亨②
5-1
どのくらい電車に乗っただろう。俺はほとんど窓の外を見ていた。
自分が生まれ育って、そこが世界の全てだった場所と、今自分がここにいる場所との違いを見つけたかったから。もしかしたら、自分がここで生きていくことをリアルに考えていたのかもしれない。
変だよな、俺は死ぬ前に一度ここに来たくて、それだけなのに、ここで生活している自分を想像するなんて。時々女が話しかけてきたけれど、会話をしたくなったんじゃなくて、そのことをずっと考えていたからなんだ。
電車……女にも言ったことだけれど、電車に乗ったのって数えるほどしかない。小学校や中学校は歩いて行っていた。だから生きていく中で電車を使ったことがあまりなかった。
駅も家から遠かったし、家族で出かける時は車を使っていた。駅について扉が開くたびに潮の香りが車内に入ってきて、否が応でも海が近くだってことがわかる。そしてようやく目的地に着いた。
終点の安房鴨川駅で降りた俺たちは、まず海に行くことにした。それが目的でここまで電車に乗ってきたわけで、例えそこがゴールだとしてもそれをしないわけにはいかないんだ。だって今、世界が終わるかもしれないじゃないか。大きな地震が起きたりしたら。
駅前にある町案内の看板を見る。海は目と鼻の先だ。電車から降りて、少し歩けば海に着くというのがまず信じられない。本当に信じられなかったが、びっくりするくらい短い間歩いただけで海に着いた。海なんてただの塩水なのにいざ目の前にすると、その大きさに感動する。感動する理由なんてないはずなのに、それでもそういった感情が俺の中から生まれたことに驚いたし、嬉しかった。
「海だね」
女はそう言って防波堤に座る。俺もそこに座ることにする。波の音、砂浜、潮風、空を飛ぶ鴎。……時々、とても強い風が吹く。寒いけれど、全然嫌じゃない。
「海だ。純粋に、本物の海。こうやって自分の足でここまで来れたことが嬉しいよ。俺は。……違うな、君が一緒に来てくれたってことも大きいんだ。どうもありがとう」
「どういたしまして」
俺は煙草を吸おうかどうしようか迷う。でもどうやっても手を動かすことが出来なかった。俺は波に見とれていた。単純に言うと。
「ここが目的地でいいの?」
「うん……たしかここだった気がするんだ」
うろ覚えの記憶、ここの近くのどこかに、小説の舞台になったのシーンがあったはずだ。この駅であることは間違いないと思うんだが。本を持ってくれば良かった。どうして場所だけ考えてそれをしなかったのか。あの本、まだ本棚にあったはずだ。
「憧れの場所にきた感想は? どう思うものなの? 私にはそういうのないから、純粋な意見を聞きたい」
そうだな。そうだな……。
「あの本を書いた人は、どうしてこんなところを舞台にしたのかな。海は大きいし、開けているし、駅を出た瞬間に大好きになったけれど……。なんていうか、特別な感じがしない。全然違うけれど、例えるなら地元の駅みたいな感じだよ。でも……単純に、俺がまだここの魅力に気がついていないってだけのことなのかもしれない。その可能性が大きい」
俺がそう言うと女は楽しそうに笑った。それを見ていると、なんだか穏やかな気持ちになったけれど、それと同時に心の底に嫌悪感みたいなものも生まれてきた。それは何かって言うと、説明するのも結構馬鹿らしいのだけれど、俺は女が笑うのがあんまり好きじゃないんだ。例えそこに悪意がなかったとしても、どうしても昔のことを思い出してしまうんだ。
……本当は、もっと前から気がついていたんだろうけれど、気が付かないふりをしていたんだ。その理由も、もちろんわかっていて、自分の何にそれが結びついているのかもわかっている。わかっているからこそ、どうしようもないとも思っている。だって過去は変えようがないから。
「そんなに酷いところかなあ? 私は好きだな。うん、好きになったよ。海があるって良いよ。……埼玉には、海がないから」
「酷くはないさ。俺も好きだよ。ただ舞台としては明らかに地味と言うか、足りないんじゃないかなって思ったのさ。もっと特別感っていうか……」
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