第50話 第二十五回紀平町夏祭り


 徒歩三十分ほどで、紀平町の夏祭り会場へと到着した。人通りはかなり多く、そして鼻をつくのは汗や煙の臭い。


 本当に、どこに行っても人が居る。そして、ざわざわと人の声が絶え間なく聞こえて、落ち着きがない。


『えー、久しぶり!』

『お前、なんか背伸びた?』

『あそこの串焼き美味そうじゃね?』


 嫌でも誰かしらの話し声が聞こえるし、常に誰かしらと目が合ってしまう。


「辺とか哲太とか……もう来てるのか?」

「んー、どうだろ。スマホで確認してみる?」

「ああ、そうする」


 そう言って、スマホを取り出し。LANEで確認を試みるも――。


「……マジか」


 そう、スマホの電波が悪すぎて、メッセージの送信が出来ないのである。理由は間違いなく、この混雑の所為だ。


「ダメだ。繋がらない」

「そ、そっか。……一応、集合場所は決めてあるからさ。多分ここに居れば落ち合えるよ」

「そうだな。気長に待つか――」


 そう言った瞬間。


「よっ、冬城!」


 後ろから、もうとっくに聞き慣れた男の声がする。


「――辺」

「やっほー、あおりんにゆっきー」

「千乃ちゃん」


 山崎千乃も浴衣に身を包んでいる。青と紫の紫陽花模様で、涼し気な様子だ。履物はブルーの鼻緒の下駄で、歩くたびにカツカツと音がする。

 ……柏木さんも一緒だ。柏木さんも下駄で、鼻緒は紅色。ここに来るまでも、何度も柏木さんが歩くたびに下駄が音を鳴らしていた。


「早かったな、お二方。……どうした、あの兄弟は一緒じゃないのか?」

「……ああ、まだ来てないっぽいな。大丈夫なのか、あいつら……」


 揃いも揃って方向音痴なのだ。どこかで迷子になっていなければいいのだが。


 ちなみに、俺達が集合場所に指定したのは、会場の隅にある掲示板だ。掲示板には、『今年も開催! 第二十五回紀平町夏祭り』とのポスターが貼ってある。


 と、不意に後ろから声が聞こえる。


「よう、カスミ!」


 振り向くと、ジンベエ姿の哲太。その横に居るのは、端整な顔立ちの美少女。その姿は――――浴衣である。


「おい、冬城。知り合いか? 例の兄弟じゃないっぽいが……」


 辺がそう勘違いするのも無理はない。哲太の横に立っているのは、メイクばっちりの完璧な美少女だ。烏羽色の髪の毛を、編み込んでハーフアップにしている。


 深紫を基調とした、桃色の金魚が映える浴衣。

 華奢な体をきゅっと包むのは、赤色の帯である。


「いや、あれで合ってる――――なんて格好だ、一哲……」

「え、あれ一哲君だったんだ!?」


 どうやら柏木さんも気付いていなかったようだ。


「こ、こんばんは……」


 そう、その美少女の名は羽成一哲。完全に女装をしている。


「一哲の奴、最近になって女装にハマっててな!」

「ち、ちが。そうじゃなくて。……カス兄が言ってたから、僕も真似しただけ」


 辺と山崎も目を丸くしている。


「あれ、男の子なのか?」

「ええ、めっちゃ可愛いんだけど……」


 傍から見れば、哲太と一哲は完全にカップルのそれだろう。そして――。


「俺が、言ってた? 何を?」

「だ、だから。その……コンプレックスを前面に押し出すってやつ」


 だからと言って、それは極端というかなんというか……。


「そ、そうか。あれ、覚えてたんだな」

「うん」

「ハッハッハ! うし、一哲、はぐれるんじゃねえぞ! この人混みだからな!」


 お前が言うなというツッコみは、口に出る直前でひっこめて。


「じゃ、全員集合したことだし、行こうぜ、冬城!」

「れっつごーだよ!」


 能天気なカップルの掛け声により、俺達の夏祭りが始まった。


 ◆


 俺は辺と哲太と並んで歩き、その前をはしゃぎながら歩くのは、山崎と柏木さん。

 ちなみに、一哲は哲太のジンベエの袖を掴みながら、おろおろと歩いている。


「ね、あおりん! 見てあれ!」

「ん? ――あ」


 二人の視線の先にあるのは、金魚すくいだ。小さな子供達が挑戦している。


「やろうよ、あおりん!」

「うん――カスミ、あれやって来て、いい?」


 後ろを振り向いて、赤紫色マゼンタの瞳をぱちくりとさせながら訊いてくる柏木さん。

 思わずどきりとする。


「別に俺に許可を求めなくても、行って来ていいぞ。……あ、哲太と一哲。お前らはちゃんと俺に言うんだぞ。はぐれたら大変だからな」

「へへ、わりぃ」


 にこっと笑う哲太。


「じゃあ、行ってくるね! ほらあおりん、早く!」

「あ、千乃ちゃん、待って!」


 履き慣れない下駄だというのに、山崎は大はしゃぎで金魚すくいの方へ向かって行く。柏木さんも、覚束おぼつかない足取りでその後を追いかけて行った。


「さて、完全に女性陣は別行動だが……これで良かったのか? 冬城」

「柏木さんが楽しめるなら、それがベストだ。……でも、流石に女の子を二人きりにするのはどうなんだろ……」


 と、そこに声を上げたのは哲太。


「んじゃ、俺があの二人を見守っとくか?」

「え、いいのか?」

「ああ! 俺は図体もデカいし、あの二人を早々見失うことも無いしな!」


 確かに、哲太は背も高ければ、筋骨隆々だ。良いボディーガードになるだろう。そして、哲太が居れば、俺達も彼女らを見失うことはない。


「なら、頼めるか? 俺と辺、一哲は何か食べられるものでも見繕って来たい」


 羽成はサムズアップをする。


「おうよ、任せとけ!」

「じゃあ、決まりだな」

「すまん、哲太」

「良いってことよ。じゃ、また後でな!」


 そう言って、にこやかに哲太も去って行った。


「じゃ、俺達は食料調達だな」

「何が食べたいんだ? 冬城」

「俺は……そうだな」


 辺りを見回す。色々な露店が群雄割拠している。


 かき氷にホルモンうどん、焼きそば、フランクフルト。その反対側には、ハットグ、串焼き、わたがしにトウモロコシ……。


「お、あれとかどうだ?」


 目に留まったのは、唐揚げの露店だ。


「おお、良いな。ちょうど俺も食べたいと思ってたところだぜ。……俺達、なかなか気が合うな」

「ああ、そうだな。……あれ、一哲は?」


「ここ」

「わ、びっくりした!?」


 一哲は俺の半袖シャツの裾をいつの間にか掴んでいた。


「はぐれたら、困るから」

「ああ、そうだな」

「はは、これじゃ……お前と一哲君が恋人同士みたいだぜ」


 辺の冗談は、たまに心臓に悪い。


「……はぁ。男同士だぞ、俺達」

「本当だよ」

「はは、すまんすまん」


 と、そこに。いきなり――――。


「きゃあああ! ひったくり!!」


 女の人の悲鳴が聞こえる。それと同時に、俺の背中に衝撃が走った。


「がっ!」

「おい、大丈夫か! 冬城!」


 どうやら俺は、ひったくりのタックルを食らったらしい。その衝撃で俺は尻餅をついてしまった。


「ああ、へ、平気だ。それよりひったくりは――」


 ひったくりはどんどんと遠ざかっていく。


「カス兄。これ持ってて」

「は?」


 いきなり一哲に投げ渡されたのは、二つの下駄。


「すぅ――――」


 そのまま一哲は、クラウチングスタートの姿勢をとる。


「おい、一哲。追えるのか?」

「……多分」


 そう言い残して――――。



 ダッ



 ――人混みを裂いて逃げるひったくりを、後ろから猛スピードで追いかける。地面はアスファルトだから、相当痛いはずだ。

 それを顧みず、一哲はどんどんとひったくりとの距離を詰めていく。


「一哲君、速過ぎるぜ……」

「あいつ、確か不登校になる前は陸上部とかだった気がする」

「そうなのか?」

「ああ」


 そう、一哲は短距離走者だったはずだ。ここに来て、その経験が活かされるとは。


 一哲はひったくりにタックルを食らわせ、盗られていたであろうバッグを取り戻す。その瞬間、歓声が沸き上がった。


「すげえ、マジで取り返したぜ、一哲君」

「……ああ」


 そのままひったくりは警備員に取り押さえられていった。一哲は被害を受けた女性にバッグを渡すと、てくてくと何事もなかったかのように帰ってくる。


「お前、足は大丈夫なのか?」

「ん。平気」


 よく見ると、一哲のつま先の爪は剥がれ、そこから軽く出血している。


「おい、平気じゃないじゃないか。……辺、絆創膏とかあるか?」

「ああ、あるぜ。千乃のやつが怪我した時の為に、持って来てたのがな」


 辺はポーチから絆創膏を取り出し、俺に手渡す。


「ありがとな、辺」

「おう!」

「一哲、そこのベンチが空いてるから、そこで手当てするぞ」

「……分かった」


 一哲を背負い、そこまで連れて行き。ベンチに座らせる。そして、辺から貰った絆創膏で応急手当を始めた。


「それにしても、本当に驚いたぞ。お前が、まさかあそこまでやるとはな」

「……別に。体が勝手に動いただけ。僕は……別に」

「それでも、お前がやったことに変わりはない。頑張ったな、一哲」

「……」


 一哲は黙りこくってしまう。


「はい、出来たぞ」

「……あり、がとう。二人とも」

「どういたしまして、だぜ」

「一哲、立てるか?」


 一哲は立ち上がろうとするも、足を地面につけることが出来ず、ベンチに戻る。


「いててっ」

「さっきはアドレナリンが出てたから、今になって痛みが来てるのか。……一哲、哲太のところまで背負うぞ」

「いいの?」


「ああ」

「……ありがとう」


 ベンチから俺の背中に移動する一哲。さっきも思ったことだが、本当に華奢だ。


「こんな様子じゃ食料調達も出来ないし、一旦合流するか」

「そうだな」


 一哲を背負った俺は、柏木さんと山崎、哲太の居る場所まで戻ることにした。


 ◇◇◇ ◇◇◇


 次回、第一章エピローグ「とげす君のいばらほどき」

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