最後の嘘

北大路 夜明

第1話

「実はわたし、あなたの孫なの。だから養育費をちょうだい」


 目の前に佇む少女があまりにも突拍子もないことを言うから、あたしはまず自分の体調を疑った。


 頭を強く殴られでもし、記憶がまるごと喪失したのだろうか?


 それともついに認知症を患ったのだろうか?


 頭の中で自分がどこのであり、生年月日、今日の日付、今いる公園の住所を難なく諳んじられるのを確認してから、そっと安堵の息を吐き出した。


 それから回遊魚のように右に左に泳いでいる少女の瞳をじっと見つめる。


 これは少女の嘘だ。


「なんだい、そのチープなドラマの設定は。あたしは騙されないよ。孫なんかいないんだからね。そもそも、子供だって産んだことがないんだ。年寄りをからかうのもいい加減にしておくれ」


 あたしは初老のばあさんらしく老害アピールするために少女を強く叱責する。


「じゃあ、過去からタイムスリップしてきた幼馴染みって設定にする。昔、貸してあげたお金を返して」


「幼馴染みが借金取りだって?」


 思わず噴き出してしまう。


「どうせ、年寄りを騙して金をぶんどろうとする算段なんだろうけれど、一文無しのホームレスを狙うだなんて聞いてあ呆れるね。嘘をつくのならもっとまともな嘘をついたらどうだい」


「まともな嘘ってどんな?」


 少女は否定せず、屈託なく小首を傾げた。若い子の反応は素直でわかりやすく嫌いじゃない。


 あたしは少女に好感を抱いた。


 だから、もう少し喋ってあげてもいい、そんな気持ちになっていた。


「そうだね、あたしが年寄りを騙すんならこう言うね。『内縁の父親に虐待されて、うっかり手が滑ってぶっ殺しちまったから、逃走資金をよこせ』とね」


「どっちがチープなドラマなの」


 少女は自嘲気味に笑う。


「だいぶ、寒そうだね」


「え?」


 先程から少女がしきりに足の指を動かし暖を取っているのが気になった。


「この寒空に靴下だけじゃないか。靴はどうしたんだい?」


 木枯らしが吹き始める11月。少女の水玉模様の靴下を見て、枯れ葉がカラカラと軽快な笑い声を立てている。


「別に。おばさんにはわからないと思うけれど、今どきのファッションなの」


「伊達の薄着ってやつ?」


「なにそれ?」


 少女は後ろ手に組んだ腕をもじもじさせながら、公園の横を通過したパトカーに目を走らせた。その目に怯えのような影が差したのをあたしは見逃さなかった。昔から人の観察をするのは得意なほうなのだ。


「その後ろに隠しているもので、あたしを脅して金を脅し取るつもりだったのかい? 手に持っている血の付いたナイフで」


「バレちゃっているんだ」


「バレちゃっているも何も、さっきからパトカーが同じことを繰り返しているからね。『殺人犯が逃走中です。不要不急の外出は避けてください』って」


 すると、少女は照れ臭いような困ったような表情を浮かべた。その笑みが今にも崩れてしまいそうであたしは咄嗟に口走っていた。


「あたしに任せな」


 そう言ってすでに後悔していた。もともと余計なものを抱え込む性分ではないのだ。なるべく、人を遠ざけ、必要最低限の付き合いしかしてこなかったあたしが考えることといったら、いつも自分のことばかり。今日眠る場所と夕飯のことだけを考えていればいいのだから、ずいぶんと気楽なものだった。


「覚えておくといい」


 あたしは戸惑う少女を段ボールハウスに招き入れ、隣に座らせる。視線は公園入り口に走らせたまま、自然体を装いながら上着を脱いだ。途端に冷たい空気が肌にまとわりついてくる。


「この世界で嘘をつくのが一番難しい相手は誰だと思う?」


「誰?」


 覚束無い動作で上着に袖を通しながら、少女は頼りない声で訊ねた。


「自分自身だよ。自分自身を騙せないやつは誰も騙せない」


 ちょうど少女がファスナーを顎下まで引き上げたとき、入り口から二人の制服警官が入ってきた。返り血の付いたシャツは上手く隠せたし、ナイフも人目につかない場所に紛れ込ませた。


「いい? あんたはたった今からあたしの孫だ」


「わかった」


 少女の横顔に緊張の色が差していた。心臓が飛び上がるように鼓動を打っていることだろう。


 あたしは思い出していた。


 男を殺し、全国に指名手配された半世紀近く前のことを。顔を変え、名前を変え、本当の自分は当の昔に見失っていた。残ったものは嘘を塗り重ねた偽物の自分。どうせ嘘だらけの人生なのだから、今更閻魔様も文句を言うまい。


 二つの靴音が近づいてくる。


 さて、冥土の土産に最後の嘘をついてやろうじゃないか。


 あたしは深く息を吸って顔を上げた。

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