エピローグ 棘召す君の茨を解き
◆ 柏木葵視点 ◆
千乃ちゃんは金魚が四匹入った金魚袋をぶら下げている。対する私は両手で巾着袋を持っているだけ。つまり、成果はゼロだ。
「いや~。まさか、あおりんが金魚すくい苦手だったとはね! あはは、ゲームセンターの時の再戦のつもりだったけど、腕がなまったの?」
「そうじゃないよ。えっと……私が金魚をすくおうとしたら、金魚がどんどん逃げちゃって……ポイを浸ける暇もなかったんだよ」
金魚をじっと見つめると、雲の子を散らすように逃げて行ってしまうのだ。そしてやってきてしまった、制限時間。私に飼われるの、そんなに嫌だったのかな……。
やっぱり、ゲームの中と現実では勝手が違う。
ゲームでは少なからず行動パターンが存在して、それを見切ることが出来ればあとは余裕なのだが、現実はそうはいかないものだ。
「ま、金魚が逃げちまうのも仕方ないぞ! 柏木さんに睨まれちまったらな!」
「あはは、確かに! あおりんったら、凄い顔してたよ?」
「えっ、えっ」
まさか、人様に見せられないような顔でやってたんじゃ……。たかが金魚すくいなのに、恥ずかしい。
「私、ヘンな顔してなかった、よね?」
「変って言うか……真剣? かっこよかったよ!」
「ああ、そうだな! 殺気みたいのを感じたぞ!」
殺気……。私、そんなの出した覚えないよ。――と、ふいに千乃ちゃんに肩を叩かれる。
「あおりん、ほら!」
「んえ?」
千乃ちゃんが持っていたのは、金魚袋。中には、金魚が二匹入っている。それを、右手で私に差し出していた。左手には、同じく金魚袋が。
「い、いいの?」
「うん! もしあおりんがすくえなかったら、一匹分けてあげようと思ってたんだけど……一匹だけ離れ離れにしちゃうのは、可哀想だと思ってね。二匹あげる!」
「ありがとう……!」
それを受け取ると、不思議と顔が綻んでくる。
金魚袋の中の金魚は、暢気な顔をして泡を吐いて泳いでいる。可愛いな。
「えへへ……」
「あ、れーくんとゆっきー! あれ、一哲君は?」
あれ、カスミ達、もう帰ってきたんだ。早かったな。
「ああ、俺が背負ってる」
「一哲君、さっきはお手柄だったんだぜ。……でも、そのお陰で足を痛めてな」
「大丈夫か、一哲! お兄ちゃんが今負ぶってやるからな! ……わりい、カスミ。迷惑掛けた」
「いや、いいんだ。両足とも痛めてるから、気を付けて背負ってくれ」
一哲君はカスミに身を預け、いじけたような顔をしていた。
◆ 冬城佳純視点 ◆
哲太に一哲を預け、俺の背中は解放された。と、柏木さんと目が合う。
「ん、どうしたんだ? 柏木さん」
柏木さんはむっとしたような表情になっていた。
「何でもない」
柏木さんはむっとした表情のままそう答え、俺の横を歩き出す。いつものことなのに、なぜか今日は距離が近い。
「お、金魚。すくえたんだな」
「違うよ、これは千乃ちゃんがすくったんだ」
「そ、そうか」
柏木さんはなぜか不機嫌だ。俺達が何も買って来なかったこと、怒ってるのか?
「そうだ。何か食べないか? ほら、あそことか」
唐揚げの露店を指差す。機嫌を取り戻してもらうには、食べ物が一番なのだ。
「お――良いね! 行こう、カスミ!」
やっぱり。柏木さんは本当に食いしん坊だな。
「ほら、早く! 今は列もそこまで並んでないからさ!」
「――――あっ」
ぐいっと。柏木さんに手を引かれる。
「平気なのか? 柏木さん、下駄だろ」
「平気平気!」
柏木さんは――無邪気な笑みを俺に向ける。
どきりとする。心臓がバクバクと鼓動する。
石鹸のような、それでいてフローラルな香りが宙を舞った。
ああ、そうか。
柏木さんは、
そして、今。
俺の中で、その称号から「棘姫」がすぅっと消えていくのを感じる。この心臓の高鳴りは、きっと彼女の変化を、俺自身が喜んでいるのだと。そう考えることにした。
◆
午後七時半。辺りはもう暗くなっているが、花火が上がるのにはまだまだ時間がある。俺達は一通りの出店を堪能した。
射的に輪投げ、ヨーヨー釣り……。バカップルはクレープの食べさせ合いをしていたし、羽成兄弟はたこ焼きの取り合いをしていた。俺と柏木さんは、その光景を楽しみながら、二人で食べ歩きをした。
「楽しいね、カスミ」
「ああ、そうだな」
何回このやり取りをしたかは、もう覚えていない。
だが、もうそんなことはどうでもいい。
俺は今、人生で一番幸せだ。そう思っていた矢先――――事件は起きた。
◆
「そっちは居たか?」
「……いや、居なかったぞ。ああ、くそ。どこ行っちまったんだ、柏木さん」
そう、柏木さんがはぐれてしまったのだ。時刻は午後八時十分。俺がふと目を離したすきに、柏木さんは人混みに飲まれて行ってしまった。
「……俺が、ちゃんと見ていれば」
「冬城。お前のせいじゃないぜ。こんなのよくあることだ」
「そうだよ。ゆっきーもあおりんも悪くないよ」
よくあることだからこそ、尚更。配慮出来なかった自分を嫌悪する。この人混みだ。辺と山崎が手を繋ぐように、哲太が一哲を背負っているように。俺も、何か柏木さんとはぐれない工夫をするべきだったのだ。
「もしかしたら、掲示板の方に居るかもしれねえからな。俺はそっちを見てくるぞ。カスミも付いて来てくれるか?」
「ああ、分かった」
夏祭りを楽しんでいた皆も、柏木さんの捜索に快く協力してくれ、一行は柏木さんを探すことに尽力した――。
◆ 柏木葵視点 ◆
皆と、はぐれてしまった。あれからずっと皆を、五人を探しているが、一向に見つかる気配はない。きっと今頃、皆私のことを探している。……こんなに楽しい日なのに。私のせいで、台無しにしてしまった。
会場をとぼとぼと歩く。先ほどまでは、もっとモチベーションを持って探していたように思う。でも、もうだめだ。この人混みを前にして、私は疲れてしまった。
はぐれた時は、掲示板の前に集まれと言われていたはずだ。だが、掲示板の辺りには不良が集まって来てしまっていたため、すぐに引き返してきた。
「はぁ……」
足が痛い。鼻緒が足に食い込んでしまっているのだ。履き慣れないものを履いて歩き回るから……。
お母さんが、スニーカーの方が良いと言っていたのを思い出す。ちゃんと言うとおりにすればよかった。カスミが居るから、見栄っ張りになっていた。
ニット帽を被った男の人に、声を掛けられる。
「お姉さん、今一人?」
「違います。彼氏と来ているので……ごめんなさい」
私がそう言うと、男の人は「そっか」と言い残して去って行った。
もう、既に五回以上はナンパをされている。この問答にも、本当に疲れた。カスミと一緒に歩いている時は、そんなことなかったのに。
……カスミと、一緒に。
「う、ぁ」
顔が熱くなってくる。思えば、あの時はしゃいだ勢いでカスミの手を掴んでしまった。変に思われていないだろうか。余計に、耳が熱い。じんじんする。
「――――かしわぎさーん」
ふいに、そんな声が聞こえた。幻聴なんかではない。遠くからだが、本当に聞こえてきた。
「カスミだ」
私は、無意識にそう呟いていた。足の痛みも顧みず、立ち上がっていた。
行かなきゃ。カスミが呼んでいる。
私はもう一度歩き出し――――。既視感のある背中に辿り着く。人混みの奥を歩く、カスミによく似た背丈の男の人。服装は半袖シャツに七分丈のズボンで、カスミと一緒だ。きっと、あれがカスミだ。
人混みをかき分け、その背中を追う。そしてその背中のすぐそばまで近づき――。
「カスミ――――」
「ん?」
男の人が振り返る。その顔は――カスミではなかった。
「あっ……」
「え、何。俺? ってか、すげえ可愛いじゃん。君、何してんの」
「え、ちが」
思わず、口からそんな言葉が漏れ出る。
「ねね、お姉さん一人でしょ。俺らと遊ばね? 退屈させねえよ」
「ちょっとここ抜け出してさ。涼しいところで花火でも見ようや」
男の人の横を歩いていたらしい、二人の男も振り返る。
金髪にフープピアスを付けた素行の悪そうな男と、刈り上げた髪に剃り込みのある、強面の男。彼らは私を舐めまわすように見て――。
「てかさあ。さっき君。なんか言ってたよね。カスミ……だっけ? その子探してんの?」
思わず、こくんと頷いてしまう。こんな人達と話が通じるわけはないのに。
「じゃあさ。俺らのうち誰かがカスミちゃんも探してきてやるからさァ。それまで先に行ってよーよ」
「あ、ずりーぞお前。こいつの言うことは気にしなくていいからなぁ」
そう言って、ケケケと舌を出して笑う金髪の男。舌にはピアスが付けられていた。
「カスミちゃ――ん!! ここに銀髪のかわいー子居るけど、君も来なくていいの――?」
剃り込み男が大声を上げる。
その声量に驚いた様子で、群衆はその周辺を少しずつ開けた。
「カスミちゃーん、あっはっはっは!」
「ほら、来ねえって。じゃ、行こうか」
腕を掴まれる。男の人の力は強くて、振りほどけない。
「やっ、だ。離し、て」
痛い。
怖い。
涙が出てくる。
頭がガンガンする。
足も、痛くなってくる。
「カ、スミ。助け、て」
その瞬間――。
「――俺がカスミだけど」
聞き慣れた声が聞こえる。
「んあ? 誰だ、お前」
「だから。おたくらが呼んだんだろ」
スピーカー越しに、何年も何年も聞いた、聞き慣れた声。
思わず振り返ると、そこには見慣れた男の子。優しい目をした、僕の相棒。
「――――カスミ」
「よう、柏木さん。こんなところに居たのか」
涙がどんどん出てくる。ぽろぽろと頬を伝って、目頭が熱くなる。
「かす、みぃ……」
「なあ。離してやってくれ。痛がってるだろ」
金髪男が凄む。
「あァ!? ンだ、てめえ! いきなり現れやがって!」
「警備員も呼んでる。もうそろそろ来るんじゃないか?」
「そんなハッタリ聞くわけねえだ――――はっ?」
威勢の良い声を上げていた剃り込み男が、目を点にする。カスミの後ろには、筋骨隆々の大男。
「俺の弟子に、何しようとしてたんだ?」
「……ひっ」
大男の目が、ギンと光る。その瞬間、私の腕は解放された。腰が抜け、へなへなとその場にへたり込む。
「チッ……おい、お前ら。ずらかんぞ」
「……くそッ」
男達はそんな捨て台詞を吐き捨てて、どこかへ消えてしまった。
◆ 冬城佳純視点 ◆
「悪かった、柏木さん。怖い思いさせて」
「別に、カスミが謝ることじゃないよ。ぼ、僕が……はぐれただけだから」
夏祭り会場の隅のベンチに、柏木さんと一緒に座っている。あの後、哲太と一哲は哲実さんの車で一足先に帰っていったようだ。辺と山崎は、柏木さんの安全を確認するとどこかに消えてしまった。
にしても……恰好を付けようとしたが、本当に足が
「いや、俺が見てなかったのが悪い。何かはぐれない工夫でもしてたら、こんなことにはならなかったのに……ごめんな」
「だから、謝らないで」
「そういう訳にはいかないんだ。あのまま柏木さんを見つけられなかったら――きっと、もっとひどい目に遭っていたかもしれない」
そうだ。あの連中は話の通じるタイプではなさそうだった。
「でも、それは僕のせいで――」
「分かった。じゃあ、これは俺と柏木さんの両方のせいってことにしよう。そうすれば、俺も柏木さんも納得できるだろ?」
「……ぅん」
小さく頷く柏木さん。泣き腫らした涙堂が、白い肌を
その瞬間。
ピュゥゥゥゥ~~~~
「あ」
バァァァンッ
目の前を、花火が迸った。
「花火だ」
「……綺麗、だね」
「ああ、そうだな」
柏木さんと一緒に、ベンチに座って花火を眺める。
「……来年も来るか?」
柏木さんは、ふるふると首を横に振る。
「来年はうちに居る」
「……そうか」
無理もない。こんな経験をした以上は。
「……来年は、うちに来てよ。カスミが」
「俺が?」
「うん。ベランダとかなら、遠くでも見れるかも」
「そう、か。……ああ、そうだな」
あ――俺、今。柏木さんに誘われたのか。横を振り向くと、柏木さんは頬を緩めて花火を見上げていた。
そこに。
ピュゥゥゥゥ――――――バァァァンッ
◇◇◇ ◇◇◇
第一章「棘姫は笑わない」――――――――完。
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