【27】封印門と【十天】

 無限湧きのデュラハンから逃げおおせた俺たちは、ダンジョンの片隅でぐったりと座り込んでいた。

 相手が鈍重なデュラハンであったことが幸いした。もっと足の速いモンスターが大挙していたら、それこそ枯れるまで応戦する羽目になっていただろう。


「にしても、ここはどこだ……?」


 呟きながら俺は、周りを見回す。そこは通路ばかりであったこの第二層の中でもやや趣が異なり、天井の高い広大な空間であった。

 俺たちがいるのは、広間の二階部分とでも言えばいいか。外周沿いに設えられた張り出し通路のような場所である。

 広間を眺めてみると――俺は思わず、うわ、と声を漏らした。

 ……下の大広間。そこは、多種多様のモンスターが跋扈していたからだ。


「……デュラハンだけじゃない、レッサーデーモンにドラゴンゾンビ、アーリマン……高レベルモンスターの見本市じゃねえか」


「こんなことに、なってたなんて……」


 言葉を喪うアリアライト。そんな彼女と肩を並べながら下の広間をさらに観察していると、俺はそこに、奇妙なものを見つけた。


「あれは……門か?」


 精緻に彫刻の施された、黒曜の門――としか呼べないようなもの。ただしその高さはこの二階部分から見てもなお見上げるほどである。

 まじまじと眺める俺に、隣でアリアライトが口を開いた。


「……深層の、封印門。あの門を触媒にして展開された大規模な封印術式で、深層のモンスターが出てこれなくなってるはず、なんだけど……」


 言いながら門をしげしげと眺めては首を傾げているアリアライトに、俺は眉根を寄せる。


「どうしたんだ?」


「うん……封印の点検のためにって、門の図版をもらってるんですけど……なんか違うような気がして」


「何?」


 彼女が腰のポーチから取り出した図版を、俺とソラスは覗き込む。そこには目前の門の外観が精緻に描かれている。

 刻み込まれた彫刻は、大きな木のような絵柄で――そこから枝葉が伸びて、門の四隅に円形の穴を開けている。どうやらそこに、封印術式の維持のための魔素結晶がはめ込まれているらしい。

 とそこで、声を上げたのはソラスであった。


「……なんかいっこ足りなくないですか?」


 そんな彼女の言葉に、俺もアリアライトも揃って封印門を見る。するとソラスの指摘どおり、たしかに門の左下にだけ、何もはめ込まれていないくぼみがあった。


「あれが足りないせいで、門の封印が弱まってるってことか」


「だと、思う……。でもどうして……」


 呟いてアリアライトが首を傾げていると、ちょうどその時のことだった。

 モンスターがひしめく下の広間からかすかに足音が響いてきて。だから俺はとっさに二人に身を伏せるよう目配せをする。

 二階柵にうまく隠れながら下を覗き込むと……そこにいたのは、一人の男だった。

 否、男と呼んでいいものかも分からない。体こそは長身に外套を着込んだ人間らしいそれであったが、頭はくまなく銀色に鈍く輝く鱗に覆われた――トカゲのような外観だったからだ。

 モンスターたちに襲われることなく進む男。そんな彼の後ろをついてくるのは、2体の巨体の竜人兵。

封印門の真下まで接近して男はその外観を上から下まで眺めると、そこで舌打ちを零した。


『クソが、全然進んでねえじゃねえか。どうなってんだよ、レイスの野郎は何してる』


 竜頭の男の言葉に、俺とソラスは顔を見合わせる。レイス、と彼が言ったのは……つい昨日倒した、あの高位魔族のことではないか。

 なおも聞き耳を立ててみるが、後ろの竜人たちは聞き慣れない……恐らくは竜人語で話しているようで理解できない。

 そんな彼らのやり取りを見ながら、俺とアリアライトは顔を見合わせる。


「あれは……魔族? でも、なんで……」


 呟くアリアライトにまるで答えるかのように、下から声が響いてきた。


『ったくよ、このダンジョンの深層に魔王様を――させるための祭壇があるんじゃねェのかよ。だってのに、あのレイス野郎はどこをほっつき歩いてやがる……』


 非難めいた怒気をこもらせた竜頭の男の呟きに、アリアライトは動揺した様子で息を呑む。


「今、魔王、って」


「ああ。……こいつはどうも、キナ臭い話になってきたな」


 断片的な内容ではあるが、連中がこのダンジョンの封印に何か細工をしていることは恐らく間違いないだろう。

 しかも、「魔王」と……彼の口から聞こえたその単語は、無視できるものではない。


「どうしますか、ウォーレスさん。今すぐあいつ、捕まえた方がいいんじゃ」


「……いや。あいつらが何なのかも分からん以上、迂闊にケンカ売るわけにもいかねえ。もう少し、状況を――」


 そんな俺とソラスのやり取りに。


『あァ、なんだ、仕掛けてこねえのかよ?』


 そう言葉を挟んできたのは――いつの間にか2階の柵の上に立っていた、あの竜頭の男だった。

 ぎょろりとしたその目で柵の上からこちらを見下ろしながら、奴は小さく嘆息してみせる。


『ったくよ、ニンゲンどもが何かこそこそ企んでるから、わざと聞こえるように話してやってたってのに――戦わねえのかよ、つまんねえなオイ』


 凶相を歪めてそう吐き捨てる奴に、俺は剣を引き抜き構えながら言葉を返す。


「……挑発してたってのかよ。何のために」


『決まってんだろ、てめェらを煽って、焦って向かってきたところをブッ潰す……その方がおもしれェじゃねえか』


 横に裂けた口の端を持ち上げながらそう嗤った後で、竜頭の男は舌打ちをこぼした。


『だってのに、てめェら、逃げるつもりか? この俺様を――【黎明殻】アルノラトリアを前にして?』


 奴の名乗りに、俺は思わず苦笑をこぼす。


「アルノラ、トリア? そいつは魔王戦役の時の【十天】――魔王の腹心の一人の名前だ。それにそいつは……あの戦争で、死んでるはずだ」


 そんな俺の言葉に、アルノラトリアを名乗った奴もまた、失笑してみせた。


『あァ、そうだな。俺はたしかにあの戦争で、クソ勇者に斬られて死んだ。首をこう、落とされてな。だが……レイスどもってのは死体遊びが上手いクソったれどもでな。連中にいじくり回されたせいで、めでたく俺はこうして生き返っちまったのさ』


 そう告げると、アルノラトリアは喉を震わせて笑いながら――その手に一振りの巨大な重斧を喚び出して、こちらに突きつける。


『で、だ。見ての通り俺たちはこの遺跡の深層の封印を解こうと考えているわけだが……てめェらはどうする? 俺を止めてみるかァ?』


 せせら笑いながら問うてくるアルノラトリアに、俺は答える代わりに剣を構え直して、それと同時に思考する。

 今、こいつと剣を交えればどうなるか。魔王の腹心【十天】ほどともなると、果たしてどの程度の強さなのかはまるで予測もつかない。

 【共闘の真髄】でソラスたちも強化の恩恵を受けているとはいえ、彼女たちを危険に晒さずに勝つことができるか……それはまるで未知数だ。

 なるべく戦闘は避けたいが、しかしここから奴を振り切って上の階層まで逃げ切るなんて、そんな芸当が可能であるものか。

 そう思考して、思案しているうちに――眼前のアルノラトリアが、ぽつりと呟いた。


『……時間切れだ。もういい、てめェら、殺す』


 そんな言葉とともに、アルノラトリアが重斧の切っ先をこちらに向けて一気に近接して。

 俺もまた剣を振るって刃を交えようとした、けれどその時であった。


「――【脱出】!」


 後ろからソラスの詠唱が聞こえると同時、俺とアリアライト、ソラスの足元で眩い光が弾けて。


 次の瞬間――眼の前の風景は一変して。

ダンジョンの外、あの入り口付近の公園広場が、一面に広がっていたのであった。


「……はぁぁぁぁぁ、成功したぁぁぁ……」


 深い深いため息とともに、そう呟いてぐったりと座り込むソラス。

 彼女が詠唱したのは【脱出】――その名の通りダンジョンの奥深くから一気に外まで転送する、帰還用の魔法であった。

 どんなダンジョンからでも詠唱ひとつで脱出することを可能とするこの魔法。

その利便性ゆえ冒険者の間でも使用人口は多いものの、この魔法には一つ弱点がある。戦闘中に緊急脱出のため詠唱した場合――その成功率は5割まで下がるのだ。


 ともあれ彼女はしっかり、その5割を引き当ててくれたらしい。

 しかもあの状況――俺がアルノラトリアの気を引いているうちに、すかさず俺の意図を汲んで唱えてくれたのだ。


 疲労困憊している彼女に向かって、俺はぐっと親指を立てて告げる。


「……ソラス。ほんと、グッジョブ」


「ふふ、もっと褒めてください……」


 今回に関しては、気の済むまで褒めてやりたい。そんなことを考えながら俺もまた、草むらの上にどっかりと腰を下ろして息を吐き出すのであった。


……あー、生きた心地がしなかった。

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