3-5
女は席を立って店を出る。俺も同じように。遠ざかっていく背中が見えて、途中、彼女が振り返り俺に手を振って「たのしかったぁ! ありがとね。とおるくん」と言った。
俺が彼女にしたことといえば、パチンコで適当な台を選んだこと、そしてセックスをしたことだけ。頭の良い奴ならもっと違ったことができたのかもしれないけれど、俺の頭じゃどう考えてもこれが限界。
女の背中が見えなくなると、俺はさっきまであの女と一緒にいたんだ、という表現しようのない感情が生まれた。あんたならこの気持ちに名前をつけることができる、か。できねぇよ。俺は。煙草を吸うことが精一杯だよ。
駅に向かって歩く。昨日から今日までの間で、とてつもなく大きなことをした気になっていたけれど、その実、たったこれだけの範囲でしか生きていなかったのだ。でも、だからなんだと言うのだろうか? 俺の人生だ。
両親には迷惑をかけたかもしれないが、それだけだ。駅員にここはどこなのかと聞いたら、東京の八王子だという。まだ山梨を出て一時間くらいの距離だと。距離と時間は比例しない。空いている車両に乗る。
昨日はろくに眠れなかったから眠ることにする。いや昨日はしっかりと寝たな。どっちでもいいだろう。とにかく今眠たいと言うだけ。十時を過ぎた電車は日差しで満ちており、じっとしていると暑いくらいだったけれど、目を閉じたらすぐに寝てしまった。
眠りに落ちる瞬間、家から盗んできた金と、昨日の女にもらった金のことが頭に浮かんだ。考えてみれば当てたのは俺ではないわけだし、それにセックスをして金を貰うと言うのも変な話だ。しかしこれが現実なのだ。しかしそれは一瞬でどこかに行き、眠りの力の方が勝った。
そして次に目が覚めた時、電車は東京駅に着いていた。東京に来るのは多分二度目、感慨も糞もない。ただ人がいると言うだけの話だ。そこから千葉に行くためにまた駅員に話を聞き、少し離れたホームから電車に乗った。
東京から千葉へと向かう車窓の風景だって山梨と大して変わらない。ビルだろうが山だろうがそれがそこにあるだけ。でも、海だけは確実に何かが違う。山しかないところで育ったから、というのもあると思うが、俺は昔から、海にはそこにしかない何かがあると思っている。気のせいかもしれない。
縁がなかったから、そう言うものだと思い込んでいたのかもしれない。童貞が女の子に幻想を持ちすぎるのと同じような。どういう結果になるにせよ、最後にそれを確かめに行くのは悪くない。もう一度寝ようと思ったが、そんなことを考えていたらいつの間にか千葉駅に着いていた。
また駅員に聞いて、安房鴨川に行く術を聞いた。駅員は素晴らしい。こんな俺が質問しても丁寧に答えてくれる。駅のホームで線路を眺めていると、視界の端から現れた女が俺に話しかけてきた。
女はなんとか大学と言っていたか、笑える話だ。俺は中学校だってろくに行っていない人間だ。それが大学なんて……もう会うこともないだろうと適当に答えていると、彼女も俺と同じところを目指していると言うことがわかり一緒に行くことになった。
なんの気まぐれか、『一人だと心細い』なんてことを言ってしまった。どうしてそう思ったのか。俺はずっと一人だったじゃないか。そうだろう? 今朝の女を引きずっているのか? 正直なところ、半分引きこもりだった俺が童貞じゃないのは、何かの間違いが何度も繰り返されたからに過ぎない。
そして同じ女と二度それを繰り返したことはない。だからなんだ? どれもがその理由には当てはまらない気がする。全ての理由が……。
「ねえ電車が来たよ、乗ろうよ」
その声は誰だ? 俺は女の顔を見た。女は電車の向こうを見ている。その先に何か、見たことない何かがあるかのように。俺もそこを見た。何もない、ただの線路しか見えなかった。
「これが俺たちを乗せていく電車だ」
彼女には聞こえないように自分に向かってそう言った。なんでそんなことを言ったのか? 口出せば何かが変わるって誰かに聞いた。親父か、お袋か。あるいは弟だったかもしれない。
本当だろうか? 嘘に決まっている。でも、信じることがあることは良いことだ。間違いない。
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