第9話

「完全に、しくじった…」

 私は、懊悩していた。

「それこそ、自業自得というものだろうよ」

 橋本はしもとは、にべも無く、言い切る。

 若菜わかな君は、赤髪の千鳥ちどりに凌辱されたその夜から、高熱を出して苦しんだ。吉田よしだ先生は、毎日のように若菜君を見舞った。

 そして、若菜君の体調が上向くと、若菜君は「吉田若菜」となった。そこまではいい。

「だって、吉田先生と若菜君の新居が、おか家の目と鼻の先なのだよ」

「いつ吉田先生に刺されるか見物だな」

 橋本は、意地悪く言ってのける。若菜君は、現在、市内の吉田家から通学している。

「若菜君は、相手が『色男』だと言ったそうだが、そんなのは私一人しか該当者が居ないだろうが!」

「どこから来るのだ、その自信は…」

 呆れ顔の橋本。

「大体、吉田先生だって、色男だろうに。更に、ピアノが上手い。欧州留学では、老若男女と浮き名を流しまくったのではあるまいか」

「吉田先生と、お前を一緒にするなよ」

 廊下から足音がしたのに、振り返る。ノックをして、若菜君と六木むつき君が、部屋に入ってくる。

「うわあ、本だらけですねえ…」

 橋本のは、全て本棚に収まっているが、私のはそこらじゅうに、積まれて在る。ただし、棚の中には婚約者から縫ってもらった物が、理路整然としている。ほう、へえ。いちいち、恥ずかしい。

「なんだか、女学生の部屋を見ているようですね。お話を聞いた限りでは、国見くにみ先輩の婚約者は、どこか少年らしさが感じられたのですが」

「だろう。私も、香里かおり君は美陰みかげに居たほうがよほど快適だったろうにと思うのだが」

「しかし、あの子は女の子だろうよ」

 橋本が、眉をひそめる。

「まあ、それはそれとして」正座した若菜君が、ぽんと手を叩く。「六木君を吉田家に招待したいと思うのです」

 若菜君は、休みの日に、六木君を山の上の遊園地に連れて行くつもりなのだと語った。

「関西の子供は、皆、あそこに行くと聞きますからね。六木君だって、行って然るべきです」

 私は、裏を読んだ。

「しかし、あそこは小学校の遠足で行くだろう。そんなに、夜が辛いのかな」

 若菜君は、変な声を出した。私は、肩をすくめる。

「バレバレだよ。目のくまが、物語っている」

「お前な」

 橋本は、赤面した。若菜君は、唾を飲み込んだ。

「実のところ、そうなのです。いい加減、こちらも辛いので、六木君を言い訳に使おうかと。このままでは、二人とも、阿呆になります。それだけならまだしも、これではピアノの練習が出来ません」

「それでは、生活が成り立たないからね。『待て』を覚えさせないと」

 含み笑いをする。

「ええ、全くです」若菜君は、何度も頷く。「荘司しょうじさまは、お二人が『良い』と言ったら、ご自分も許すとのことでしたので」

「ああ、良いよ」

「うん」

 橋本も、頷く。

「六木君、良かったね。明日は、遊園地に行けるよ」

「ゆうえんち?」

 六木君は、首を傾げてみせた。小さな部屋に、笑い声が満ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る