第8話 揺れるヘレニジア①

西暦2025(令和7)年1月30日 トルキア自治区イスタビア


 日本国とその周辺地域が、未知の世界に転移してから5年。最初に足を踏み入れた地となったイスタビアは、すっかり様変わりしていた。


 艦砲射撃や市街地での銃撃戦などで損壊した建物は取り壊され、区画整理が実施。そして旧市街を取り囲む様に新しいビルが建てられ、人口100万を数える大都市へと変貌していた。郊外に陸上自衛隊駐屯地や小規模な工業地帯を抱えるこの街では、現地住民の雇用も積極的に行われており、その職種は警察官から建設業、工場作業員まで多岐にわたっていた。


「この街も、すっかり見違えたな」


 元々からこの街に住む者の一人は、カフェの席から辺りを見渡し、そう呟いた。


 日本は種族や元々の身分の違いなく法の下で平等に扱い、貴族出身の者が平民出身や元奴隷を虐待するのを防いだり、逆に元奴隷が武力で身上の者を引きずりおろす事がない様にしていたため、平和に保たれていた。さらに義務教育も施行され、イスタビアを含むトルキア各地の日本政府の実効支配が及ぶ地域では、従来のトルキア語や日本語の授業が行われ、識字率は80パーセントを超えようとしていた。


 当然ながら治安は安定している。詐欺や不正は完全には撲滅出来てはいないが、少なくとも国家公務員の職を高等弁務官事務所への贈賄で得ようとする者はおらず、むしろ所得税によって無駄な贅沢が出来ない状況にある貴族の方が多いため、意外にも真面目に試験を受けて警察官や役所の職員を目指す者の方が多かった。


 そして現在、市街地を行き交う人々を見てみれば、その半分は日本人であり、もう半分は現地住民やイスタビア外から来た者たちで成り立っている。人口100万のうち40万は新たな職を新天地に求めて移住してきた日本人であり、それに次ぐ20万はこれまで人口にはカウントされていなかった亜人族や元奴隷、残る40万が市外へ逃亡せずに日本政府の支配を受け入れた現地住民といった具合である。


 価値観や常識の差異はあれど、表立った対立というものは発生しておらず、人々はあるべき平和の姿に満足していた。なんとも都合のいい話ではあるが、それが人間というものである。王政時代の懐古など、汚職と腐敗の限りを尽くしていたカトリカ教会や、それをバックに法外な重税を課していた大貴族の圧政に比べれば、支配者が変わっても何とも思わないのである。近世初期の価値観だからこその割り切り方が上手く働いた好例であった。


「とはいえ、隣国がきな臭いのは否めないよな…どう出てくるのか…」


・・・


同日 日本国東京都


 この日も、危機管理センターでは国家安全保障会議NSCが執り行われていた。


「現在、我が国と国交関係にある国は、地球時代からの4か国に加え、ダキア王国、カホキア首長国、マルティア王国、ケプロシア王国の4か国が加わっております。そして現時点で交渉中なのは、エラビア王国、イギプティア王国の2か国であり、さらに3か国に接触を行う予定となっております」


 川田文和かわだ ふみかず外務大臣は菅原総理らに対してそう説明し、説明用資料であるレジュメを捲る。


 日本国とその周辺地域が未知の異世界に転移して5年が経ち、すでにこの星の衛星軌道上には4基の地上偵察衛星が打ち上げられている。アメリカ合衆国からの助力が得られない現在、日本は既存のロケット発射台がある種子島のみならず、台湾や硫黄島の直ぐ近くに発生した無人島に射場と関連施設を建設。より多くのロケットを打ち上げられる環境を作り上げたのである。


「すでに衛星で観測できる範囲内では、カホキア首長国の支配領域から東に2千キロの地点に文明を確認しており、そこから海を挟んで3千キロの地点に大陸を確認。この惑星の直径が1万3千キロである事を考えれば、そこそこの密集具合となりますね」


 既に宇宙航空研究開発機構JAXAは、新たな射場の築かれた無人島―後に地形から『十字島』と呼ばれる事になる―に大型のパラボラアンテナを建設し、近々打ち上げられる宇宙望遠鏡によって外宇宙を探索。アメリカ合衆国にて行われている地球外知的生命体探査に用いられる電波をキャッチ次第、メッセージを返して連絡を取る手段が模索されている。


「ともあれ、今はこの世界でどの様に生き延びるべきかが問題です。ところで、ヘレニジア連邦共和国との交渉はどうなっていますか?」


 菅原の問いに、川田は苦々しい表情を浮かべる。


「全然進展していません。我が国は国交樹立交渉と同時にトルキア王国上層部の身柄引き渡しを求めているのですが、相手はそれに応じるどころか、ケプロシア王国との関係断絶を求めて来ております。彼の国にとってケプロシアは格下に見ている模様であり、対等な関係にある事を快く思っていない様です」


 加えてここ数年のところ、エルゲル海と呼ばれているこの海域では、国籍不明の不審船が度々出没しては貨物船への襲撃を繰り返しており、海上保安庁は既存の海賊や不審船への討伐に奔走していた。


「いずれにせよ、我が国の知名度が低い上に、振る舞いが侮られている事を前提に安全保障を見直した方がよろしいかと存じます。続いては内務省よりご報告がございます」


 川田がそう言って下がり、替わって北条内務大臣が席を立つ。トルキア王国との戦争後、暴力の連鎖の防止を語りながら、自衛隊員への暴行や駐屯地への侵入に破壊工作と迷惑しか掛けない左派過激派に、自分たちは具体的な行動に出ず、ただ大衆を扇動するだけの運動家の取り締まりは日本政府の急務となり、これの対応策として75年振りに内務省が復活。国家公安委員会直轄の実働部隊である保安隊が設立され、左翼狩りを行ったのである。


 転移前、メディアにて絶大な権力を誇っていた左派の評論家や運動家の大半は、『自由を建て前に国民の結束を乱し、不要な混乱を引き起こした』として反論する間もなく逮捕。裁判で反論ないし減刑を求める事はせめてもの情けで許されたものの、悉くが発言力の及ばぬトルキア自治区の拘置所へ送り込んでいた。そこには右派の過激派も放り込まれており、悪意があるのか敢えてごちゃまぜになる様に収容していたため、食堂では常に平行線を辿る討論や、負傷者の絶えない乱闘が繰り広げられているという。


「現在、我が国では現状の国家安定化政策に対して露骨に反発する者や、政権転覆を目論む不穏分子の摘発を進めておりますが、近年は摘発件数が減少傾向にあります。その方が好ましいのですがね」


「ですが、注意は怠らないに越した事はありません。引き続き、治安維持のための任務をお願いします」


・・・


西暦2025年/共和暦224年2月1日 ヘレニジア連邦共和国 首都アティナ


 ヘレニジア連邦共和国は、13の巨大な都市国家ポリスを中心に構成された連邦制国家であり、その成立時期はヘレニジア亜大陸と呼称されているこの地域では新しい部類に入る。


 しかし、西方より伝来したカトリカ教の布教を認め、果てには国教として保護したのを契機に、大国ラテニア共和国より大々的な支援を受ける。その結果、国力は急成長し、エルゲル海に面する国として最大の軍事国家として名を馳せるに至った。


 その首都アティナにある連邦最高評議会では、デミクレス評議会議長が会議を開いていた。


「国防長官、我が軍の状況を報告せよ」


 デミクレスの問いに対し、国防庁長官のテリウスはレジュメを捲りながら説明し始める。


「はっ…現在、連邦軍は友邦たるラテニアより多数の兵器を購入しつつ、弾薬を中心に国産化を進めておりますが、その規模と質は向上しつつあります。まず陸軍ですが、新たに3個歩兵師団を完全機械化し、1個歩兵師団を改編して機甲師団と致しました」


 この時点でヘレニジア陸軍は都市国家に一つずつ、東部方面や北部方面に2個ずつの計17個歩兵師団を有していたが、日本がトルキア王国を滅亡させてからの4年の間に近代化を進め、6個師団を機械化歩兵師団に強化。2個歩兵師団を戦車を主体とした機甲師団へと再編していた。


 無論、純粋な兵力の増強も怠らず、新規に志願した兵士と改編で余った将兵で3個機械化歩兵師団を編制。その全てが東部方面の第2軍へと編入していた。


「続いて海軍ですが、ニホンなる国の海軍が新たに巡洋艦を建造し始めた事を受けて、ピルス海軍工廠にて巡洋艦3隻と駆逐艦6隻、潜水艦6隻を建造。第1艦隊に優先配備しております」


 広大な海域を支配するヘレニジア連邦共和国は、当然ながら海軍戦力にも力を入れている。その戦力は4年前の時点で巡洋艦6隻と駆逐艦12隻、哨戒艇24隻、潜水艦12隻の54隻であった。今では巡洋艦3隻と駆逐艦6隻、哨戒艇6隻と潜水艦6隻を建造し、巡洋艦3隻と駆逐艦6隻を購入。結果的に巡洋艦12隻、駆逐艦24隻、哨戒艇30隻、潜水艦18隻という人口4千万程度の国としては相当な規模の戦力を揃えていた。


「空軍も同様に、戦闘機300機と軽攻撃機150機、爆撃機60機に加え、ラテニアより新型150機を購入し、東部空中師団に優先配備します。訓練も順調に進んでおり、必ずや2週間後には間に合いましょう」


「そうか…して、亡命政府の方はどうかね?」


 デミクレスの問いに答えたのは、外交庁長官のポルトンであった。


「現在、トルキア王国亡命政府はトルキア王国より逃れてきた将兵や、金で雇った傭兵を中心に軍を再建中であり、我が国も予備役を中心に義勇兵として参加させております。奪還の暁には多大な債務を抱える事となりましょうが、その際はニホンなる国より賠償を分捕るのみです」


 現在、王家を中心に設立されたトルキア王国亡命政府は、ヘレニジアに逃れてきた者や未知の新興国の侵略を脅威と考えた志願者によって王国軍の再建が行われており、それに予備役も義勇兵として参戦している。その規模は陸軍3個歩兵師団、空軍1個空中師団といったところであり、復讐を誓うには十分すぎる兵力であった。


「ともあれ、生意気な国が近くにいるのは気に入らん。下準備は抜かりなく進めよ」


「ははっ…」


 斯くして、議論は過ぎていき、最高評議会は一つの決断を下した。そしてこの決断は、日本の行く末を大きく狂わせる事となる。

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