【56】城内、潜入<1>

 その晩。何食わぬ顔で城に帰った俺たちは、再び伯爵と晩餐をともにした後に中庭へと出ていた。

 大きな噴水が印象的な場所。中枢も中枢なだけあって見張りもおらず、この時間帯だと人気はない。ルインはここを、待ち合わせの場所に指定していた。

 俺とソラス、そして少し遅れてやってきたアリアライトが待っていると、やがて目の前の空間が不意に歪んで――そこから現れたのは、ルインその人だった。


「何度見てもすごいですね、それ……。転移魔法まで極められる人はほとんどいない、ってうちのお父さんは言ってましたけど……」


「慣れれば、かんたん。ぐいっと空間を引っ張って、にゅっとして、ずぬって感じ」


「なるほどさっぱり分かりません……」


 ソラスのそんな呟きに、俺も静かに同意する。

 転移魔法というのは扱いにひどくコツがいるものらしく、しっかりと体系化されて一般的に定着した術式というのはまだ存在していない。

 そのため、使い手はルインのように独自理論で組み立てた術式を用いている場合がほとんどだという。


「でもよく、魔法で直接ここまで入ってこれたな。そういうの除けの結界とか、ないのか?」


「あったはずですけど……」


 呟くアリアライトに、ルインは小さく鼻を鳴らす。


「このくらいの結界、わたしの魔法なら素通りできる。……牢屋では【静寂】の術式が展開されてて、つかえなかったけど」


 後半はやや不満げにそう告げた後、彼女はくるりと踵を返して噴水を見つめながら続けた。


「……無駄話は、おわり。わたしがいた牢屋に、案内する」


「ああ、頼む。……で、どこなんだ、一体?」


 そう俺が問うと、彼女は噴水を……正確には噴水周囲の池の中を指差して、


「ここ」


 ぶっきらぼうにそう告げるのだが、俺は意味が分からず首を傾げるばかり。


「……ここって。どういうことだ?」


「……直接、みてもらったほうが、はやい」


 それ以上の説明もなしにそう呟くと、ルインは全身が濡れるのにも構わずにいきなり噴水の中へと入っていく。

 四つん這いになって浅い池の中を探ると――やがて彼女は「あった」と呟いて、


「見て」


 そう言って彼女が指し示した、池の底――その一角に、狭い階段が口を開けているのが見えた。

 どういったからくりなのか、あるいは魔法によって保護されているのか、池の水がその中に入っていく様子はない。

 俺たちにかまわずずいずいとその階段を下り始めるルインに、俺たちは顔を見合わせながら、ひとまずついていくことにする。


「ひぃん……びしょぬれ……」


「うわっ、アリアライトさんがまたえっちな感じの絵面に!」


 ……どうにも緊張感のない奴らである。若干脱力しながらも、俺は剣を抜いて警戒しながらルインの後を追う。

 地下へと続く階段。当然外の明かりなど入ってくるわけもないが、とはいえ決して暗くはない。足元には恐らく魔術で炊かれた光が灯っていて、段を踏み外す不安もなさそうだ。

 かつ、と響く靴音。それを聞いてルインはこちらを振り向くと、「静かに」とでも言うように無言で人差し指を己の唇に当てる。

 すると俺やソラス、アリアライトを巻き込んで薄い光の膜が生まれ、包む。先ほど使っていたのと同じ、防音の魔法だ。

 結界が完成したのを確認すると、再びずいずいと進んでいくルイン。階段は長く、下を見ても先に広がるのはわずかな足元灯の光と、埋め尽くすような闇ばかり。

 そんな中で――彼女はこちらを振り向かないまま、ぽつりと口を開いた。


「ウォーレス。いっこ、ききたい」


「ん?」


「いつの間に、ウォーレスはそんなに強くなったの?」


「直球な質問だな……」


 呆れ混じりに返す俺をちらりと振り返りながら、ルインは静かに続けた。


「わたしの知ってるウォーレスは、もっと弱っちかったし、目を離したらすぐに死にそうになってた。っていうか何回か死んでた気がする」


「否定はしないけどよ……」


「少なくとも、あんな連中相手に一人で立ち回れるほど、強くなかった」


 そう言って、じっと俺を見るルイン。その視線に、俺はちらりと【腕輪】へと目を落としながら、


「……色々あったんだよ。色々」


 と、それだけ返す。……【腕輪】のことを言うのは、なんだか後ろめたいような気がして躊躇われたのだ。

 そんな俺の答えに、ルインは少し考えるような間を置いた後、


「……そう」


 とだけ呟いて、再び前を向いて歩を進める。


「何でそんなことを訊くんだ?」


「……大した意味は、ない。ただ、今のウォーレスなら、エレンも――」


 そう彼女が言いかけた、丁度そのあたりでのことだ。

 にわかに視界が拓けて――階段が、最下層へと到達したのは。


「……お城の地下に、こんなところがあったなんて」


 動揺を隠せない様子でこぼすアリアライト。俺やソラスも、辺りを見回して表情を険しくする。

 階段の行き着いた先。そこは細長い通路のようになっていて――その両脇には、無数の牢が並んでいた。

 そしてさらに、その中。

 そこにあったのは、大小様々な――薄汚れた、白い物体。

 あるいは丸みを帯びた、あるいは細長いそれらは。

 ……間違いない。人の、骨だった。


「ひぇえ……」


 ソラスも気付いてしまったらしく、怯えた声を漏らして俺の腕にすがりついてくる。反対側からはアリアライトも同じようにくっついてきた。

 アリアライト側に関しては若干の役得を感じないでもないが、今はそんな下らないことを言っている場合でもない。俺は眉間にしわを寄せ、牢の中を一瞥しながら先導するルインの後を追う。

 すると――


「……ルイン、ちゃん?」


 か細い声が並んだ牢のうちのひとつから聞こえてきて、俺はそちらに、視線を遣ると――思わず目を見開く。

 そこにいたのは……ラーイール。勇者パーティの一員にして癒やしの要の「聖女」。

 そんな彼女が――むき出しになった腕を無骨な鎖で縛り吊るされた状態で、牢の中に座っていたのだ。

 ……酷い有様だ。顔は殴られた痕なのかあざだらけで、着ている簡素な布の服もまたぼろぼろで、あちこち切れて白い肌が顕になっている。

 足を見るとそちらも痛ましいまでに赤黒く変色している。……考えたくもないが、恐らくは折られたのだろう。

 生気を失ったうつろな目でルインを見つめて――それからその後ろにいた俺を見て、わずかな動揺と戸惑いを浮かべたラーイール。


「うぉー、れす、さん……? なんで……?」


「……ッ、説明は後だ。今助けるからな!」


 思わず声を荒げながら鉄格子へと駆け寄ると、俺は握った剣を大きく振るう。

 次の瞬間――太い鉄格子が半ばからすっぱりと切断されて、乾いた音を立てて牢の石床へと転がった。

 中に入って彼女を拘束している鎖を斬り飛ばすと、そのまま力なく崩折れそうになるラーイールの体を抱きかかえてやる。

 すると彼女はわずかに身をよじらせて、どこか怯えたような表情で、首を横に振った。


「だめ、です……。今の私、汚いから――」


「そんなこと言ってる場合か! ……ああくそ!」


 奥歯をぎり、と噛み締めながら、俺は【万魔の書】のスキルを展開して適当な高位回復魔法を引っ張り出すと彼女の足に掛けてやる。

 鉄格子を切った際に、牢に掛かっていた【沈黙】の結界も一緒に破壊されていたらしい。回復魔法の暖かな光が痛ましく変色した足を包み込んで、やがて苦悶に歪んでいたラーイールの表情が少しだけ和らいだ。

 俺に抱きかかえられたまま、彼女は俺やルイン、そしてソラスたちを順に見回して、乾燥した唇を開く。


「……ルイン、ちゃん。これは、どういうことなんですか? なんで、ウォーレスさんが……」


「……細かいことは、後で話す。外でウォーレスと会って、たすけてもらったの」


 そう返したルインに、ラーイールは少しだけ、咎めるような視線を向けた。


「でも。それでも、ウォーレスさんをこんなことに、巻き込むなんてっ……」


「待ってくれ、ラーイール。巻き込まれるもなにも、ルインに事情を話すよう頼んだのは俺の方だ」


「ウォーレスさん……。……そう、ですよね。ウォーレスさんはそういう人、でしたもんね」


静かにそう呟いた後、ラーイールは小さなため息をこぼす。ひとまず、了解してくれたのか。


「……ともかく、ルインも言った通り、話は後にしよう。今は早く、ゴウライとエレンも見つけないと――」


 そう言って抱きかかえていたラーイールの背を壁に預けさせて、俺が立ち上がろうとした――その時のことだった。


「ウォーレスさん、後ろ!」


 不意に叫んだソラスの声で、とっさに振り向くと。

 頭めがけて、鋭い斬撃が振り下ろされようとしているのが目に入って――俺はとっさにその一撃を肘で受ける。

 金属製のサポーターが入っていたのもあって、怪我はない。だが、それ以外のところで俺は……衝撃を感じずにはいられなかった。


「……お前、何で……!」


 そう。

 俺を背後から斬ろうとしたその襲撃者の正体は――ついさっきまで言葉を交わしていたはずの彼女。

アリアライト、その人だったのだ。

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