【43】勇者

 ……とはいえまあ、局長になったところでノルド氏の言う通り、俺の生活が何か大きく変わったというわけでもなかった。

 局長を拝命したその日の翌日に局員たちの前で一応の挨拶などをしたりはしたが、その程度。あとは変わらず、クエストを受けてこなす――そんな他の冒険者たちと変わらぬ生活がそれからも続いて。

 ……そんな日常がほんの少し変わったのは、局長に就任して一週間ほどが経とうとした日の夜のことだった。


――。

「……ん、んん……ふぁあ」


 星と月だけがわずかに明るい、人々の寝静まった深夜。

 妙な違和感を覚えてふと目を覚ました俺が辺りを見ると、そこは見知った宿屋の自室……ではなく、雑多に物が積まれた倉庫のような場所であった。


「……え?」


 状況がまるで分からずに思わず間抜けな声を出して、俺は眠気も吹き飛ぶのを感じながら身じろぎしようとする。が、両手両足が思うように動かない。

 暗すぎてよく分からないが、どうやら椅子に座らされた状態で縛られているようだった。

 こなくそ、と手に力を込めてみるがしかし、驚いたことにびくともしない。

 自分で言うのもアレだが、今の俺のステータスなら霊銀製の手枷でも本気を出せば引きちぎれるだろう。だというのに、これは。


「……何なんだ、一体」


「お目覚めかな」


「うお!?」


 まさか人の声が返ってくるとは思いもせず、俺は思わず情けない悲鳴を上げる。

 すると――暗闇の中で魔術によるものだろう明かりが灯って、照らし出されたのは一人の男だった。

 白いシャツに灰色のベスト、それよりも色の薄い灰色の髪の、温厚そうな顔立ちの紳士である。年の頃は俺より一回りくらいは上にも見えるが、一方で妙に若々しくも見える。

 驚いている俺に、彼は状況に不似合いな柔和な笑みを浮かべて口を開いた。


「その枷は、いくら君でも簡単には取れないよ。魔王を倒す時にも使った特別製の封印術式を編み込んであるから」


「魔王を、って。……なんなんだあんた。あんたが俺を、ここに連れてきたのか?」


 そんな俺の問いに、男はゆったりとした余裕の態度で頷く。


「まず後者については『はい』と。前者については……そうだな、このような状態で無作法ではあるが、まずは自己紹介といこうか」


 そう言って言葉を区切ると、男は深々と頭を下げてこう告げた。


「僕はミザリ・トライバル。……いつも娘が、お世話になっている」


 そんな彼の名乗った名前に、俺はわずかにひっかかりを感じて。

けれどそれよりも、その後に続いた内容のほうが俺にとっては驚きだった。


「娘が、って……じゃああんた、ソラスの」


「ああ、ソラスは僕の娘だ。……もっとも、血は繋がっていないんだけれどね」


 さらりとそんなことを言って微笑む彼、ミザリ。その表情や物腰に、敵意の類は一切見られないが――だからこそ今俺が置かれている状況に、理解が追いつかない。


「……それで、何でソラスの親父さんが俺を縛り付けてるんだ?」


「そりゃあ、娘が一回りも二周りも歳の離れた男と仲良くしてたらなんか流石にイヤじゃないか」


「変な冗談はよしてくれ」


「はは。まあ確かに、7割くらいは冗談だけど」


 3割程度の理由はそれらしい。

 柔和な笑みを崩さないまま、「冗談はさておき」と呟いて彼はこう続けた。


「僕が君をここに連れてきたのは……まあ簡単に言うと、少しばかり内密にしたい相談ごとがあるからなんだ」


「相談、だって? 人に手枷をつけておいてか?」


「そこは申し訳ないとは思うのだけれどね。とはいえ君がもしも抵抗したりしたら、僕一人じゃ抑えきれないから」


「抵抗って……。話ってのは一体、何なんだ」


 そう問う俺に、ミザリは少しの間を置いてこう、切り出した。


「単刀直入に言おう。僕はね、君にその【腕輪】と【剣】とを……手放してもらいたいと思っている」


 その言葉に、俺は流石に眉をひそめるしかなかった。


「……手放せって。そりゃまたいきなりな話だな」


「それは僕も承知の上だよ。君には申し訳ないとも思っている。だが……そうするべきだと思ったから、僕は君を連れてきたんだ」


「……話が見えないな。この【腕輪】を外させて、どうする? 売っ払って金にでもしようってことか?」


 ソラスの父親であるという彼に、あまりこんなことは言いたくなかったが。とはいえこの状況で温厚に会話ができるほど、俺も人間ができているわけでもない。

 そんな俺の返しにしかしミザリは首を横に振ると、小さく息を吐いて続けた。


「……古い知り合いから、君の【腕輪】について話を聞いてね。このレギンブルクで武具屋を営んでいる男だ。彼が言ったんだ。君が着けているその【腕輪】は――

10年前、あの【魔王】が着けていたものとよく似ているってね」


「……何だと?」


「それで実物を見てみたら、なるほど、色こそ真っ白だがたしかに瓜二つだ。あの時――【剣】と【腕輪】と」


 そんな彼の言に、いよいよもって俺は眉間のしわを深くする。


「『僕たちが、打ち砕いた』? ……ちょっと待て、そいつは一体――」


 と、そこまで言いかけたところで俺はようやく、頭の片隅で引っかかっていた何かに気付く。

 ミザリ。ミザリ・トライバル。その名前を俺は、知っていた。

 いいや、俺だけではない。今この大陸に生きている人間たちの多くは――その名をいまだ、心の奥に刻みつけているはず。

 だって、その名は。


「【勇者】ミザリ……!?」


 その名は10年前、あの魔王を打ち砕いて人類に平和をもたらした、勇者と呼ばれた男の名だったからだ。

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