第8話

 相変わらず、図書室は静かである。

 生徒が、読書をしないという訳ではない。本は当たり前にあって、すでに生活の一部なのだ。歴代の卒業生が残していったもの、寄贈されたものなどが、教室の片隅、廊下、談話室や寮の自室などに散りばめられて在る。だから、実は、春画の類いがそこかしこに在るのだ。それを教えてやったので、友人らは宝物探しに夢中なのである。

橋本はしもとから教えてもらった本を探しているのだ」

 友人の一人がそう言ったらしい。古老の教師は、意味深げに微笑む。

「まあ、何かを学ぶのに、遅すぎるということはないから」

 そう言って、肩を叩かれたそうだ。

「しかし、同時にこうも嘆いておられた。中学で卒業しておけよとも」

 中学どころか、橋本と私は、小学生の頃からお宝探検をしてきたのだ。今思うと、だから、中学に上がって早々に二人とも稚児にされたのかもしれなかった。

「自分が覗かれるのはご免だが、実際、出歯亀はなかなかスリルがあって楽しかったものなあ…」

 橋本が、頭を抱える。

「だから、仮眠室に鍵がついたのだ」

「いや、本当に嫌だったのなら、荘司しょうじさまに南京錠のひとつでも買ってきてもらうだろうが。あれは、私たちに見せて喜んでいたのだよ」

「まあ…。中には、そういう御仁も居たのだろうが」

 そこで、橋本は顔を上げる。

「まさか、俺に見せたかったのか。小松若菜こまつわかなとの、情事を」

「ご名答」にやりと笑ってみせる。「若菜君と言えば、学校でも一、二を争う美少女風の美少年だからな。そりゃあ、誰だって一度はお相手したいと願うさ。しかし、若菜君には吉田よしだ先生が居る。若菜君が自分から誘ってみたところで、何か裏があると思われるだろう」

 橋本は、表情を硬くした。

「だから、俺を利用したのか」

「そうだ」頷く。「橋本は、当然、怒るだろう。私にではなく、若菜君に。そうして、いずれ、友人を介して、話は学校中に広がる。普段から、思わせぶりな若菜君のことだ。あいつを罠にかけるのは、簡単だったよ」

 橋本は、激しく首を振る。

「一体、何のために」

 私は、微笑む。

「全ては、六木むつき君のためだよ」

「何故、六木君が…」

 考えてみて、橋本は察したようだった。

白妙しろたえが、赤髪の千鳥ちどりに手篭めにされそうになったのが契機か」

「そうだ」

 かつて、美しいだけの赤ん坊だった六木君。子育ての甲斐あって、六木君は歩けるようになった。六木君を目にするようになって、皆がその美しさを再発見したのだ。このままでは、いずれ六木君は性的被害にあうだろう。

「しかし、六木君が中学生になる頃には、千鳥は卒業していて居ないだろう。何故、あんな目に遭わせた。いや、あいつの自業自得ということは理解しているが」

 私は、読んでいた医学書を閉じた。

「ところで、パイプカットというのは、いわゆる宮刑のようなものと思っていたが、全然違ったよ。宮刑では、性器ごと取り去ってしまうが、例の手術では、精巣と繋がる管を切ってしまうのだそうだ」

「いい、聞きたくない」

 橋本は、目を閉じ、耳を塞ぐ。そのようすに、ふきだす。そろりと、片目を開ける橋本。

「関連して、日本に宦官がないのは、島国で他国の人を入手するのが難しいからなのだそうだ。別に、可哀想だからではない」

「うん…。まあ、日本というところは、割合、性に関して奔放だものな。徹底した血統主義というのもあるにはあるが、要するにあれは個人ではなく『家』を守るためのものだ。我々、美陰みかげ生はそのために、生物多様性を担保するだけの存在に過ぎない」

 古寺千鳥こでらちどりは、小松若菜に乱暴を働いた。現行犯逮捕である。結果として、やつは断種、放校となった。

「うん、まあ、でもね」下を向く。「尊い犠牲いけにえのおかげで、少なくとも六木君が卒業するまでは皆が覚えていることだろうよ。悪さをしたら、ちょん切られて、追い出されるぞと」

 可愛い、可愛い私たちの六木君。ついに、自分の名前も書けるようになった。本名の「睦月」は難しいから、「六木」とした。

 机の上で、手を組む。

「若菜君は、お前に嫌われたと泣いていたよ」

「それは…」

 目を逸らす。

「若菜君は、言うのだ。私としたことはいい。自分で決めて、六木君のためにしたことだから。これから先、そういった被害がなくなるのだから。吉田先生も何かは察しておられて、それでも自由にさせてくれた。若菜君が、一等、悔いているのはお前のことだよ」

 首を傾げた拍子に、橋本の目から涙が零れる。

「あの高潔な人に、人前で汚い言葉を使わせてしまった。それだけを後悔しているのだと」

 橋本は、俯き首を振る。

「俺は、傍観者だった。何もしていない。小松若菜は、まるで少女だ。あんな純粋な子に向かって、俺はなんて酷い言葉を投げかけたのだろう。なあ、国見。きっと、あの子は、前世でも近しいところに居たのではないだろうか。だから、こんなに俺たちを慕ってくれるのだろうよ。ああ、取り返しのつかないことをしてしまった」

 泣きたいだけ、泣かせてやった。

「なあ、橋本。謝ればいいさ。お前が自分を許せなくとも、あの子だけは解ってくれるさ」



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