行ってくるよ」
「うん。またね」
スターチスと、小さく手を振り合ってその場から離れる。今度会うときには、マフラーが完成しているかなとか考えながら。
先輩が以前に言っていた。再会の約束を交わせる相手がいるのは、幸せなことだと。今の僕には、その重みが確かに分かる。
彼女との魂の因縁を知ってしまった現在、この瞬間が今生の別れになるのかもしれない。
どうか、また、彼女と会えますようにと、無力な僕は祈るしか出来なかった。
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