第5話

「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣干したり あめ香具山かぐやま」持統天皇(万葉集)


「君は可愛い子だね」

 寮の食堂。古い浴衣を解く少年。あまりに可愛らしいものだから、後ろから抱きついた。

「えっと…」

 香具山妙かぐやまたえ。通称、「白妙しろたえきみ」。こういうのを、人は「蠱惑的」と評するのだろうか。きっと、将来、美少年になる。波打つ黒髪に、褐色の肌。ちなみに、先日、橋本はしもとの稚児になったばかり。

「うん。やはり、白妙の君には、夏服がよく似合う」

 はにかんだ表情。

「おかげで、皆から、白妙、白妙とよくからかわれます」

 言わずもがな、持統天皇が詠んだ歌が名前の由来である。

 隣の席に着き、ぞうきんを縫う。白妙の君の正面に座る橋本が、私をねめつける。

「白妙は、俺の稚児だ」

「何を言う。天の香具山と言えば、帝が国見をする山だ。『大和には むら山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 國見をすれば 國原は けぶり立ち立つ 海原うなばらは かまめ立ち立つ うまし國ぞ あきづ島 大和の國は』」

 麦茶を持ってきた若菜わかな君が、挙手する。

「こういうのもありますね。『香具山は 畝傍うねびををしと 耳梨みみなしと 相争ひき 神代より かくなるらし いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき』」

 橋本は、赤面した。

「それ、橋本が畝傍で、私が耳梨かなあ?」

「まあ、先輩方は、もはや夫婦ようなものですからね」

 机に顔を伏した橋本が、こぶしを打ちつけ抗議する。

「第一、お前には、香里かおり嬢がいるではないか。なんだ、その婚約指輪は。ただの装飾品なのか」

 私は、左手の指を揃えて眼前に掲げる。「おおー」と下級生から声が上がる。一般的に婚約指輪とは、男性から女性に贈るものだが、美陰学苑みかげがくえんでは「先約あり」の意味で男もつけるのだ。そして、結婚後に、婚約指輪から結婚指輪へと名称が変更される。

「あのねえ、私の結婚は、大学卒業後だよ。健康な男児に、それは大層辛いことだとは、思われないかね」

「知らん」

 と言いつつ、もちろん、橋本が手を出していないことは、百も承知なのである。

「ねえ、白妙の君。君にも、浴衣を縫ってあげようか。おちびさんたちの残りの生地があるから」

 来たる夏に向けて、ちびっこの浴衣を猛烈な勢いで縫い上げた。そして、今に至る。

「ええと、先輩方の分は…」

「ああ、私のは、婚約者が縫ってくれた。ついでに、橋本のも。私が良い生地のを着ているのに、橋本が安物を着ていたらみすぼらしいと案じてくれたのだろうね」

「言い方」

 橋本は、顔を上げて私を指差す。私は、白妙の君を見る。

「はい。お願いします」

 にこにこ顔の白妙の君。

「で、交換条件と言ってはなんだが」

 私は、人差し指を立てる。白妙の君の顔が、ひきつる。

「はい?」

 首を傾げる。

「将来、六木むつき君を君の稚児にしてほしい」

 当然、困惑している。

「ノブレス・オブリージュですよ。白妙の君」

 若菜君は座り、「稚児宣言」の意図を説明した。あれは、第一に、性的関係を結ぶことが目的ではない。弱者を守るための方便なのだと。だから、必ずしも性交はしなくてもいいこと。

「それは、理解できました。はい、六木君は知っています。綺麗な子供ですよね。あの、でも、六木君はこう…」

 では、一体、何を問題としているのだろう。上級生は、視線を送り合う。やがて、橋本は言った。

「解った。六木君が、中学生になったら、食堂で干し鱈を咥えて待っていろ。向こうから勝手に来るだろうから」

「ああー」

 私たちは、声を重ねたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る