【32】追放する者、される者<3>

 鬱蒼とした森の中に、悲鳴がこだまする。


「ひっ、ひぃぃ……!」


 転がるように走りながら逃げるのは、グラスと呼ばれたあの剣士。その後を、詠唱士の女性もまた少し遅れて走っている。

 パーティメンバーだった狩人の姿は、ない。真っ先に狙われたのは、最初に弓を射掛けた彼で――それを見てとるや否や、グラスたちは一目散に逃げ出したのだ。

 地響きとともに追ってくるモノの姿を、一瞬振り返ってグラスは見る。

 ゆっくりと、けれどその巨体ゆえの歩幅から確実に距離を狭めてきているその単眼の巨人は――他のサイクロプスたちとは違って赤黒い肌をして、全身のいたるところには古傷が残っている。

 そして特徴的なのは、単眼の上に生えた大きな角。結晶のようなそれは、精霊に特有の「角」――空気中の魔素を吸入するための器官である。

 普通のサイクロプスたちには備わっていないそれを持つこの個体は、ひと目で「違う」ものと理解できた。


「くそ、くそ……あの馬鹿、こんな奴に手出してんじゃねえよ……!」


 今はいない狩人に呪詛を吐きながら逃げ続けるグラス。あの狩人がよく見ずにこいつに矢を放ったせいで、気付かれてしまったのだ。

 倒そうとしても、他のサイクロプスよりもタフで攻撃魔法を食らってもまるでピンピンしている始末。やばい、と直感で判断して逃げ出したのは正解だった。

 あの追放者どもの邪魔をしてやろうと思っていただけなのに、なんでこんなことに。涙と鼻水とで顔を汚しながら走り続けるグラスの後ろで、小さな悲鳴が聞こえた。


「リッサ!」


 パーティメンバーの詠唱士。後ろを走っていた彼女が、木の根につまづいて転んでしまったのだ。

 リッサと呼ばれた詠唱士が、すがるような目でグラスを見る。

 それを――


「……く、くそぉ……!」


 手を差し伸べることなく、一目散に逃げ出すグラス。

 背後からリッサの悲鳴が聞こえたが、振り返ることすらせずに走って――けれどその時。

 ふと一瞬だけ、何か大きな影が頭上を飛び越えて。

 次の瞬間……凄まじい地響きとともに、グラスの目の前にあの変異したサイクロプス――アーガスが立ちはだかっていた。

 グラスの頭上を飛び越えて、先回りしたのだ。

 おそらくは――より恐怖を味わわせて、殺すために。


 アーガスの単眼が、ぎょろりとグラスを見下ろして。

 その手に握りしめられた、真っ黒に変色した倒木が振りかぶられる。


「た、助けて……何でもするからッ……!」


 そんなグラスの言葉など、聞く耳ももたずに振り下ろされた倒木。

 けれどそれが彼の体を肉片に変えることは、なかった。


「……へ……?」


 尻もちをついた彼の、その眼前で――防御魔法によって展開された障壁が、振り下ろされた倒木を阻んでいたからだ。

 防御系の中でもそこそこに高位の魔法。こんなものを使える者はグラスのパーティメンバーにはいない。

 だとすれば――


「グラス、大丈夫か!?」


 そんな必死の声が聞こえて、グラスが振り向くと。

 木々の中から、短杖を構えたリクトが駆け出してくるところだった。

 アーガスはそんなリクトの姿を認めると、ターゲットを彼に切り替えて倒木を再び振り上げる。


「リクト、危ね……」


 グラスが思わず声を上げて、けれど再び振り下ろされた一撃は、リクトの頭上少しのところで彼が展開した障壁によって阻まれる。

 グラスのもとまで駆け寄ってきたリクトは、地面に短杖を突き立てて短く詠唱を走らせた。


「断絶よ、彼我に不可侵を生じよ――【守り】【阻み】【妨げん】【今】!」


 瞬間、ひときわ強い輝きがリクトとグラスとを包んで立ち上がる。その輝きの中で、グラスはあっけにとられながら口を開いた。


「なんで……お前、ここに」


「アーガスの鳴き声が聞こえたから、グラスたちが危ないと思って」


「思って…って。でも、俺は……」


 後ろめたい表情でそうグラスが言いかけて。けれどそれを中断するように、アーガスの轟撃が防御障壁を振動させる。

 がん、がん、とけたたましい音とともに空気が、地面がびりびり揺れて――そんな恐怖に、グラスはたまらず悲鳴を上げた。


「おい、リクト! てめえの弱っちい防御魔法じゃすぐに壊されちまうんじゃねえのか!?」


「そうだね……。三重に掛けたけど、長持ちはしないかも。でも大丈夫」


「大丈夫って、何でそんなことが言えるんだよ!」


 ぴしり、と障壁にとうとう亀裂が走って、血相を変えるグラス。

 だが――リクトは一切焦りを浮かべずにこう、続けた。


「だって僕たちには――あの【極限】がついているから」


 瞬間、障壁が完全に砕け散って。

 歓喜の雄叫びを上げながらもう一撃を振りかざしたアーガスの動きが、そこで止まる。

 グラスが見上げると……倒木と同じくらいに太いアーガスの右腕の、肘から先がきれいな切断面で消え失せていて。


 そして二人の目の前には白い剣を構えた男――ウォーレスが立っていたのだった。

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