【50】お風呂回。

 メイドに連れられて客室に向かうと、俺とソラスは(当然ながら)別室に案内された。


「こちらです」


 開けられた客室の中に一歩立ち入って、俺は思わず一面を見回す。

 深い赤を基調とした落ち着いた内装。それでいて家具の類は緻密な彫刻が入った高級そうなものばかりで、ベッドも広く、いつもの宿屋のボロベッドと比べた4倍くらいの面積がある。

 カーテンの掛けられた窓は広く、外には城中庭の演習場らしい広場がよく見えた。


「いいのか、こんな部屋を使っちゃって?」


「ええ。お二方は丁重にもてなすようにと命じられておりますから」


 そう言った案内のメイドは、先ほど常に伯爵の後ろに控えていた女性。恐らく筆頭格なのだろう、見た目こそ若いが、デキる人間特有の鋭利な雰囲気が端々から漂っていた。


「湯浴みの際には、少し遠いですが一階の離れにある大浴場をお使い下さい。本日はお客人の貸し切りとしておりますので。……ああ、もしもご用命とあらばお手伝いいたしますが――」


「いいって。……どうもな、助かった」


「これが仕事ですので」


 そうそっけなく言って退室するメイドの背を見送った後、俺は早速ベッドに横になって深く息を吐く。


「マジで寝心地いいな、これ……」


 馬車での旅だったとはいえ、疲れと満腹とで早速まぶたが下がり始め。けれど落ちそうになる意識をどうにかつなぎとめると、俺はベッドの誘惑から逃れてひとっ風呂浴びに行くことにした。


 長い廊下を歩き、階段を下りて城内を進む。やがて中庭を通って離れに向かいそれらしい大きな扉を見つけると、俺はそこを軽く開け――すると中からほどよい暖気が流れ出してくる。

 どうやらここで正解のようだった。開けて中に入るとそこは脱衣所になっていて、奥に浴場がある様子。

 着古しのシャツやらをさっと脱いで(おっさんの脱衣を事細かに描写されても嬉しくないだろう)、タオル片手に浴場の扉を開けると――


「おお……こりゃすごい」


 なんと驚いたことに、中は空のよく見える、露天風呂になっていた。

 高級品の硝子を天井にふんだんに使っていて、そこから見える夜空からは星々や月の薄明かりがぼんやりと降り注いでなんとも風情を漂わせている。

 こんな風呂を貸し切りとは、気前のいいことだ。さすがは大貴族様。

 いい気分になりながら俺は湯を汲んで体を軽く洗い流すと、早速広い湯船に全身を浸からせる。

 やや熱めの湯ではあるが、それゆえに丁度いい。近くの公衆浴場に通ってはいたが、それとは別格に骨身にしみるいい湯だった。

 湯船の壁に背を預けて、ひんやりとしたその石造りの感触で体を冷ましながら、俺は今も腕にはまっている腕輪を見つめる。

 たかだか2週間程度ではあるが……ここ最近、本当にいろいろなことがあった。

 勇者と一緒に旅をしていた時には考えもしなかったような境遇に置かれたし……今だって、それは現在進行系と言えるだろう。

 この先は、果たしてどうなるのやら。それを考え始めるとまた気が重くなってくるが――

 ……いや、よそう。今は今を楽しむ、それでいいじゃないか。

 これまでみたいに。思いも寄らない事件が起きるのなら、また対処すればいいだけのことだ。


そう頷いて、俺は身を沈めて空を仰ぐ。

 見ているだけで心が休まるような、きれいな星空だった。


「はぁー、絶景絶景」


 ソラスがいれば「おじさんくさっ!」とか突っ込みが入りそうなことを呟きながら、俺はしばらく夜空を楽しみ続けて。

 すると――水音だけが響いていた浴場で、俺はかすかな物音を聞いた。

 方向は、脱衣所の方だ。気配を隠そうともしない足音と、それから調子の外れた鼻歌が聞こえて――


「わぁ、すごいお風呂」


 浴場に響いたのはそんな、ソラスの声だった。

 声だった、というのは鼻歌の段階で察知していた俺が、湯船の中央に都合よく鎮座していた石像の後ろ側に隠れていたからだ。


「ふんふん、ふふふーん。ひっとりじめー」


 機嫌良さそうに鼻歌を続けながら、ぺたぺたと足音を立てて湯船に遠慮なく入ってくるソラス。独り占めじゃねえ、脱衣所の籠を見てないのか――などと突っ込むこともできないのはもどかしい。

 石像の裏側、この熱い湯の中だというのに冷や汗を一筋流しながら俺は身を固くして不動を貫く。隠密系のスキルがないのがここに来て悔やまれた。


「ふー、いい湯だなー。なんて、ウォーレスさんみたいなこと言ってしまいました」


 俺をおじさん臭さの代名詞にしないで欲しい。微妙に失礼な独り言をぼやきながら、彼女はぽつぽつと言葉を続ける。


「……ウォーレスさん、せっかくあんなに美味しいご馳走だったのに、なんだか元気なさそうでした。心配だなぁ……なんて、私なんかがウォーレスさんの心配なんておこがましいですけれど」


 少し沈んだ声音でそう彼女は呟くと、ちゃぷ、と水音を立てる。恐らく動いたのだろう。


「帰ったら、私も何か美味しいもの、ウォーレスさんに作ってあげようかな。ここのお料理には負けちゃいそうですけど……」


 普段は聞くことのないような、素直な声音で呟くソラス。そんな彼女の言葉に俺は……不覚にも少し、鼻の頭が熱くなる。

 彼女がそんなに素直に俺の心配をしてくれているなんて、思ってもみなかったのだ。

 ……今日の晩餐も美味かったが、こんなことを聞いたら、帰ってからの食事も楽しみになってくる。

 思わずふっと笑みをこぼして、俺は石像に身を預けて小さく息を吐く。

 さて。思いもよらぬことだったが、少し元気も出てきた。後はソラスが先に風呂を出てくれるとよいのだが……などと、そんなことを考えていたその時のことだった。

 どたどたと、またもや足音が脱衣所の方から聞こえてきて。今度は何かと思う間もなく扉が開けられる音が続く。

 今度は何だ? 俺が疑問を抱いていると――入ってきた人物を見て、ソラスが悲鳴を上げるのが聞こえた。

 こうなると、体が動いてしまう方が先だった。


「どうした、ソラス!?」


 思わず石像の影から飛び出して、そう叫んだ俺。

 真っ先に視界に飛び込んできたのは……生まれたままの姿のソラスと、湯船の外で倒れている、小柄な人影だった。


「………………っ、きゃーーーーーーー!!!!!????? ウォーレスさん!!!??? 何でっ!!???」


 俺の姿を認めてさっきよりも大きな声で叫ぶソラス。だが彼女の体を見てどうこう思うような趣味もない。

 見るからに子供体型のソラスについては早々に描写を省略し、倒れている人影に近づく。

女の子のようだ。ぼろぼろの囚人服のようなものを着たその体躯はソラスと同じくらいの背丈で、長い銀髪はところどころ血に染まっている。


「おい、大丈夫か、君――」


 うつ伏せで倒れているその体を抱き上げ顔を見て。そこで俺は、言葉を失った。


 傷だらけになって倒れていた少女。彼女は――俺のかつての仲間。

 「万象の繰りエレメンタリー」の異名を持つ賢者、ルインその人だったのだ。

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