【61】月夜の告白<1>
平原を少し進んだところ、木々の生い茂った林地帯の中に、キースの隠れ家はあった。
隠れ家、と言ってもなかなか立派な造りの小屋で、中に入ってみると部屋もいくつか分かれている様子。このあたりは流石は貴族、と言ったところだろうか。
とはいえ寝床は最低限しか用意されていないようだったので、女性陣やキースとは別室で一人、俺は壁際に寄りかかって休息をとる。
勇者たちとの旅の中では、野営も珍しくはなかった。屋根と床とがあるだけ上等というものだ。
大きく深呼吸をした後、全身の筋肉をほぐしながら俺は窓の外から差し込む月の明かりを一瞥して――その青々とした光を反射して鈍く煌めく、左手の【腕輪】を見つめ、呟く。
「おい、メガミ。いるか?」
……【腕輪】のことを知っていて、俺を幾度か導いてきたあの人ならざるもの。
彼女であれば、この【腕輪】……否、魔王の遺物について、もっと知っていることがあるのではないか。
そう思ってのことだったが――呼びかけてはみても、彼女の気配はどこにもない。
暗闇の中に横たわっているのは、しんと静まり返った夜の空気だけだ。
とはいえ彼女のことだ、見えないからといって、いないとは言い切れない。
だから俺は――辺りをもう一度ぐるりと見回しながら、少しだけ声を大きくしてこう告げた。
「……いるのは分かってるんだ、隠れてないで、出てこいよ」
無論、ただのブラフである。そんなことを言って彼女が出てくるとも思えないが――その時のことだった。
部屋のドアが、きぃ、と音を立てて開いて。
「……あの、すみません、ウォーレスさん……。隠れるつもりはなかったんですけど、なんだか入りづらくて、その……」
そう言って部屋に入ってきたのは、ラーイールだった。
流石にあのボロボロになった服では忍びなかったため、今は俺が【生成術】スキルで即席で作った白いローブを纏っている。
そんな格好で、扉の近くで落ち着かなそうに立ちすくんでいる彼女。想定外の来訪者に、俺もまた少しばかり呆気にとられて――けれど事情を説明するのもなかなか面倒だったので、「おう……」と我ながら煮え切らない返事を返した。
「そんなところに立ってないで、座れよ」
「あっ、はい。すみません……」
俺の言葉にびくりと跳ねながら頷くと、彼女はそそくさと、なぜか俺の隣に座ってきた。
……別段、そうしなければいけないほど狭い部屋でもないのだが。
隣に座ってから彼女が何も喋らないので、しんとした沈黙が再び訪れる。
……その気まずさに、お互い耐えきれなかったからだろうか。
「なあ」「あのっ」
口を開いたのは、ほぼ同時だった。
「……ええと、君から先に言ってくれ」
「いえ、あの、ウォーレスさんからで……」
「俺から……って言っても、こんな夜更けに何の用なのかって訊くくらいだが」
「あっ、そっ、そうですよね……その……すみません……」
なぜか膝を抱えながら謝った後、ラーイールは緊張した面持ちで俺をじっと見つめて正座で座り直すと――決心したように、こう告げた。
「あの……ウォーレスさんに一度、ちゃんと謝っておきたくて」
「謝る?」
「その……ウォーレスさんを、黙って置き去りにしてしまったこと」
そんな彼女の言葉に、俺は少しだけ、口をつぐんで。
それから――ゆっくりと、首を横に振る。
「別に、謝る必要はねえさ。……俺も、君たちに隠し事をし続けていて後ろ暗かったのは本当だし。それに――決めたのは、エレンだろ?」
そんな俺の返答に、ラーイールはびくりと肩を震わせて。
それから――ゆっくりと、首を横に振ってこう答えた。
「いいえ、違います。私が、そうしたほうが良いと思ってエレンに頼んで、ウォーレスさんを……置き去りにさせたんです」
「君が……?」
面と向かってそう言われると、流石になんと返せばいいものか分からず俺はただ沈黙する。
そんな俺に、彼女は緊張した表情を浮かべたままさらに続けた。
「あの日。ウォーレスさんが私たちに、ステータスのことを言ってくれた後――寝込んでいるウォーレスさんを見ていて、私、思ったんです。……このままウォーレスさんが私たちの旅に同行したら、いつか本当に、死んでしまうかもしれないって」
ぎゅっと、膝の上で拳を強く握りしめる彼女。その手は、わずかに震えていた。
「私は、蘇生の魔法を使うことができる。けどそれは、決して万能なものじゃない。……あまりにも酷い死に方をしていたら元通りにはできないし、そうでなくても、失敗をする可能性のほうが高い魔法だから。だから……だから私、エレンさんに言ったんです。ウォーレスさんとは、ここで別れようって」
その告白を、俺は言葉を失ったまま、ただ受け止める。
……嘘や冗談、ではなさそうだった。それだけ彼女の眼差しは、真剣そのものだったのだ。
だからこそ俺は、どう返したものかと余計に迷う。……なんなら「要らないから捨てた」と言われていた方が、もっと返事は楽だっただろう。
「……それで、皆はその時、なんて?」
ようやっと絞り出した言葉は、それだった。
俺のそんな問いかけに、ラーイールは神妙な表情のまま、静かに告げる。
「ルインちゃんは、『そうか』って言ってました。あの子、ウォーレスさんに無遠慮ですけど――本当はウォーレスさんのこと、大好きなんです。旅の間はウォーレスさんがいつも料理、作ってくれてたでしょう? ウォーレスさんがいなくなってからあの子、いつも言ってました。『味気ない』って」
ルインのあの無表情が、脳裏によぎる。……彼女がそんなことを言っていたというのは、正直意外だった。
いきなりの事実に驚いていると、ラーイールはさらに続けた。
「ゴウライさんは、最後まで『駄目だ』って言っていました。ウォーレスさんのステータスのことを知っても……絶対に首を縦に振ろうとしなくて。その【腕輪】と【剣】とを置いていこうって言ったのも、ゴウライさんでした。せめてもの餞別に、って」
重戦士、ゴウライ。気のいい剛毅な男で、いつも皆を父親みたいに見守っていて――だからこそ、そんな強情さを仲間に対してまで見せることは決してなかった。
そう話した後で、ラーイールは最後に、彼女についてを告げた。
「……そして、エレンさん。エレンさんも、とっても悩んでいました。悩んで、悩んで、いっぱい悩んで……でも、決めてくれた。そうしなきゃ、ウォーレスさんをなにか酷いことに巻き込んでしまうかもしれないから、って」
そこまで告げて……ラーイールは俺から視線を逸らすと、壁に寄りかかって深く息を吐き出した。
「エレンさんが決めたから、二人もそれに、従いました。ウォーレスさんが後から追いかけて来られないようにって装備の類は回収して……それで、ウォーレスさんが寝ている間に出ていって。そうすることがきっと一番いいって、その時の私は、思っていて。だけど……その結果が、これでした」
俯いたままの彼女の目から、水滴が溢れる。
「エレンさんも、ルインちゃんも、ゴウライさんも、皆ウォーレスさんを置き去りにしたことを心残りにしていて。何よりウォーレスさんにも、私はとても、ひどい傷を残してしまった。……そうなるだろうって、分かっていたのに」
「ラーイール……」
「それでも私は――怖かったから。あの時毒で真っ青になっていたウォーレスさんの、苦しそうな顔を見て、その先に起こるかもしれない、もっと恐ろしい未来を思い描いてしまったから……そのせいであんな残酷なことを、ウォーレスさんにしてしまった。……ごめん、なさい。ウォーレスさん、ほんとうに、ごめんなさい…………!」
堰を切ったように涙を溢れさせて、顔を押さえて泣きじゃくるラーイールを、俺はどうしてやったらいいか分からずにただ見つめる。
いい歳だというのに、女性に面と向かってここまで大泣きされたことは多分これが初めてだった。しかも……彼女は誰でもなく俺のために、その涙を流しているのだ。
そんな状況を前にして、ここ最近の中でも一番の動揺を感じながら、俺は――
「……え?」
泣きじゃくるラーイールの頭を、ぽん、と軽く撫でた。
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