車窓より

花森ちと

翠色冷光

 目を覚ますと、翠色の光がわたしに降り注いでいました。

 がたんごとん。ここは列車の中のようです。あんまり心地よかったので、いつの間にか眠りについていたのでしょう。それもその筈、列車の揺れは母親の胎内と同じ揺れであるのだと、いつか聞いたことがあります。わたしはまだ生まれてはいませんでした。

 しかし、どうしてわたしはこの列車に乗っているのでしょうか。見当なんてつきません。ただ、行き先もわからぬまま、わたしはこの列車に身を委ねているのでした。


「あんた、どこから来たの?」

 向かいの席の奇麗な女の人がわたしに声をかけました。髪の毛は透き通るような白髪で、頬にはうろこが覆っています。目はまっすぐな翠色でした。

「わからない。気がついたらここにいた」

 女の人はわたしの言葉を聞くと、怒ったように云いました。

「そんなことない。みんな明確な理由をもってこの列車に乗るんだ。あんたみたいな軟弱な志でやっていける訳ないわ」

 そして女の人は小言をブツブツこぼしながら、ちがう席へと移っていきました。


「そんなときもあるわよ。気にしないでね、かわい子ちゃん」

 するとわたしの後ろの席に座るおばさんが声をかけました。姿は見えませんでした。

「ありがとうございます。どうしてあなたはこの列車に?」

 おばさんはフフフ、と笑います。

「だってそりゃあ、欲が満たされますからね。きっとあなたも心の中ではそうでしょう?」

「どうして、この列車に乗ると欲が満たされるの?」

 おばさんは席から立ち上がって、わたしの隣に座り込むと、わたしの手のひらにベトベトした唇でキスをしました。

「この列車に乗るだけで、あたしたちは何者かになれるのよ。そんな美味しい話、きっとどこにも無いわ」

 おばさんはニヤっと笑って、元の席へ戻っていきました。


 手のひらについた涎を翠色のワンピースで拭っていると、雄牛の毛皮をまとった大男がわたしの目の前に現れました。

「おまえはこの列車から降りるべきだ」

「どうして?」

「おまえはこの列車に乗る価値が無いからだよ」

 わたしは泣き出します。まだこの心地よい列車に乗っていたい。

「もうじき列車は選別のときを迎える。魂の重さが軽いものは、じきに弾き飛ばされてしまうのだ。――車窓から下を見てみなさい」

 わたしは大男の云ったように車窓の下を覗いてみました。

 すると、薄闇のなかで、ひとびとのうめき声が滔々と響き渡っているのが聞こえました。

「あれは魂の軽いものたちだ。みんな選別で落とされたものだ。この次の駅で降りれば、おまえの魂は救われる。さあ、もうじき着くだろうから降りる仕度を始めなさい」

「いやよ。わたしはここから降りたくないわ」

 大男は静かにわたしを見つめて云いました。

「おまえの魂は、この列車に乗る者の中でいちばんに軽い。次の駅で降りないとおまえの居場所はどこにも無くなってしまう。だけど、おまえがまだここに居たいと云うのならいいだろう。おれはもうなにも云わない」


 大男が立ち去ると、わたしは車窓を覗きました。

 下では闇のひとびとのうめき声が聞こえます。これはわたしのいつかの姿。

 上では冷たい月の光がわたしに降り注いでいます。

 ただ、わたしはいつかの未来をなにもできずに待っているのでした。

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車窓より 花森ちと @kukka_woods

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