第9話 揺れるヘレニジア②

西暦2025(令和7)年2月7日 日本国トルキア自治区南部海域上空


 白雲がまばらに浮かぶ空を、1機の青みがかった白い塗装に身を包んだ巨体が飛ぶ。4発のターボファンエンジンは低い唸り声を上げながら、その真上の主翼に揚力を掴む力をもたらし、コックピットでは二人のパイロットが姿勢を安定させるために常に操縦桿を握っている。


 〈P-1〉多目的哨戒機は、海上自衛隊にて運用されているP-3C〈オライオン〉対潜哨戒機を更新するべく、〈オライオン〉のライセンス生産を行った品川重工業が開発した、純国産哨戒機である。石川島神戸重工業IKHIにて開発された国産ターボファンエンジン4基を動力とする本機は、航空自衛隊にて運用されている〈C-2〉輸送機と幾つかの部品を共有化しており、製造・管理コストの低減が図られている。


 しかしコストを下げたとはいっても性能までも下げてはおらず、国産の対水上レーダーや改良型磁気探知機、赤外線探知装置といった潜水艦や洋上艦艇を探知・捕捉するためのセンサーが充実しており、機内のデジタルコンピュータと繋げる事で構成される戦術ネットワークや、僚機や洋上の護衛艦と情報を共有し、三次元の網で敵潜水艦を捕らえる戦術データリンクを用いる事で、島国たる日本国の生命線を狙う敵潜水艦を確実に葬り去る能力を得ていた。


 そして武装であるが、領海の警戒任務のみならず、遠洋での対潜水艦攻撃や、領海内での対艦攻撃任務も担うため、対潜魚雷や爆雷、空対艦ミサイルを装備可能であり、現在は派生型として純粋な爆撃機型や、国産早期警戒レーダーを搭載した早期警戒機型の開発が進められている。


「周囲に不審船の姿は見られず、どうぞ」


「了解。引き続き警戒を続行せよ、どうぞ」


 機内にて、機長と武器管制員がインカムで応答し、管制員は双眼鏡で窓の外を覗く。今飛んでいる海域は、トルキアの真南に位置するケプロシア王国との航路上にあり、最近ではどこからともなく現れた不審船や海賊船による民間船舶への襲撃が相次いでいる。古めかしい短機関銃や手榴弾で武装した海賊は、上手くいけば非武装の民間人を脅して金品や船そのものを奪い取る事が出来たのだが、最悪の事例では、自動船舶識別装置AISの反応が無いために一発で海賊船だとばれ、付近を航行していた海上保安庁の巡視船に機関砲を撃ち込まれて半殺しにされるという事も起きていた。


 無論、日本側も無策ではなく、海賊を炙り出す目的も兼ねてAISの啓蒙セミナーを行って善良な漁船には装備を義務付けたり、海上自衛隊も40ミリ連装機関砲や20ミリ機銃を装備し、無人航空機によって広域を捜索できるまつ型哨戒艦を12隻建造・配備する様になっている。その対応策の隙を埋めるのが、海上自衛隊航空集団に属する対潜哨戒機の任務であった。


 とその時、管制員の一人が洋上に船舶らしきものを見つける。近年の海賊船はどこから得たのか分からないが、無理やり搭載した機関砲で調子に乗って、哨戒機に見られているにも関わらず海賊行為を続けようとする強者も増えており、威圧目的で接近を試みても停船ないし反転を行わない場合も多い。とはいえエンジンを4基も搭載し、胴体部も頑丈に作られている〈P-1〉であれば、無理やり接近しても問題はないはずだった。


 だからこそ、至近距離で砲弾が炸裂し、機体を衝撃で揺らした時には、機長をはじめとした多くの乗員が驚愕を露わにした。


「っ…!?届いた…!?」


「き、緊急離脱する!」


 流石にこれ以上の接近は危険が伴うと判断し、〈P-1〉は急いで上昇。その2時間後、通報を受けた海上保安庁の巡視船は、国籍不明船の砲撃を受けて後退を余儀なくされ、それによって政府は『軍艦』が領海に侵入してきた事を察したのである。


・・・


首相官邸地下 危機管理センター


 突然の有事から1時間後、一報は危機管理センターの下に舞い込んできた。


「現在、ヘレニジア連邦共和国は大胆な軍事行動の準備を取っております。まず、国境線上では、推定10万規模の兵力が集結を進めており、トルキア方面隊司令部は近々、侵略を仕掛けてくると推測しております。領海に侵入した軍艦は、海上保安庁の巡視船と遭遇した後に挑発を行い、しばらくして西へ戻りましたが、油断は禁物だと考えます」


 内務省管轄下に置かれた公安委員会委員長の報告を聞き、菅原は苦い表情を浮かべる。


「…ここに来て、露骨に動いてきましたね…自衛隊は現在、どの様に動いていますか?」


「はい。現在、陸上自衛隊トルキア方面隊は第17・18・19師団を西部に展開中であり、2日以内に迎撃態勢を完了させます。第16師団及び第20・21師団は予備兵力として待機し、海上自衛隊や航空自衛隊も、西部へ展開を進めます」


 何せ国籍不明の軍艦が明確な殺意を向けながら侵入してきた直後に、ヘレニジア連邦共和国が侵略の予兆を見せてきたのである。何らかの関連性が伺えてもおかしくはなかった。


「それと最近になって、沖縄や九州北部といった地域にて、自衛隊の本土撤収を求めるデモが頻発しております。県政も怪しい様子を見せておりますし、内務省は総力を挙げて捜査と調査を行い、事の真相を解き明かして見せましょう」


・・・


トルキア自治区より西に20キロメートル地点


 そこには、1万人程度の将兵の姿があった。彼らはトルキアからの亡命者に、ヘレニジアのトルキア人志願者で構成された機械化歩兵師団であり、亡命からの数年で強力な戦闘集団へと生まれ変わっていた。


「殿下、我らは間もなく復讐を果たしまする」


 副官の言葉に対し、トルキア王国陸軍第2師団を率いるセリア王女は小さく頷く。本来であれば彼女は軍人となる資格などないのだが、従来の価値観では立場の低い者をも利用しなければならない程にトルキア王国亡命政府は人材が払底していた。


「分かっておりますわ。にしても、何故にわらわの様な、戦闘とは無縁な王女までも指揮官に任じられたのか…」


「我らが国王陛下は、それだけ王太子殿下が大切だという事です。蛮族どもに国を追われた今、我らは最も優先すべきもの…偉大なる王家の尊き血筋を守り抜く事を優先しなければなりません」


「なればこそ、将兵に事欠く今、妾の様な価値の低い者もとことん使おうという訳ですか…ところで、彼らは?」


「彼らは傭兵集団です。それもただの傭兵ではなく、ああして集団での行動を前提とした者たちでございます。戦闘技術に関しましては心配なさらぬ様に」


「そう…妾が率いる第2師団は如何様に立ち振る舞う事となりましょうや?」


「はっ…戦略と致しましては、第1師団を先頭に3個師団が街道を突き進んでケーサン市へ攻め込み、これを奪還。それに合わせてヘレニジア陸軍6個師団が前進し、戦線を一気に押し上げます。我ら第2師団はあくまで後備えとなりましょう」


「主役はあくまでも第二王子殿下の率いる第1師団、という訳ですか…」


 新生トルキア陸軍の主力たる第1師団には、ヘレニジア陸軍の誇る精鋭である第21戦車師団と、機械化歩兵師団である第14歩兵師団が付き添う事となる。1500両もの戦車を先頭に立てて進む光景を見れば、相手は震え上がる事となるだろう。


「それに現在、クレティアでは海軍が主力艦隊や輸送船団の集結を進めており、海からも攻め込む準備をしております。今は我らなりに出来る事に専念致しましょう」


「分かっておりますわ。にしても、妾たちはいつまで、この様な無意味な対峙を続けなければならないのか…」


その問いに答える事の出来る者は、その場にいなかった。

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