第4話
「ノブレス・オブリージュだよ、
時は、授業開始前。場所は、教室前の廊下。窓は開いていて、私は新緑を背負って、橋本は空を睨んでいた。
「解っている。良識ある上級生のつとめだからな」
「と言うのは建前で、本音は幼気な下級生を悪戯から守りたいと言う一心だ」
橋本を見つめる。深く、頷く。
「それも、解っているよ」
間もなく、
午前の授業が終わり、生徒は食堂へ移動する。
居た。あの子だ。まだ詰襟がブカブカの中学一年生。橋本は私を残し、大股で少年に近付く。背後から腕を取り、少年が振り向きざま、唇を重ねた。わっと、食堂中から歓声が湧く。
稚児宣言。
二人は仲良く、配膳の列に並んだのだった。
私は、ようやく呼吸を思い出し、深く息を吐いたのだった。
見ると、隣では
「ああ、素敵ですねえ。稚児宣言。話に聞くのと、実際に、目にするのでは雲泥の差です。臨場感が違います!」
「うん…」私は気まずさに、顔を歪める。「とりあえず、昼飯にしようか」
「はい!」
ルンルン気分の若菜君。
食後、中庭のベンチに並ぶ。
「実際、あの子は貞操の危機だったのだよ」
周囲を窺いながら、小声で言う。若菜君が、顔を寄せる。
「え」
昨晩、夕食後に少年はやって来た。すでに、半べそであった。
とりあえず、寮の部屋まで連れて行く。お茶を飲ませると、少し落ち着いたのかぽつりぽつりと語り始めた。
曰く、上級生から性的関係を迫られていると。少年は、どう見てもそういったことをするには身体が小さすぎるように見えた。しかし、相手方が誘っても良い年齢ではあるのだ。
美陰学苑では、中学に上がると誓約書を書かされる。内容は、以下のとおり。中学生以上の性交を認める。ただし、両人の同意のもとですること。また、特に、不正が発覚した場合には、放校、その他を以て罰する。
「あれは、そういう意味ではないよ」
舌打ちする。悪態もつきたくなるというものだ。言うまでもなく、大切なのは前半ではなく後半である。この規則は、有名無実となって久しい。だから、誰も本当に罰があるなど、夢にも思っていない。
要するに、かの上級生は、規則を盾に、少年に声をかけた。ここまではいい。誰しも、ナンパする権利はある。だが、凌辱だけは違う。断じて違う。この類いの阿呆は過去にも居たのであろう。先人は、考えた。
それが、稚児宣言である。衆人環視の前で接吻をする。どうも、名門女子校における「姉妹制度」なるものを参考にしたものらしい。
他者の稚児に手を出してはならない。両者が恋愛関係になるかは、半々である。上級生が卒業なり、婚約をするなりすると、関係はとりあえずご破算となる。まれに、卒業後も、生涯のパートナーとなる例もあるにはある。上級生は稚児の庇護者となり、性的なこと、学校生活などについて教授するとされている。
ちなみに、過去、橋本も私も稚児宣言をされた側である。
理由は、二人とも、とても目立つので。「ノブレス・オブリージュだよ」の一言で有無を言わさず、主従関係を結ばされたのである。
「ところで、その上級生とは一体誰か」
少年は、言った。学校いちばんの赤髪の人だと。赤髪の
「うーん、
なんだかもう、何もかもが嫌になってきた上級生二人であった。「赤毛同盟」よろしく、探偵小説が三度の飯よりも大好きな同級生。
「頭がおかしいのかな、あいつは」
「おかしいのだろうよ」
橋本は、明日の昼、稚児宣言をする約束をした。少年は、健気に笑ってみせ、お辞儀をして中学生の寮へと帰っていたのだった。
「結局、赤髪の千鳥は、こう脅したのだよ。橋本がお前を受け容れなければ、俺がお前を抱くと。それで、文句はないなと。大方、高潔な橋本が、稚児宣言をするはずがないとふんだのだろうが」
「その…。赤髪の人は、精神でも病んでいるのでしょうか」
「かもね」
こめかみに、指を当てる。美陰学苑というところは、病気や自死はあっても、放校というのはない。例の規則を破った場合のみ、罰として執行される。ところで、放校、「その他」というのが非常に気になるところではある。まあ、性犯罪者の罰など、たかが知れてはいるが。大体、当人同士の同意など、どうやって判定するのだろうか。実のところ、現行犯逮捕しかないのではないかと危ぶんでいる。
まあ、あの子が助かるだけよしとするか。
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