棘姫と夏祭り

第49話 あの日、観覧車のてっぺんで


『冬城! 夏祭り行こうぜ!』


 辺蓮からそんな電話が掛かってきたのは、夏休みの真っ只中。俺が柏木さんと仲直りをしてから、四週間後のことだった。


 その間、俺と柏木さんは気まずい状態になっており、ゲームこそするものの、ボイスチャットを繋いでお互いの声で意思疎通をすることはなく。ほぼ惰性で行っているデイリーボーナスとスタミナの消費を共同で行うだけだった。


 それが終わると、蕎麦は「またね」とだけ言って、さっさとログアウトしてしまうのだ。雑談や近況報告などの類も、あれから全くしていない。


「夏祭りって……紀平町きひらちょうのか?」

『ああ、そうだぜ』


 夏祭りは、「紀平町」という紀坂町の隣町で開催される。それは知っていたのだが、まさか今日だとは思わなかった。


「それはいいけど……誰を誘うんだ?」

『ん-、そこをどうするかなんだがな……とりあえず、千乃は行けるっぽいぜ。後は、柏木さんとか、冬城の友達とか、何人か誘っといてくれ。俺も、この前一緒に遊園地に行ったっていう兄弟に会ってみたいからな。頼んだぜ』


「か、柏木さんもか?」

『そうだぜ。えっと、どうかしたか?』


 問題だらけである。俺と柏木さんはあの日、かのメロスがセリヌンティウスと交わしたようなをした訳だが、あれから柏木さんの顔を思い出すたびに赤面してしまうのだ。あの感覚が、脳裏にこびりついて離れてくれない。


「……い、いや。何でもない」


 とはいえ。


 それとこれとは別問題だ。柏木さんを仲間外れにすることは出来ない。柏木さんが俺の親友であることは言うまでも無く。

 きっと、柏木さんと一緒に行く夏祭りはかなり楽しいだろう。


 それに、辺が言うも、誘うつもりだからだ。もし柏木さんを誘わずに哲太と一哲を誘ったとして、「お前、柏木さんと仲直りしたんじゃなかったのか!」なんて言われてしまえば……。


「……ふぅー。分かった、誘ってみる」

『んお、分かったぜ。んじゃ、頼むぜ~』


 辺はそう言って。直後、ブツッと音がしてスマホは黙った。それを、掛け布団の上に投げ捨てる。


「……はぁー」


 夏祭りは今日の午後六時。八時半から、花火も上がるらしい。


「夏祭り、か……」


 思えば俺は、夏祭りというものに行ったことが無い。アニメや漫画のお陰で、それがどういう雰囲気のものなのかは知っているが。


「とりあえず、柏木さんを……誘ってみるか」


 掛け布団の上に投げたスマホを再び拾い上げ、LANEを起動。


 葵という名前のアカウントをタップ。チャットを開き――――恐る恐る、「今日の夏祭り行くか?」と入力。


「……ふぅ」


 送信――――。


 ピロンッ


〈葵:行くよ。〉


 数秒経たずして、そんな返事が来た。


「……良かった」


 そんな言葉が口から零れる。さて、俺は何に安堵しているのだろうか。柏木さんに嫌われていないこと? いや、夏祭りのお誘いを断られなかったことか?


「……やっぱり、最近の俺、なんかおかしいな」


 ああ。あの日から。俺はおかしい。


 ポロロロロロロンッ


 風呂が沸いたことを告げる、オルゴールのメロディが聞こえる。


「……ふぅー」


 俺はスマホを投げ捨てて、ベッドのすぐ横にあったチェストから換えの服を取り出し。それらを抱えて、脱衣場に向かった。



 ◆ 柏木葵視点 ◆



 ドッドッドッドッ、と。心臓が鼓動している。


「……夏祭り、かぁ」


 カスミと一緒に夏祭り。きっと――いや、絶対楽しい。それは、間違いない。


 しかし。それはそれとして。早急に解決しなければならない問題がある。私はあの日から、カスミと話をしていないのだ。ここ、三、四週間の間、ずっと。


「……――――ッ」


 ベッドの上で悶える。


 理由は、勿論あの遊園地での出来事にある。あの日、観覧車のてっぺんで。私はカスミと、ハグをした。あの温もりが、感触が。私の体から、離れてくれない。


「どうしよう……ちゃんと、話せるかな」


 四週間も会話を交わしていないのだから、接し方を忘れるのも当然だ。それも、毎日のように通話をしていた相手となら、尚更だ。

 ああ、だめだ。カスミのことを考えると、また顔が熱くなってくる。


「……千乃ちゃん、今居るかな」


 千乃ちゃんとは、この夏休みの間に色んな話をしたし、色んな所にお出かけもした。何なら、カスミより千乃ちゃんと二人で過ごした時間の方が長かったかもしれない。だから、千乃ちゃんとはかなり仲良くなれているのだ。私の親友といって差し支えない存在になったと言える。


 LANEから千乃ちゃんのアカウントを探し出し、タップ。チャット画面が開いたことを確認する。


「えーっと、今大丈夫かな……っと」


 入力して、送信。既読はすぐに来た。


〈千乃:平気だよ!〉

〈千乃:どうしたのー?〉


〈葵:カスミに夏祭りに誘われたんだけどさ。〉

〈葵:千乃ちゃんも来るのかな?〉

〈千乃:れーくんに誘われたよ!〉

〈千乃:あおりんも来るの?〉


〈葵:千乃ちゃんが行くなら私も行くよ。〉

〈千乃:そっか!〉

〈千乃:場所は分かる?〉

〈葵:今調べた。紀平町だよね。〉


〈千乃:そうだよ~〉

〈千乃:あたしはれーくんと一緒に行くから、あおりんはゆっきーと行きなよ〉


 か、カスミ、と?


〈葵:カスミと?〉

〈千乃:うん!〉

〈千乃:あ、そうだ〉

〈千乃:見て見て、これ!〉


 そう言って、千乃ちゃんが送ってきたのは――一枚の写真。姿見の前で、ピースサインをしながら映るのは、浴衣を着た千乃ちゃんだ。

 浴衣は青と紫の紫陽花模様になっていて、涼やかな印象を与える。


 そして、めちゃくちゃ似合っている……。


〈葵:似合ってるね!〉

〈千乃:ありがと~!〉


 じたばたしながら喜ぶ、熊トリスのスタンプが送られる。


 あ、これ……千乃ちゃんも買ったんだ。


「……ふふっ」


 千乃ちゃんのを見てたら、私も浴衣……着てみたくなっちゃったな。


〈千乃:じゃあ、また後でね!〉

〈葵:うん。〉


「お母さん……持ってるかな」


 スマホをベッドの上にぽすんと置き、私は一階に駆け降りた。


 ◇


「どうしたの~、葵。そんなに騒がしくして……」

「お母さん。あの、さ」


 一階のリビング、食器を洗っていたお母さんに、おずおずと話しかける。


「今日……えっとね」


 そう言いかけて、口ごもる。


 私が今日、家を空けたら。きっと家に帰って来れるのは、夕食後の八時以降だろう。そうなれば、その間お母さんは一人で夜ご飯を食べることになってしまう。

 お母さんはいつも、仕事で忙しい。そんな中でも、一週間のうちに何日かは早めに帰って来て、私と一緒にご飯を食べてくれる。今日はその日なのだ。


 ……お仕事を頑張って、早く帰って来てくれたお母さんを一人ぼっちにして、自分だけ楽しいことをするなんて。私には、そんな真似できっこない。


「……ごめん。やっぱり、何でもな――」

「大丈夫よ、葵。遠慮せずに言いなさい」


 にこっと笑うお母さん。


「……えっと。今日、紀平町で夏祭りがあってね。私、そこに行きたくて」

「ふふ、行ってきなさい」

「あ……あり、がとう」


 お母さんは、私のやりたいことを止めはしない。

 それが分かっているから、尚更だ。


「それで、ね。浴衣……とか、着てみたくて」

「あら~。良いじゃない! 浴衣!」


 お母さんはパンッと手を叩き、寝室の奥へと手招きをした。



 ◆ 冬城佳純視点 ◆



 午後五時半。空はまだ明るいが、少しだけ曇っている。


 そして、今。柏木さんが「一緒に行こう」と言うので。俺は、不安を抱えながらも柏木さんの家へと向かっている。

 服装は半袖シャツに七分丈のズボン。最低限、ダサくないのを選んだ。


「……ふぅ」


 ちなみに、他に誘ったのは哲太と一哲だ。辺が言っていたのもあるが、一番は羽成兄弟あいつらに会いたいと思ったからである。一哲の方は断られるかと思ったが、意外や意外。僕も行く、とのことだった。

 一番の心配は、あいつらが道に迷わないことだな。


 ……そんなことを考えながら、気を散らそうとするも。


 柏木さんの家は、どんどん近づいて来る。

 そのたびに、俺の心臓は鼓動を速めていく。


「……落ち着け、俺」


 およそ四週間。

 俺と柏木さんは話さなかった。今更どう接していいかなんて分からない。


 柏木さんの家まで、あと十メートル、八メートル、四メートル……。



「……あ」



 玄関前の階段に腰掛ける、一人の少女と目が合う。少女の瞳は赤紫色マゼンタで、服装は浴衣姿。浴衣は黒を基調とした薔薇模様で、その花びらは同じく赤紫色マゼンタだ。

 その銀髪は、バレッタで後ろにまとめられている。


「……やぁ」

「お、おう」


 少女はゆっくりと立ち上がる。両手で持った巾着袋が、ゆらりと揺れる。


「……行こっか」

「ああ」


 柏木さんは俺の隣に立ち。

 俺達は、会話を交わすこともなく、ゆっくりと歩き始めた。


 ◇◇◇ ◇◇◇

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